カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

後から気づく愛 その2

(後から気づく愛 その1より続き)

(「中学から受験して入ってきた高校の友人」というのはわかりにくい説明ですが、私のいた学校には4校の附属中学があり、その人とは中学は別だったのです。


彼女の小学生時代は、4年から塾通いだったと聞いていますので

そうした牧歌的な時間はなかったのかもしれません。)



確かに家に呼んだりどこかに連れて行ったりしたことについて

その後その子のお母さんから何一つ挨拶もなかったりすると

 

どうなってんの?

 

とは思ったが

 

わざわざ電話とかくれなくても

例えば学校で顔を合わせた際に挨拶ぐらいしてくれれば

 

その子がいくらお菓子を食べようと

毎日家に来ていようとかまわない。

 

でもそう思えるのは

自分がWさんやMさん、Sさん、その他多くのお母さんやお父さんから

それだけ、いやそれ以上にケアしてもらったからだと思う。

私は10分の1も返せていないと思う(ご本人に対してではなく、他の子供たちに、という意味で)。

 
 

学校だけではなく、地元の人たちや

よその場所でも、所属していたクラブ・団体のご父兄から

ありあまる配慮を受けていた。

 

自分の子供、他人の子供、分け隔てなく接してくれて

みんな自分の親だった。

 

両親に認められなかったことばかり嘆いていたが

多くの人々から愛情をもらっていた。

 

Wさんの死で

そういうことに思い至った。

 

梨もぎや栗拾い、農家や施設の見学、誕生日会、プールに海の合宿

プラネタリウムに山登り、はとバスツアーにバイキング

 

たくさんの行事を思い出した。

そこにいつもWさんがいた。