しかし今回の事件(夫と義母の癒着によるバンプリズムという件の・笑)は
義母の、子供への執着が発端、ではないけれど(厳密にはもっと根の深いものだったから)、キーであると感じた。
愛が根底にあるとは言え、そこまで来るともう執着である。
そんなに執着しちゃうもんかな?と思いましたが
よく考えると、子供は親に執着しないけど(親が自分より先に死ぬものであるとわかっているし、やがて子供は親から独立していくものだから)
親は子供にこうあって欲しいとか、思惑が出勝ちですよね。
何より、自分の体を痛めた子供ですから、この子を守らなくちゃというような意識が、たいていはあると思うんですね。
子供が生まれた時に、「自分にとって究極の弱点ができたな」と思いましたからね。
自分を攻撃されるのは何ともなくても、子供を攻撃されれば痛いですからね。
逆にそのくらい執着がないと、子育てできない、というか守っていけない部分はある気もしますしね。
本能的なものだと思います。
しかし、
「子供が不幸になっても自分の元に置いておきたい!」
とかになったら、ヤバいですよね。
それは何か別の問題があると思います。
実際、義父との間に問題があったから、でもありますけど。
そう考えると、他にこっそり男でも作ってそれなりによろしくやってた方がまだ健全かと思ったりします(笑)。
私的には、夫との鬱積を子供になすりつけるよりはマシに思えます。
てか、親としては何が何でも子供にベストなものを残してやりたいと思うのが筋、だと思うのですよ。
だから家のカルマでさえも、引き継がせたくありませんでした。
それが残ってしまった、と思った時、自分は生きている価値さえないと思いました。
でも今回のセッションで、特に子供に引き継がせたカルマがないと聞いた時、
私は心から自分の存在を許せました。
ああ、一応生きていて、よかったのだと。
それなりに意味はあったのだと。
まあ、本当にカルマがないのなら、その一族に子供が生まれる必要もないのだと思いますが。
(「聊斎志異」に「親が子供に前世で借りがある場合、子供として生まれてくる」という記述があるので。つまり子供のない夫婦は悪いとかそういう意味合いがあるわけではなく、ただ人として前世借りを作らなかったから、ということみたいです。)
子供はただ私の幸せのために生まれてきてくれたらしいです。
ありがたいことです。
まあ、受けるところはありがたくお受けしたいですが
それに甘んじないようにしたいと思います。
うちの両親も、いろいろなものを残して行きはしましたが(母は生きていますけど)、
それなりに最善を、という思いはあったと思うのです。
夫の母親だってそうかもしれませんけど
やはりどこか自分に甘いし、「取るものは取る」という意識が家系的に強いですね、うちと比べて。
食べ物の多い少ないという争奪戦も激しいです。
欲をあからさまに表現することに恥ずかしさがなく、むしろ奨励しています。
うちの家系は、人に対する執着がそもそも薄い気がします。
寿命も短いですし。
食べ物について争うのは人としてもっとも醜いことと教えられましたし。
欲に翻弄されるのは恥ずかしいこと、という考えがありました。
哲学がないと、欲に翻弄されるというのは本当だと思います。
そして人に対する執着というのは、人それぞれですね。
その後どうしているか定期的に個人名でググったりする人がいますが
怖いですね(笑)。
なんでそんな執念を持てるのか、不思議です。
自分の欲に対し、それを第三者的に見つめる目が自分の中に育たないと
そういうことになるんでしょうね。
そして父親よりは、母親の方が子供に執着しやすいかもしれません。
今回は、母性に狂気を感じました。
子供を守ろうとするあまりの狂気ですよね。
生かすも殺すも同じ感じがしましたが
確かに女性は古代から、生と死を結びつける存在でした。
今回のヒーラーさんの力もそういうことですよね。
和尚とかと比べてみると、力の差は歴然です。
もちろん有能な男性霊媒師とかもいるんでしょうけど
そういった能力については概して女性の方が優秀ですし、またそれで被る厄を払い退ける力にも長けている気がします。
和尚なんかソープで相手に流すだけですもんね。
自分で払い退ける力なんかないんです。
今回のヒーラーさんは、軽やかに払い退けていて、見事でした。
女性の光と影を見た気がしました。