カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

近すぎて見えないもの

ところでこの12月には

会いたい人、会うべき人に会えた

 

そんな月だったように感じる。

 

今年の12月はあえて仕事を減らして

人のために時間を作ってみた。

 

いや、人のためではなく結局は自分のためだけどね。

 

年にひと月くらいは

そういう時間があってもいいのではないか。

 

ま、来年のことはわからないけどね(笑)。

 
 

ところで先日Wさんのお葬式で再会できたMさん。

 

当時と少しばかり感じが違っていた。

 
 

Wさんは電話のたび

ほとんどお変わりのようすもなくリベラルで屈託なかったが

 

Mさんはお嬢さん、つまり私の友人(Fさんとします)を

とても心配しておいでだった。

 

親だから心配は当たり前、かもしれないが、

心配よりむしろ、卑下してしまっているように見えた。

 

妹さんのUさんについてはお子さんも2人いて、

そのうちお一人は音大を出ていて、自慢にされているようだった。

 

音大に行くためのレッスン料はたいへんなものだと聞いたことがある。

 

青天井かもしれないが、私の知っているお嬢さんはピアノで月8万くらいかかるということだった。

 
 

美大と音大では層が違う、というのはうなづける。

 

そしてFさんにもお嬢さんが一人いる。

特に不足もないようだが、Fさんが一時ウツだったと聞いたことがあり

彼女が現在仕事もしないでジム通いしていることを漏らされていた。

 

その上、お世辞ではあるだろうが、私が優秀でなんでもできたと誤解されていた。

「それに比べてFは・・」

のような言い方をされていた。

 

大して優秀でもない

私のことを羨むかのようだった。

 

お世辞にしても、Fさんのことを卑下し過ぎに聞こえた。

 

しかしもしウツだったことが本当なら、ジム通いは大変な進歩である。

何であれ打ち込むことがあるのは素晴らしいと伝えた。

 

私だって似たような状態だったから、彼女には親近感を覚える。

 
 

小学生時代、私は彼女が大好きだった。

 

なんでもできたのは彼女の方で、音楽塾に通い、歌や演奏が得意で

楽譜の読めない私は彼女に頼りっぱなしだった。

 

絵も得意で、係やクラブでは同じ美術系でいつも一緒だった。

 

その上運動神経もよく、髪もストレートの長髪が綺麗で

容姿端麗、私にとってのミューズだった。

 

Wさんの娘・Yはいつも気の合う友人だったが

Fさんは私にとって憧れの存在だった。

 

だからMさんがひどく思い違いをされているように思えて

彼女に当時憧れていたことを力説した。

 
 

彼女だって美大を出て

デザイナーとして働いていたのだ。

 

不足どころか、私よりずっと成功している。

 

それでもFさんのことをダメなように言うので

私が自分もウツだったことを話してみた。

 
 

Mさんは心配のあまりか

顔立ちまでどこか変わってしまわれたようだった。

 

以前のMさんなら

そんな悲観的な話はしなかった。

もっと快活に楽しんでいた。

 

40年という年月は人を変えるに十分かもしれないし

愛ゆえの心痛、なのかもしれないが

 

MさんがFさんの素晴らしさを認めてくれるといいと思った。

 

いや、本当はどこかでわかっているのかもしれないが

わかっているからこそ、そう言ってしまうのかもしれないし

 
 

そしてMさんの姿は、私や母の姿かもしれないのだ。

 
 

私が意識を変えれば、MさんもFさんも

母も、そして私もさらに変わるのかもしれない。

 
 
 

理想的な家庭に見えたWさん、Yさん親子ですら

確執はあったと聞く。

 

羨みとは、幻想だ。

羨む相手だって何かしら悩みは持っている。

 

自分にないように見えるから、羨ましく思える。

でも相手にないものを

自分が持っているかもしれない。

 

程度問題で、僅差かもしれない。

 

今年の夏の甲子園だって

負けた仙台育英東海大相模を羨むかもしれないが

 

実力については伯仲、もしくは互角で

たまたま東海大相模が勝ったとも言えるのだ。

 

能力が近くなければ

羨んだりしない。

 
 

近すぎて見えないもの

 

輝きとは、そんなものかもしれない。