カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

自分を責めないで

生まれてきた目的の中に、「自分を知る」というのは必ずあるはずだ。

だとすれば、異質の中にいなければ、自分を知ることはできない。

引き寄せで同質的な人ばかりが来るなら、自分を知る事は永遠にできない。

もちろん同質的な人も来るが、どちらかといえばほとんど違う人で、そのような中で自分を少しずつ知っていくのだと思う。

 

一昨日は友人(仮にAさんとします)に会った。約半年ぶりだった。

35年来の友人だが、しばらく会わない時期があり、2013年に再会した。


彼女はディープに?スピリチュアルというわけではないが、毎週整体に通っていて、そっち系も頭から否定するわけではない。


聞けばほぼ同時期、日吉の同じ中医学K医院に通っていたらしい。K先生の話は今まで誰ともしたことがなかったが、まさかAとするとは思わなかった。


K先生はわりとどんな病気でも治せてしまうようで、私は胃痛、彼女はアレルギーのために通っていたが、本当は耳鼻科らしい。私は覚えていなかったが、漢方の処方箋を細かく正確に書いていたそうで、近くの薬局の薬剤師がその的確さを常に賞賛していたらしい。



私は近くに住んでいたけれど、彼女は都内だから相応に遠かったはずだが、その病院のあと天然酵母だかの自然志向のパン屋に寄るのも同じだった。どうも日吉は多くの人の縁が交錯する場所のような気がする。学校が東横沿線だったから、ない話ではないかもしれないが。

 

先日加熱し過ぎてかえって底のこげつきが取れたホーローの鍋があって、そういえばこの底は長いこと黒くなっていて重曹を入れても取れたことはなかったが、どうしてだったのだろうとぼんやり考えていたところ、彼女との話で、その処方された漢方を煎じていたためだったと思い出した。それを彼女に話して二人で笑った。

 

その後K先生は自分で処方されることはなくなってしまったそうだ。それで彼女は通うのをやめた。私は病状は改善してきていたけれど、薬代が高く、先が見えなくなって挫折した。

 

さらにOリングの話になり、それを使った診療も彼女は受けたことがあるらしい。K医院とは別の診療所だが、そこの医師はたいへん懲り性で勤勉で純粋過ぎて世間知らずだったために変な奥さんをもらうことになり、その母親ともども医師をいいように利用し、操っているらしい。


そのため私には勧められないと言っていたが、その話を聞いて、やはり純粋過ぎるためにそうしたものから逃れられなくなるということはあるのだなと思った。自分の意識が変わると、初めて新しい意識に沿った現実を見ることになる。

つまり意識を変えるまでは、新しい現実を見ることはないのだ。つまりなかなか意識を変えることは難しい。ただどこかにキッカケはあるはずだ。自分の内側の声を聞くより方法はない。

 

自分の周囲すべてが自分の写し鏡であると聞けば、まわりにバンパイアがいるなら自分も相応に卑怯であると考えてしまっても仕方ない。
そして次から次へ自分に冷たく当たる人ばかり出て来れば、自分はとんでもない質を持っていると考えるのも自然と思う。

私もおそらく前世とんでもない行いを働いたために、その重いカルマを償っているのだろうと考えていた。

 

しかしあまりに逆風が吹き続けるというのは、その場が自分にふさわしくないと言うサインのように、経験上感じられる。まったく異質な場所であるということだ。自分にその場所に居続けるよう仕向けることは、自分に対する虐待なのだ。その自分に対する厳しさが、周囲の自分に対する厳しさとして現れている。

 

と、なんども経験していながら、ついつい自分に非があると考えてしまう。

 

逆風が続くとどうしてもヘコんでしまうし、自分がダメな人間だと思ってしまうもので、それに抗して

「いや自分は素晴らしい人間であるっ!」

と思うのは、なかなか難しいことだ。

 

また自分のエネルギーが低下して、やることなすことうまくいかなくなり

果ては病気になって寝ているより仕方なくなると、どうしても周りの人々が輝き、自分はとりわけダメで、死んだ方がいいように思えてくる。

 

しかし、それが、バンパイアにエネルギーを奪われている故としたら、

そしてエンパスとして、見も知らない他人にエネルギーを配り続けている故としたら。

 

もちろんとてもそんな風には、普通なら考えることはできない。

「自分のダメさを人のせいにしている最低にダメなやつ」

と、ますます自分を責めてしまうだろう。


しかしほとんど知られていないが、そうしたことは往々にしてあることのようだ。

いままでとんでもなく体調が悪く生きる屍と化していた月曜日の朝。

なんとエンパスを中断してみる(「カミングホーム」というこのやり方は本に載っているので、興味ある方はググってください・もしくは直接私にお問い合わせください)と、信じられないほど体調がよくなった。

 

またちょっと違うかもしれないが、お医者さんのお子さんまたは奥さんが寝たきりということがあると、以前の職場でよく聞いたり実際見かけたりしたが、腕のいい医者ほどそうしたケースはあるらしい。つまりお父さんであるお医者さんにエネルギーを補填するために、他の家族のエネルギーが使われている。

 

これは危険な話だが、特に寝ている人のエネルギーというのは、大変使いやすいものであるというのが私の正直な感覚だ。電車の中で寝ている人は、もちろん当人が疲れている場合もあるが、だれか他の人によって使われているというケースもある。

 
 

もちろんエンパスの人はそれを無意識下では承知でそうした体質も経験も選んできているとは思うが、一度自分の体にしっかり帰ってみると、世界が違って見えるのではないだろうか。

 

それがわかれば、ヘタに自分を責めることもなくなる。

 

そうした素晴らしい人材が、自分を見失い、果ては自殺に至ってしまうのは忍びない。

 

そうした人は本来波動も高く、エネルギーも大きいため、やがて解決を見出すに違いないから杞憂ではあるかもしれないが
少しでも孤独に苦しむ期間が短くなればと思うので、こうして書いておく。

 

いまはネット社会だから、ググれば何かは出てくる。

 

確率が低いとしても、これが必要としている誰かの目に止まるかもしれない。

 
 

私が山形のチャネラー・ミカさんのブログで救われたように

だれかが私の拙い文で少し楽になるかもしれない。

 
 

自分に戻り(といっても1日の約半分は体の外に出ているが)、本来の自分が見えたとき、いままで作っていた作品のナゾが解けた。

 

小さい時、家が自分の居場所でないように思え、「別の場所に帰る」と毎晩泣き続けて両親を困らせたことの意味も理解できた。

 

世界が変わって見えた。

 

肉体のあることのありがたさもわかった。

 

だからあなたも自分を責めないでください。

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 (写真は友人と入った渋谷「Green Grill」のランチ)