(後から気づく愛 その1より続き)
(「中学から受験して入ってきた高校の友人」というのはわかりにくい説明ですが、私のいた学校には4校の附属中学があり、その人とは中学は別だったのです。
彼女の小学生時代は、4年から塾通いだったと聞いていますので
そうした牧歌的な時間はなかったのかもしれません。)
確かに家に呼んだりどこかに連れて行ったりしたことについて
その後その子のお母さんから何一つ挨拶もなかったりすると
どうなってんの?
とは思ったが
わざわざ電話とかくれなくても
例えば学校で顔を合わせた際に挨拶ぐらいしてくれれば
その子がいくらお菓子を食べようと
毎日家に来ていようとかまわない。
でもそう思えるのは
自分がWさんやMさん、Sさん、その他多くのお母さんやお父さんから
それだけ、いやそれ以上にケアしてもらったからだと思う。
私は10分の1も返せていないと思う(ご本人に対してではなく、他の子供たちに、という意味で)。
学校だけではなく、地元の人たちや
よその場所でも、所属していたクラブ・団体のご父兄から
ありあまる配慮を受けていた。
自分の子供、他人の子供、分け隔てなく接してくれて
みんな自分の親だった。
両親に認められなかったことばかり嘆いていたが
多くの人々から愛情をもらっていた。
Wさんの死で
そういうことに思い至った。
梨もぎや栗拾い、農家や施設の見学、誕生日会、プールに海の合宿
たくさんの行事を思い出した。
そこにいつもWさんがいた。