カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

女子力フィールド

前回から続きますが、そのLさん(千葉のオープンマイクのイベントに参加されていた私の友人)曰く


長女で弟がいると、その弟に対抗意識を燃やしやすいということでした。

長女より弟の方がとかく注目されやすいので、自分のほうに注目させたいということになるらしいです。

確かに私も、そうでした。

おおむね日本は男性が跡取り、という男系社会であるからでしょうね。

夫の家はもともと髪結いの家で女性が跡取りのため、そういう傾向が弱い気がします。

私もそうでしたが、自分が認められるために、男性的努力を始めるのです。

主導権を握りたがったり、左脳的であったり、極端な例では男性的な服装に傾いたりします。

Lさんはそんなわけで、自分の女子力が弱いと常々思っていたらしいです。


が、ある時、お花を使ったワークショップで、彼女のお花の使い方が極めて秀逸で、

「女子力高い!」

と、周囲から称賛されたのだそうです。

自分のそんな部分に女子力があったことに驚いたLさんは

一般的な見た目のような部分で、女子力を競わないでいいんだ
と思ったそうです。

例えば秘書室の女性を見る時、彼女たちは見た目、とても女子力が高いらしいのですが
同じ座標で勝負しなくていいんだと。

なるほどと思いました。

確かにその見た目の女らしさって、わかりやすい女子力ですけど
すべて同じような形である必要はありません。

逆に、あるセッションで言われたそうです。

「彼女たちは外見こそ女性らしいが、実は中身はオッサンだ」
と。
「オッサンじゃなきゃオッサンの相手なんかしてられない」
と。

女性らしい外見というのは、共通のコードと言いますか、
一般的に決められたコードでしかないわけです。

男性の思うところの女性らしさ、というか。

それも現代で、一部の国の感覚が公用語みたいにして広げられた概念で
実際は万人に共通のものじゃありません。

つまり、本当はそれぞれの人なりの女性性というのがあるわけです。

べつにズボンをはこうが、スーツを着込もうが、女性らしさは変わらないわけです。


私は幼少時、男子として育てられ、女の子らしい格好はさせてもらえず
自身も男なのだとカン違いしていて

いまでもズボンをはいたほうがしっくりし、女らしい格好は正直「コスプレ」と思ってしています。

その両極性に自分で混乱し、疲れていましたが
なんとなく、彼女の話を聞いて、どっちでもよかったんだと思いました。

彼女がそのお花の使い方に於いて女子力が認められたように
自分らしい女子力フィールドがあるに違いないのです。

それは思ってもみなかったような分野かもしれません。
たとえば、「人を受け入れる」ということに関しては、私もかなり女子力が高いかもしれません。

見た目とは必ずしも相関していないと思います。

ちょっと、軽くなった気がします。

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(北海道物産展のイートインにて。多種を少量ずつというのも女子力高い気がする。)