エーテルコードは各チャクラ間をつないでいるらしいが
中でも第一チャクラをつなぐものが多様なドラマを生む、ようである・・
「痴情のもつれ」というのは、第一チャクラを結ぶエーテルコードによってもたらされるのでは、と思う。
「以前付き合った者の生霊がついている」というのは、第一チャクラがつながっていると同義だと思うし、
また付き合ったことがなくてもストーカーのようにずっとくっついているというのは
どこか別のチャクラに権太(ごんぶと)なエーテルコードが巻き付けられているんだろう。
今回はとりあえず第一チャクラについたものだけを考えてみようと思う。
以前勤めていた寺の和尚は、
「一度交わると、相手の情報みたいなものが一生涯自分の体内に残る」
と、よく表現していた。
同じようなこと(でき方)ではあると思うが、たぶん指しているのは別の物質?であると思う。
エーテルコードは「縁情」みたいなもので、
相手の情報というのは、体にそのまま残る記憶みたいなものだろう。
おそらくエーテルコードが切れても、情報は体内に残ると思う。
いい情報を持った相手と一度でも交われば後々までいい影響が残るらしいが
そうでない相手の場合は、ここぞという場面でハシゴが外されるような、よろしくない影響が残るらしい。
だから相手を選ぶ際は慎重になるべきだ、と。
そして交わる相手の数が増えるほど、その他者の情報は多くなっていき、
自分の中に相手の数だけ、情報を入れたハコが増えるような感じだという。
自分という同じ敷地内にそれだけハコが増えるというか、敷地にパーティションが切られて各々に情報が入れられるような感じになるので、
その分自分固有の情報の土地は減るのだという。
つまり他人の情報に無意識に左右されることが多くなる。
ここまで見てみると、やっぱり効能的?にも
そのハコとエーテルコードは似ている気がする。
ただ継続的に相手とつながり、エネルギーのやりとりが以後も続くという性質は、エーテルコードにはあるがハコにはない。
なのでやはり、違うことである。
前回、相手にダラダラとエネルギーが漏れていて、自分が想念を飛ばしていると知ったことを書いた。
確かに、考えただけでもエーテルコードは生じ、エネルギーの行き来がある。
しかしさらに、特に私が性的な行為に及んだ時(それは自慰であったり他人との交わりであったり・笑)に限って、どうも大量のエネルギーが第三者である夫に流れているようなのである。
エネルギーが流れるだけでなく、夫が憑依してくる。
(夫が活力あふれ、私の顔が夫そっくりに変化するのでわかる)
ハコやエーテルコードがあるからといって必ずしも憑依が起きるわけではなく、
憑依はつながる相手の性質次第のようだ。
これはどうしたことかと思ったが、性的なことを行えば第一チャクラが大きく開くから、そこから出るものは出て入るものが入ってくるということですね。
そしてチャクラがある程度閉じるまで、夫は私の中に居座り続ける。
だいたい出て行くまでに丸1日はかかる。
チャクラが閉じ、エーテルコードを切り、カミングホームをするとやっと私の顔は元に戻る。(たいへん・笑)
しかし以前、2015年の夏くらいまではその逆で、私は憑依まではしないが、性的行為をすると夫からのエネルギーを得ることができていた。
おそらくその時点までは夫の方が蓄えたエネルギー値が高く(バンプリズムでせっせと稼いだ分)、その後は逆転したのだろうと思う。
エネルギーは法則上、高いところから低いところへ流れるから。
暴力を振るわれるパートナーからなかなか離れられないとか、
子供を虐待する内縁のパートナーの言う通りになってしまうとか言うのは
巧みな情報操作のせいもあるかもしれないけれど、
この第一チャクラのエーテルコードでエネルギーを奪われているからだろう。
他のチャクラのコードの問題より、第一チャクラの場合は肉体に具体的に情報が残る分、つながりが強くなるのではないか。
おそろしきは人間の執念である。
能とかでも桐壺の更衣(だったっけ?)など、人の執念の話ばかりなので
女性の執念の方が凄そうに思えるけど
男性の執念も実はすごいものである。(負けるどころかはるかに凌ぐかも?)
昔つきあっていた女をグーグルで検索する男の話を折に触れて聞くし(先週も友人から聞いた・笑)
そこまで人に執着できない私には、驚異である。
また女性は、いまつきあっている人がいれば、過去の人間に執着することはほとんどない。
しかしその憑依が、あんなにしつこかった憑依が
ふとしたことでなくなったのだ。
いや、今も完全になくなったわけではないが、少なくとも第一チャクラからの憑依はなくなった感じである。