カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

怒りとは・その2

自分の本来の姿、本当にしたかったことがわかった今、

なんとなく姑も許す気になりました。

姑も女性の先鋒として頑張っていた人です。

ただ頑張っていただけなのだと思います。

 

それが高じて夫に(自分の息子に)過度に執着してしまった。

私への敵意も、自分の子供への愛情の裏返しです。

 

ただ頑張っていただけなんです。

 

ここで許すところが、また自分の悪いところでもあるでしょう。

 

過度な優しさは依存を生むからです。

怒り続けたっていいのです。

 
 

許せないことは許せないままでいいのです。

 

なんでもグズグズに許してしまうと結局自分が苦しくなります。

線引きは必要です。

セッションの後、第1チャクラや第2チャクラが開き、

「寒々しかったオーラ」(笑・ヒーラーさん談)に

赤やオレンジの暖色系が差して来たそうです。

吸い尽くされていた第1チャクラがエーテルコードから解放され開いてきた
そのせいなのか?

 

電車を待っている際、いつものように横入りされて

その日は猛然と怒りが湧いてきました。

 
 

横入りされても、

「そう、私ってバカだからねー」

とへらへら笑っていましたが

 

怒ったってよかったのです。

 
 

長いこと、怒るのは悪い事だと思っていました。

(だからといって、怒ったことがないわけではありません。むしろよく怒っていたと思います。だからこそ自分は余計ダメな人でした。)

 

母に、「怒ると体の血が汚れる」

と言われていたのですが、

いつも横入りされてしまう私は母から

「鈍いわね!」「遅いわね!」

ともしばしば言われていたので、どう反応していいのかわかりませんでした。

 

怒ってはいけないし、でもぐずぐずしていてはいけない。

 

でも怒るのは、生命の危機を感じているから。

恐れから怒るのです。

 

実際に刃を向けてこられたとき、

「いいよ、いいよ、オッケー」

と笑って言えるのは、キリストくらいのものだと思います。

 
 

怒りは、自分の立場を大切に思っている証拠。

 

だから結局は人の存在も大切と思えるようになるのです。

 
 

私のように、「自分の命なんかどうだっていい」という人は

「他人の命もどうだっていい」と根元では思っていることになります。

 

怒りは、素直な第1チャクラの、「生きることを望む」反応。

単純な反応でしかありません。

 

いいも悪いもなく、ただ、そういうものなのです。

 

だからその日は怒りに任せました。

 
 

いえ、怒りに任せて殴りかかったとかではなく(笑)

怒りを感じるままにしたのです。

 

いままではそうして怒りが出ると、まず、

「浄化しなくちゃ!」

と、浄化のプロセスに入っていました。

 

結果、いくらやっても浄化はされず。

 

10年浄化に励んでも、根元的な怒りは一向に解消されませんでした。

 

それは自分がダメだから、と思っていました。

 
 

でもその怒りは浄化しなくてもよかったのです。

根元的な、人なら本来持っているものだったのです。

 

浄化しようとしたのは、生の欲望を「悪」と捉えていたからでした。

 

ただ感じるままにしていれば、恨みも残さず消えていきます。

 
 

この時も、そうでした。

 

うんと怒った後は、清々しさすら感じていました

 

横入りした人への恨みも残りませんでした。

 
 
 

まあ、この考えに反対する向きもあるでしょう。

それでもいいです。少なくとも私はこれを良しとします。

 
 

だって生命がある限り、第1チャクラはあって、生への根元的な欲求は消えないのですから。

 

その怒りがあるから、守られることもあるのですから。

 
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(写真は吉祥寺「小ざさ」の最中。黒あん3個・白あん2個のセットで305円。羊羹は夜中に並ばなければならないからとても買えないが、最中ならすぐに買える。)