カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

人の考えは私の価値を決めるものではない

ヘナを自分でもしてみたが

やはり、すごくいいと感じる。

 

施術した後の体の元気さが違うのだ。

 

美容院のヘアマニキュアも、害ではないのだろうけど

元気が出る、というところまでは行かない。

 

髪ひとつ、そして1回だけでもこれだけ違うのだから、

体に塗るものは少量であっても案外影響していて

経皮毒も、意識できない程度に元気を損なわせているのかもしれない。

 

現代人だから、電磁波などいろいろな影響を受け続けていて

鈍感になっているのかもしれない。

 
 

ところで、先週月曜

友人のお葬式だったと書いた。

 

同期生も30人ほど来ていて

卒業後の集まりで仲良くなったけれど

結局疎遠になっていった人も何人かいた。

 

亡くなった人もクラスは違っていたけれど

そうした集まりに出るうち話をするようになった友人の一人だった。

 

私と同じクラスからその日に来ていた人は2人だった。

私の通った小学校は6年間クラス替えがないので

同じクラスだとほとんどファミリー化している。

 

中学ではクラス替えをするので

そこで仲良くなる人もいるが

 

恒例の集まりでは

主催する人(幹事)の都合で

 

ほとんど同じクラスになったことがない人ばかりと交流することになった。

 

先の、疎遠になった人々は

もともと性格的に合わない人たちだったのだ。

 

ほとんど挨拶もせず別れてしまったけれど

 

なんとなく、それでいいのだと思った。

 

いままでの私なら、そういった人たちの評価を自分自身の価値と思って

大きく揺らいでしまったと思う。

 

でも、人の言うことは自分の価値には関係ない。

 

そうした切り分けができるようになった気がする。

 
 

人の言うことは、あくまでもその人の意見でしかなくて

 

それはその人にとって正しいかもしれないが、

万人にとって、ということではなく

 

まして自分にとって正しいことでもない。

 

だから人と考えを合わせなくてもいいし

好かれる必要もない。

 

それまでは、人の意見が自分を左右すると考えていたから

常に人の顔色を見て、揺れていた。

 

それは両親との関係から来た癖だと思う。

 

両親の意見はは自分の生命を左右するものだったかもしれないが

友人は違う。

 

本当は両親であろうと友人であろうと他人であろうと

人は人

 

まったく無視することもないが

とらわれることはない。

 
 

なんとなく彼らの反応を見て

そんな風に思えた。

 
 

おそらく境界線がはっきりしてきたせいだろう。

 
 

一昨年までは、エンパスのスイッチオフが1日に1度しかできなかった。

しかし去年からは少なくとも、2回できるようになった。

 
 

なかなか3回まではしづらいところもあるが、

概ねできつつある。

 
 

自分は人の意見からは自由で

自分の価値は人によって侵害されることはない。

 

すべての人にとってもそうだろうと思う。

 
 
イメージ 1
イノダコーヒにて、レモンパイと)