カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

あなたは、わたしと共にいま天国にいる

先日、小・中クラスメイトで高校も同じ学校だった友人Yについて書いたが

彼と私はここ6年ほどだったか?仲違いしていた。

 

それもその前に4年ほど仲違いして一度直った直後の齟齬だった。

 
 

で、先日共通の友人のライブで再開して、久しぶりに話をしたのだ。

 

やはり共通のクラスメイトEさんのことだった。

 
 

Eさんは去年4月頃脳梗塞で倒れ、一命は取り留めたが半身不随になってしまった。

 

Eさんは私たちとは別の高校に進んだが、YEさんとずっと親しくしていた。

 
 

その彼は、見舞いに行って目の当たりにした彼女の変貌ぶりに少なからずショックを受けていた。

 

彼女はとても可愛い風貌の人で、中学の頃は爆発的に人気があったし

だれかと付き合ったりしていた話は聞かなかったけれど、小中の中心的な男子とずっと行動を共にしていた。

 

確かに美しく、運動能力も高く、当時は私より絵もうまかったと思うし、成績も編入生だったので優秀だったし、どれを挙げてもできないことはなかった。

 
 

少なくとも、すべての点においてわたしよりはずっと優秀だったと思う。

 

なによりも、性格が変わったことに、Yはショックを受けていた。

 

ひどくわがままになったというのだ。

 
 

彼女の見舞いに行った人は、すべてそのわがままさに触れていて、

「以前の彼女だったら言わなかったようなことを口にするようになった」

と口を揃えていた。

 
 

しかし私には、どこか予想がついていた。

 

実は小学3~4年の約一年半、私はEさんからいじめられていた。

 

小学2年の時もっとも親しかった友人Wとの間にEは入ってきて、

その1年間ずっと一緒に居る感じだったが、無視されたり、大切なものを巻き上げられたり、そのわがままに振り回されていた。

 

もしかすると、彼女には人をいじめたという意識はなかったかもしれない。

 
 

しかし同様の被害?にあった人々は相応にいて、

小学4年の半ば、そうした人々が集まって彼女をボイコットした。

 

すると、ボイコットしてたった1日で、彼女は自分の親にその話をし、

親経由で担任の先生にも話が行った。

 

被害者の面々は、1年半近くずっとそれを我慢していたのに、である。

 
 

少なくとも、私は彼女にまつわる嫌な思いを親に話そうと思ったことはなかったし、それは友人たちもそうだったようだ。

 

しかし彼女のあまりに早いネの上げっぷりには、虚を突かれた感じだった。

 
 

彼女はあやまるどころか、逆に私たちが先生に呼び出され、謝らさせられて

どうにも不本意な結末だった。

 

その後、私たちはそれについて話をしたことはなかったから、各人がその時どういう思いを抱いていたか、確かめることはできないけれど、

 

納得の行かない思いを抱えて黙ることになったのではないかと思う。

 

少なくとも、私はそうだった。

 
 

真実はそのまま、闇の中に(笑)葬り去られた。

 
 

その後、彼女と行動を共にすることはほとんどなくなったが、

一見親和的ながら、時々他の人を誘っては私を無視をしてきた。

 

それは中学生になっても続いたが、私にははっきりした理由がわからないままだった。

 
 

そのようなわけで、中学から親しくなったであろう他の人がいくら彼女のことを良く言っても、私はそれを信じる気にはならなかった。

 

しかし彼女が倒れてからは、彼女の変貌振りに困惑しているという話を、見舞いに行った人からはほぼ漏れなく聞かされている。

 
 

つまり、それが本当の姿だったということだろう。

 

2012年末以降、隠された事柄がすべて明るみに出る流れになっているという。

 

だから、バンパイアも明るみに出たのだ。

 

いま考えれば疑いようのないことも、以前は闇に包まれていたが

いまはもう隠しておくことはできなくなったのだ。

 
 

そして彼女はリハビリで大変な時を過ごしているようだが、

彼女の精神的な闇が解放されたのは、彼女に取っても良かったのではないかと思う。

 

この何十年か、無理を重ねていたのだから

心理的な負担は減ったに違いないのだ。

 
 

話は戻るが、先のYは後日、Eさんの転院の情報をメールで送ってきてくれた。

 

再会した際、Eさんのお見舞いに他のクラスメイト2人と行くとは伝えてあったが、これだけ仲違いしていたのに、それを知らせてくれるとは思っていなかった。

 

再会時、話をするキッカケを作ってくれて、普通に話をしてくれただけでもありがたいと思っていたが、なんと心の広いことかと感じた。

 

スピリチュアル的に言えば、私はたぶん、この寛容さを感じるために、仲違いする経験を選択していたのだろうと思う。

 

どんないいことも、悪いことの下敷きなしには感じることができないからだ。

 

つまり悪いことはいいことを感じるためにある。

 

単体で悪いことというのは、存在し得ないのだ。

 

悪いことはいいことであり、いいことは悪いことだ。

 

宇宙的にはいいことも悪いこともなく不可分だが、ただ現象界ではそれらが二つに分かれるというだけだ。

 
 

Yはそれを教えるために私の前に現れてくれた。

 

そう考えると、私たちは必ずしも仲が悪いとか、相性が悪いとは言えない。

 

なんでも言えるのは、そこに信頼があるからだ。

 

私は信頼していなかったけれど、Yは私を広い意味で信頼してくれていたように感じる。

 

表面だけでない信頼を、Yは教えてくれた気がする。

 
 

Yとのつながりを心からありがたいと感じた。

 

短い期間だけではわからないものもある。

 
 

そうとすれば、バンパイアとの中にも、実りある事実は隠されているのかもしれないが・・

 

そしていまYと仲直りしたからといって、またEさんのお見舞いに行って話をしたりすれば、また一悶着ないとも言えない(笑)

 

でも、時空を超える信頼と言う経験を今回はさせてもらい、次元の上昇を具体的に感じることができた。

 

いい悪いという判断は結局無意味なものだ。

 
 

すべての経験はよいことであり、すべてが完璧に仕組まれている。

 
 

今月10日にシフトを入れようとしたが、どうやっても埋まらず

結局あとからかなり重要な用事ができて、仕事が入らなくてよかったと思った。

 

病気も、ただ自分の体が正しいために起きている。

 

どこにも間違いはなく、不都合もなく、ただ神の計画は完璧だ。

 

私たちは未来のことも見えていて、固定の価値観も超えていて、すでに時空を超えている。

 

心配することはないのだ。

 
 

ただ、楽しめばいい。

 

楽しむとは、喜ぶだけではなくて、その時その時に自分に寄り添い、悲しみも怒りも経験することだ。

 

ただその時、自分と共にあることが天国だ。

 
 

「あなたは、わたしと共にいま天国にいる」

と言ったのは、磔台にいたキリストだ。