カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

怒りで軸が整う

前回書いたように

妬む人は自分でやらない人、妬まれる人は自分でやる人という表現をしましたが

 

だからと言って世の中が「妬む人」と「妬まれる人」に2分されるとは言わないものの

 

おおむね自分でやる人とやらない人、には分かれる気もします。

 
 

やらない人、の中には、やらない方が上、と考えている人もいて、

やるヤツを批判することに熱心だったりします。

 

批評家にはそういう人が多いような気がします。

 

また、自分でするんじゃなくて人にさせることがいいことで、立場が上なのだと思っている人もいるようです。

 

バンパイアはそんなタイプのような気がします。

 
 

そういう人はあらゆる理由を並べてやらないことを正当化します。

 

口が達者なので、こちらも危うく納得させられそうになります。

 
 

が、先日、それで全然ゆらがない自分がいました。

 
 

いつもは「そうかなあ・・そうかもしれないな」

と思ったり、そこまで行かなくても

「何か、ヘンだな」

とごまかされたような気になっていたのですが

 
 
 

「もう、やらない人は、なにがどうあってもやらない」

ことがわかり

そう見えていたのは自分の気のせいでもなんでもなく、ただ事実だったことがわかりました。

 
 

つまり自己正当化ができ、一本スジが通った気がしたのです。

 

どちらがいいのか悪いのかはわかりません。

 

立場の違いだけの話だと思いますが

 
 

結局大事なのは、自分で自分を正当化、肯定できるかということだと思います。

 

他人がそれを非としても、自分が是とするなら、究極的にそれは是なのです。

 
 

立場というのはそういうものだと思います。

 
 

で、それでいいんだと思います。

 

今まではすぐに自分の立場を反省し、肯定できませんでした。

 
 

でも怒りが沸いたら、それを支柱として、自分を肯定できました。

 
 

普段なら自分の怒りをいけないと思い、すぐリリースするよう取り掛かるのですが

 

この日はそのまま表現しました。

 

もう後悔することもなく、自分を責めることもためらうことも疑うこともありませんでした。

 

どこか一本スジが通ったような気がしました。

 
 

「怒り」をあまりよくないもの、

なるべくリリースすべきものと見る考えもあるようですが

 

怒りは自分が何を大切にしているか、知らせてくれます。

常に自分の根元に戻してくれるのです。

 

アサーティブトレーニングをした時、それがわかったのですが

 

今回は、自分の軸を知ることができました。

 

行動を伴わない、口先だけの牽制に対する強い怒りで

自分のスタンスが整ったことを知りました。

 

確かに自分も、ためらわず行動に移っているかといえば

そうでないところもありますし

 

指令が出た通りに動いているかといえば、少しブレるところもあり

優秀なメッセンジャーではないかもしれません。

 

しかし、偽物の口先に引きずられて失速させられるような失態は今後ありません。

 

この「整った」感じは、先月受けたさくらい指圧鍼灸院での治療のおかげのような気がしました。

 
 

まだ少しヒザには違和感が残りますが、体もだいぶ調子が整った気がします。

 
 

でもそう感じた日に前後して、私の眼の前で右往左往し、結局もとの方向に進んでいった人を4人見かけました。

 

なんとなく面白かったですが、自分がそういう感じだったことを示しているのでしょうか。


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(写真は東中野ルーブル洋菓子店にて)