カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

脳の可能性は無限

私の友人には美術をしている人は少ないものの(笑)
音楽をしている方は多く

 
ライブ等にお誘いいただくこともしばしばだが
 

「生の音」に接すると、CDなど間接的な音との違いに驚かされる。

特にレスピーギの「ローマの松」など、まったく別物のように感じた。

 
 
先々週うかがった友人のオケは、主にソ連時代の曲を演奏する共産主義ならぬ共産趣味な団体らしいが
 

ショスタコーヴィッチを聴くのは初めてだったので、ただ迫力に圧倒されるばかりだった。

でも赤いハチマキを絞めていたり、ヘルメットを被っていたり
アクションがあったりしてパフォーマンス性が高く、多面的に楽しめた。



いま展示中のカフェには奥にホールがあり、音響設備が整い防音もされているので
ライブや上映会などを楽しむことができる。

 
ひと月の展示中に毎週のようになにかしらイベントがあって、
第一土曜日はひな祭りで明治・大正・昭和・平成のひな飾りがならび
第三土曜日はマジックに紙芝居、どじょうすくい
第四は管弦楽のリサイタルだった。
 
 
で、先週は小・中・高校の同級生Mさんが来てくれたのだが
グランドピアノがあるのを見ると、早速弾き始めた。
 
その曲は彼女のバンド仲間W君が作った曲で、2013年1月に別のカフェでその曲をテーマにコラボしたのだった。
W君も中・高同期で、その前の週に来てくれていた。
 
この4年の内にはそれなりにいろいろなことがあり、音は様々なことを思い出させて胸に迫るものがあった。
 
その音で、彼女がすべて許してくれていることを悟った。
 
 
何よりもその曲は名曲で
 

やはり海に関するメロディ(私の展示のテーマも海)がひたひたと自分を包み
目の前に風景が展開されて目がくらむようだった。

 
その圧倒的な豊饒が自分一人に与えられていて、私はもてあまし右往左往する他なかった。
 
 
 
その曲だけで終わるかと思ったら、高校の風景から彼女が作った曲が展開され、さらに最近なんとメジャーデビューした、やはり中高時代の同級生Kさんのファーストアルバムから1曲演奏され、あやうく涙腺崩壊するところだった。
 
Kさんは歌が大好きで昭和歌謡を主に下町で歌っていたのだが、まさかこの歳でメジャーデビューするとは思っていなかった。
 

すでにTV出演は済ませ、そしてこの日の午後にラジオ出演が予定されていた。
彼女もW君が来た前の週に来てくれていた。

遠足のバスの中、延々とピンクレディや浅田美代子を歌う彼女の声が響いていた事を思い出す。

 
 

そこへ高校同級のTさんが合流する。
T
にはMさんが来ることは知らせていなかったので、サプライズとなった。

 
 

Tさんは帰国子女で、音楽業界で通訳等の仕事をしている。
T
さんもW君も同じ某レコード会社にいたが、Tさんはフリーになり、W君は転職した。

 
まだTさんが到着しない内、Mに「実は現在私の頭がおかしくなっている」と話したところ
懸案事項はやや違うが、どこか似たような感じであるという。
 
ご本人は更年期によるウツだと疑っている模様。
 
しかしそう考える理由が、今まで楽しかった仲間との飲み会に参加する意義が見出せない、というものだった。
 
それよりも彼女はセッションがしたいのだ。
音楽のない集まりに、意味が見出せない。
 
わざわざ都内に出たところでメシは美味くない、話もつまらない。
 
つまり、彼女の古い価値観が崩壊し、新しい価値観が固まってきたというだけのことである。
 
彼女が住んでいるのは海の近くで、その近辺で生活していたら野菜も魚も都内とは比べるべくもなく、特に用事がない限りは出たくなくなるのも当たり前と言える。
 
 
彼女の住む最寄り駅の改札を出ると、完全にモードが変わる。
 
日頃の些事などどうでもよくなってしまうのだ。
 
そんな天国にいて、都内に出て競争しようと考えられる方がどうかしている。
 
 
あまりにいいところだから、私もそこをテーマに絵を描くのである。
3ヶ月行かないと、矢も楯もたまらず行きたくなるのである。
ほとんど恋い焦がれているといって差し支えない感覚である。
 
 
というわけで私のいた中高は都内だが、かなりの人がその海に縁を持って通うため、飛び地とも言われている。
 
 
で、Tさんが到着すると、私は懲りずに彼女にも私の現在の脳の状態がおかしいことを話す。(笑)
 
 
その、脳内にカチッとスイッチが入って我に返った感じを、
彼女が4年に亘るウツからの復帰の時に似ていると表現した。
 
それまで寝ているばかりだったのに、ある日突然それは起きたらしい。
 
動けるようになってすぐに犬を飼うことを決め、ブリーダーさんに連絡を取ったそうだ。
 
 
それ以外にもあることをきっかけに異様なハイになり、アカシックレコードやオーラが見えるようになり、3時間くらいしか眠れなくなったことがあるそうだ。
 
その状態は1週間で収まったらしいが、忘れないようにあらゆることを記録したという。
 
あれは一つの躁だった、とも言う。
 
 
そう考えると、私に躁はないと思っていたが
実は3時間しか寝れない時期が躁なのかもしれないと思った。
 
その間は必ずしも他のことができるわけでもなく、効率的であるわけでもないが、書いたり作ったりするのに困ることはない。
 
 
どうも時期が来たらスイッチを切り替えて、
サバイバルに備え、脳の違う部分を使うようにヒトはできているのではないか。
 
 
彼女らの例を見ているとそのように感じる。
 
 
自分の脳もしかり、それまでは絶対的に文系脳だったのに
ある日突然理系脳になり、社会科がまったく覚えられなくなり
計算だけはできるようになる。
 
きっかけは同様に、ある種のショックだったのだ。
 
 
まあ自分の場合、それが時代の流れに必ずしも合っているとは言えなかった気もする。
 
 
そうしてあらゆる脳の可能性を試し、ヒトは進んでゆく。
 
 
彼女たちの話を聞いて、可能性は無限にあると感じた。
 
脳内も、自然も無限の豊かさを孕んでいる。
 
 
私はそれらを目の当たりにしてもてあまし、右往左往するしかない。
しかしそれがたまらなく楽しいのかもしれない。
 
それを料理するには、芸術は格好のツールではないか。
 
 
私は異邦人であり、ステイショナリー・トラベラーである。


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(写真は横須賀市・秋谷)