カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

アウシュビッツの記憶?・その2(アウシュビッツの記憶?・その1より続き)

(「アウシュビッツの記憶?」その1より続き)
 

セルフでできるブロック解消にこの10年を費やしてきて、そこそこ解消されたような、

でも最も根源的な問題は解消されていないような感じだったが

 

自分でやるのはそこまでが限界だったのかもしれない。

 

 

しかしこの機会にSさんという他者による解放ワークを受けて

 

思いがけず強力だったため、おそらくこのような事態になった。

 

 

いろいろ感知できない力により、なんとか私の精神は平衡を保つことができているが

それでも負担だったことに変わりないのだろう。

 

 

でもTさんによると、それは恩寵だという。

 

大きい収穫を手にしたことの代償というか、

自分の多次元性を経験した証というか、そんなものだという。

 

 

 

なんか、よくわかっていないような、ちゃんと説明できていない感じですけど・・

 

 

でも魂が戻っていなかったというのは納得できる。

 

 

というのは、ここのところ、夫の憑依が甚だしかったからだ。

 

 

私の顔はほとんど夫そのものだった(笑)

 

「なんでこんなに憑依ばかりされているんですか」

と守護者に聞いてみたところ

 

「それはあなたが留守になっているから」

という答えだった。

 

留守、つまり私の魂がまたも体を離れている・・

 

しかし普段のエンパスによる離れ方より、明らかに程度がひどかった。

 

 

ともかく、自分の今の状態を知ることができたのはよかった。

 

 

このタイミングでそうした経験のある人と会えた、というのは幸運だったと思えた。

 

ではどうしたらいいか、というと、それはまだその時点ではわからなかったのだが。

 

それで、やはりぼんやりしたまま帰途についた。

 

彼女のほうはと言えば、Nさんのフォローがあって戻って来ることができたようだった。

 

その後の私については別の機会に書くとして

 

さらに、彼女によると

 

そのショックは、彼女の過去生、「アウシュビッツ」での出来事にアクセスしたことによりもたらされたという。

 

Nさんによると

「それほどの過去に直面したために再びショック状態が起きた」

ということだった。

 

しかしアウシュビッツの過去生があることは、Nさんとのセッション以前にすでに知っていたらしい。

 

 

それは共通の友人、Hさんから聞いたらしい。

 

私とTさんが出会ったワークショップの主催者の一人である。

 

Hさんはアロマを使ったサイキックリーダーであり、今回 Tさんと再会して最初に話題に登ったのも、Hさんのことだった。

 

もっとも信頼できるサイキックリーダーの一人である。

 

(余談ながら、私がHさんから最初のセッションで告げられた過去生は古代ローマキリスト教布教をしていた人物ということだった。)

 

それで、

「私もアウシュビッツじゃないかもしれないけれど、強制収容所に関係した過去生があるかもしれないなぁ」

みたいな感じで話すと

 

その可能性はある、みたいな感じで返された。

 

 

というのは、彼女と2回目に会ったワークショップに同席していたFさん(彼女はTさんと一緒に占星術の教室に通っていて、そこの講師MさんとNさんは親しい。Mさんと私は友人である)の過去生もアウシュビッツだという。

 

 

Tさんは囚人としてだが、Fさんはナチス側で、看護婦だったらしい。

 

なおFさんは今世においても看護士である。

 

 

そしてワークショップに同席する人にはなんらかの縁情がある、という話・・

 

まああくまでも仮定、でしょうけど・・

 

 

前回ダッハウ強制収容所に行った際、特に深く考えることもなく白いバラを二本手向けたのだが

 

後にTVで、当時ミュンヘンの学生によるナチスへの反対運動「白バラ運動」が起きたと知る。

 

主催は2人の学生で、彼らは兄妹だった。

 

やがて当局により捉えられてダッハウに散る。

 

 

また6才から20代にかけて繰り返し見ていた

ついたてがなく並ぶ洋式トイレの夢。

 

ものすごくこわい夢で、なぜしばしば見るのかわからなかった。

 

 

心理学的には、おそらく意識上の「個のテリトリー」が侵害されている、つまりアイデンティティーが曖昧である、ということの比喩であると私は結論づけていた。

 

ダッハウ強制収容所の復元されたトイレが、その夢と寸分違わず重なった。

便器の色も間隔も壁面も同じだった。

 

私が行った時にはまだ復元されていなかったが、そのちょうど1年後だったか?日付も同じだった。なんとその日にその写真が公開されて、かなりの衝撃を受けた。

 

 

まあ、偶然・・?確かに偶然で済ませれば済ませられるかもしれないけれど、

それにしても夢とそっくり過ぎた。

 

そして彼女に会ったきっかけを作ってくれたワークショップ主催者のもう一人、Kさんも、私がドイツ人っぽいとしばしば言っていた。

 

初めてTさんに出会ったワークショップで、さらにもう一人の主催者にも、

他の参加者にも、私はヨーロッパ系と言われていた。

 

 

私については不明としても、その日Tさんが来ていたシャツは

なぜか黒と灰色の縞模様・・それがユダヤの囚人服と重なった。

 

 

そのことについては、言えなかった。