カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

怒りとは・その1

おととい歩いていて、ふと

「自分を愛するには、価値観を変えることだ。

価値観を変えるステップを積むことだ。」

という考えが浮かびました。

 

確かに、そうですね。

 
 

それにしても、「自分を後回しにしても他人に与え続ける」という特質、

これは「依存」であると、いろいろな人から指摘されてきました。

 

確かに、愛がなければ、これは依存だそうです。

 

でも、あのエーテルコードをほとんどすべて取り去ったあとの自分は

とても無垢で純粋な愛情を抱いた人物でした。

 

自分の知らなかった人格です。

 

いや、実際は本当に初対面かと言われるとそうではなくて

法悦状態、俗に言うエクスタシー状態の時に現れていました。

 
 

初めて見た時はすごく感動して、自分が本当はこんな存在だったんだ!としばらく涙を流していました。

 

分別も計算も時間も何もなく、ただ青い空にぽっかりと浮かんでいる白い雲、みたいな感じです。

 

すべての人の中に、こんな無垢な魂があるのでしょう。

 

そういう自分に出会うと、自分やまわりの見方が変わりますが
絵を描くと、自然にそれに近い状態になる。

 

だから絵を描くたびに変わるのです。

 

かといってそれを追い求めてしまうと得られないのですが。

 

そしてその自分に出会えるのはほんの一瞬です。

 

しばらくすると、いろいろな分別が戻ってきます。

 
 

今回のセッションでは、「共依存を解消する」という目的でしたが
開口一番、ヒーラーさんからは、あまり依存的傾向のない人と言ってもらえました。

とも共依存ではないそうです。

 

「自分一人でやろうとしないで、人と協力関係を持った方がいいんじゃないですか」

とも言ってもらえました。

 

一般的にサイキックバンパイアはサイキックスポンジと共依存関係になっていると言われます。

 

確かに突出した第2チャクラと、極端に欠けた第2チャクラエネルギーは引き合いやすいですし、

 

サイキックスポンジがバンパイアに付け入る隙を与えていることは確かです。

 

でも、サイキックスポンジがもともとバンパイアにエネルギーを与えたいと思っているかと言えば、決してそんなことはないし

共依存関係ももちろん望んでいるわけがない。

 

サイキックスポンジの人が望んでいるのは、お互いに与え与えられる関係です。

 

エンパス能力も依存と言われることがありますが、

本来エンパスの人は平和的で、協調関係を望んでいます。

 

泥棒と被害者の関係を「共依存」と表現できるでしょうか?

 

「被害者が被害に遭ったのは、泥棒と同質的なものが被害者の内側にあるからだ」

という人もいます。果たしてそうでしょうか?
ほとんどの場合が、「被害者には警戒心がなかった」それだけではないでしょうか。

(確かに夫、スリに遭ってましたけどね。同質的だからと言えなくもないですけど。)

ただ、すべての出会いに理由があるように、泥棒と被害者が出会う、

またバンパイアとスポンジが出会う、さらにそこから離れられなくなるというのには理由があります。そこにはお互いに理由があり、必然です。

その理由を自分で作っていて、他人の所為にすることはできません。

 

ネガティブがネガティブと引き合う、というのは確かにその通りで

サイキックスポンジの人に自己肯定感がなかったりすると取り憑かれてしまう。

 

「自分は生きていても仕方がないような人間である」

と思っていると、その考えを後押ししてくれるような人間に出会う。

私にとって夫とその母親は、まさにそんな二人だったと思う。

 

同質的な人と遭う、というよりは、人間関係は自分の中にある考え方の具現だから、自分の自分に対する扱い方がそのまま人間関係に出てくる。

 

自分に無関心だったり冷淡だったりする人は、周囲にも自分に無関心だったり冷淡だったりする人を呼び寄せてしまう。

 

依存というよりは、隷属状態だったのだと思う。

 

その人間関係から、ようやく私は

自分の本来の姿を見つけました。
 
自力でなく、他力でしたが。


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(逗子「珠屋」のケーキ・あんずモカ
 

(怒りとは・その2に続く)