そこからどう復帰したか、について今回は書いてみたいと思う。
まず、アウシュビッツ転生の友人(Tさん)から聞いて
なんとか自分の状態を知ることができた。
魂が抜けている対策として、彼女は
「ジャンクフード!」
を強調していた。
確かにエンパスの場合でもグラウンディングするために良いのはジャンクフードである。
「完全に人工的なものだから」
ということだが、
Tさんも意識が上に上がりがちだから、その必要性を強く感じているのだろう。
私もその頃カップラーメンやポテトチップ三昧の日々であった(笑)
といってもせいぜい1日に一回が限度であるが・・
その翌日はイタリアから古い友人・Zさんが展示に来てくれて
無論展示のためではなく、出張で仕事の合間を縫って足を運んでくれたのだが
8年ぶり、日本で会うのは実に25年ぶりだった。
実はあんまりボンヤリしているので、英語とか思い出せるのか不安だったが
意外に思い出せて話題もかなりシンクロしていて相当楽しい時間だった。
でも途中で彼女の仕事に不具合が起きてしまい、こちらは夜だが会社はイタリアで朝だから、電話でやりとりしつつになってしまった。
当初迷った食事の場所も、wifiがつながることが優先で結局居酒屋へ。
日本酒が並ぶ居酒屋然の雰囲気を彼女はよろこんでくれ、支払いも「仕事の経費だから」と払ってくれてしまい、結局自分のしてあげたことは何一つなく、
毎回いつもしてもらいっ放し。
いろいろ心配したことも結果まったく案ずる必要なかったと思うことばかりで
古い友人というのは流れた歳月をあっと言う間に飛び越して、また結び合うことができるのだな、と確認できた再会だった。
一方、その3、4日前だろうか
べつの友人(Sさんとします)が私の展示に行きたいと言ってくださって
何度かメールをくれていた。
結局お忙しくて、ご希望の日に都合がつかなかったのだが
Tさんと会った晩、あるものを送るからとメールが来た。
それはアロマだった。
昨年末、Sさんのセッションを受けたが
その時にも使っていらしたシリーズのアロマだった。
その時にも使ったかもしれないが
どこかで嗅いだことのある香りだった。
それをこめかみと眉間に塗ってみたところ
(いや、本当はアロマオイルは直接地肌に塗ってはいけない・笑)
何かがカチッとハマった感じがした。
視界がぐらりと揺らいで、自分の中に入ったような感じだった。
それでやっと、確かに自分は自分から少しばかり抜け出ていて、
このアロマのおかげで体に戻って来られたんだと思えた。
さらに、夢が少し思い出せるようになっている。
Sさんにその旨を伝えたところ
なんだかここんところ、どうしても会わなきゃと思っていたという。
どうも私は知らないうちにSOSを出していて
それをSさんがキャッチしてくれたようなのである。
すごいと思った。
どこかで嗅いだと思ったそれは、丁子だった。
そしてそのアロマが届いた翌日はアニマルリーディング。
2年前に他界したうちのウサギについて。
当初、1時間というセッション時間は多すぎる気もしたが
実際は結構あっという間だった。
いまウサギは食べることを楽しみつつ、仲間にも囲まれて幸せに暮らしているという。
死ぬ間際に偶然家族が集まれたのも、それが大切な目的だったので頑張ったという。
生前にしたことで気がかりだったことについても払拭され、あらためて動物は人間より愛情深い生き物であり、神性が宿っていると感じた。
そして供養について。
好きなようにしていいそうだが、お骨は私の部屋に持っていくと私にとっていいことがあるという。
ちょっとウサギ自身も部屋に行ってみたいらしいが。
それで帰宅後、自室に移動してみると
なんと、性的行為をしても憑依されない。
つまり、第一チャクラが空っぽにならなくなった、ということではないか。
夢も鮮明に思い出せた。
それも料亭のカウンター席ではあるが、かなり美味しい懐石弁当を食べるという、めったにない素敵な夢だった(しかし翌日の夢が天国と地獄張りのとんでもない夢だった・笑)。
動物を飼うとグラウンディングできる、とエンパスの本にもあったが
遺骨でも十分その助けになるということだと思う。
それでも夜中は魂が離れているせいか、微妙に憑依されている感じはあった。
(その翌日は大学の同じ研究室だった友人のオケを聴きに行くが、特に流れに関係あったような感じは意識できる限りではなかった。実際はどこかに影響してくれているのかもしれないが)
そして翌週、中高時代の友人から鉢植えのガーベラをもらう。
それで夜中の憑依もなくなった。
なんだかゲームのアイテムゲット、みたいな感じだが
友人からもらったものが一つ一つ解決の鍵になっている。
結局自分の肉体と魂を結びつけ、大地と結びつけるのは
天使へのお願いやまじない事ではなくて、この世のものであるというのが感慨深かった。
それもただのモノ、ではなくて、友人からの思いのこもったもの、だったからではないかと思う。
そして、必要なものは必ず与えられる、ということを学ばせていただいた
貴重な機会だったと思う。