カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

私、ADHD、かもしれません(その1)

どうも、先月記事をupしなかったのは、展示等に関する諸用があったのに加えて、こうしたことが判明し、
 
少なからずショック~受け入れ~立ち直り
 
という状況を経ていたためである(笑)
 
 
医療機関で断定されたわけではないが、
可能性は高い(と思う)。
 
娘は、通っている心療内科のテストで判定を受けたわけではないが、
グレーゾーンではあると指摘されたらしい。
 
その娘によると、自分より母親(私)の方が、程度がひどいと
つねづね感じていたらしい(笑)。
 
「なんで言ってくれなかったのー!?」
と思ったが、傷つけると思ったし、信じないと思ったから、らしい。
 
 
ただ本やサイトによっても、微妙に症例に違ったところはあり、
 
このサイトでは当てはまらない部分が多いが、あのサイトではほぼすべて当てはまる、
といった感じなので、まだいまのところ確定と思えずにいる。
 
 
たとえば、私が持っているアメリカの翻訳本にあるような
「犯罪傾向があり、その衝動が抑えがたい」
という項目については、当てはまらないような気がする。
 
 
確かに、寺ではいくつかの犯罪に手を染めてたっちゃーそうだけど
それは自分がしたかったわけではないから(笑)
 
 
ADHDというと、授業中に座っていられなくて、すぐ教室から出て行ってしまうようなイメージがある。
 
小学生の時、クラスにそういう人がいて、1年生の最初の一ヶ月くらいだけ、そのような感じだった。
 
以後は、確かに行動は早く、またけんかっ早いところはあったが、授業を抜け出すようなことはなかった。
 
どうも全体に生き急いでいるようなイメージの人だったが、頭脳は明晰で成績も良く、ご両親が開業医であることもあってか、医学部に進学した。
 
しかし医大で新任の医師として働いていた時、過労がたたって、急患の連絡を受けて車を走らせていた際、ガケから落ちて命を落としてしまった。
 
彼とは小学校の6年間、中学の2年間を同じクラスで過ごし、高校のクラスは別だったが、同じ学校で過ごした。
 
その彼のイメージがあるから、自分はADHDではないと思い込んでいた。
 
私が育った当時は「ADHD」なる用語があったのか定かでなく、少なくとも巷で目にすることはかったし、そういった概念があったかも知らなかった。
 
ただ当時もすでに、授業中に座り続けていられない子が一定数いたのは事実だった。
 
 
 
また、近年オーラソーマ関連で知り合った友人Mさんは
自身がADHDであることを自覚されていたし、公言していた。
 
 
確かに彼女の話はとりとめもなく、飛躍も激しく、話題の切り替わりについていくのがやっとで、たまに私の話を聞いてくれることもあったが、8~9割方は彼女が話し続けていた。
 
まあ、概ね私は誰といても自分の話はほとんどせず聞いていることが多いので、そこからすると相手が話し続けるのは特異なことではないし、女性には感覚的・感情的に話を進める人が多いから、難解なのは彼女に限ったことではない。
 
しかし彼女は普段の行動についてもあまり落ち着いたところがなく、初めて二人だけで会った時、財布を忘れてやってきた。
 
FBの記事を見ていると、かなり高頻度で財布を忘れていて
自宅にだけでなく、ATMなどにも置き忘れ、それでも必ず手元に戻るので、不都合はないようだった。
 
そのうえ興味の対象が極めて広く、それらをやり尽くしては、何かしら新しいことに挑戦していた。
 
最初の出会いはオーラソーマの講座だったが、二度目に出会ったのは別の友人のベリーダンスの発表会で、彼女も舞台に立っていた。
 
しかし空間認識ができない、その他諸々の理由でベリーダンスからはおそらく一時的に身を引き、その後は武術だか合気道の教室に通っていた。
 
興味の対象は概ねスピリチュアルなことだったので、それぞれがまったく脈絡のないことではなかったが、内容自体がかなり奇抜というか、
「スターシードの合唱隊」
なるものにも参加していた。
 
それなのに親しくなり始めてから約1年半後、「スピリチュアルから脱却する」と聞いて、私は混乱していた。
 
「天使」や「チャネリング」について強い拒否感を抱いていたようだったが、
オーラソーマ」は体系化された学問であるから、彼女の中ではスピリチュアルの範疇に入らないようだった。
 
その後諸般あり、私は彼女と距離を取ることにした。
 
そうした彼女の様子を見る限り、自分もADHDであるとは考えられなかった。
 
 
ところが、その後ある人、仮にCさんとしますが、その人と交流する内、そのあたりが揺らいで来る。
 
 
Cさんは自作の歌をライブハウスで歌うミュージシャンであり、ある楽器演奏の先生でもある。
 
その上絵も描き、銀座の料理店でもアルバイトをしていて、料理の腕前も相当。
 
どこからどう見ても右脳人間である。
 
で、FBの投稿を見ると、ますます才能のほとばしりが甚だしいのだが
電車を逆方向に乗ったり乗り越したり、自転車を乗って行ったのに忘れて電車で帰ってきたり、その辺で迷っていることは日常茶飯事。
 
迷いやすいのは、大学進学のために初めて地方からこちらに出てきたから
土地勘がないためだろうが、それを差し引いても少し慌て気味な印象だった。
 
学歴を見ると相当優秀な人ではあるようで、その辺りのギャップがどうも私には整理がつかずにいた。
 
こなすライブの数もたいしたものなのだが、イベントの企画力もすごくて
その段取りの手際よさを見ていると、普段のちょっとウッカリさんで右脳バッチリの様子と、かみ合わない気がしていた。
 
 
話を聞くと、「やる!」と決めて注意がそちらに向いている内は、問題なくできるのだという。
 
そのあたりは、左脳も生きていて、右脳と左脳の切り替えがうまくできているように見える。
 
彼女に言わせると、それは左脳ではなくて、あくまでも集中力が続く間はどうにかなるのだということだった。
 
私の場合は音楽の脳がなく、もう一方は文を書く脳なので、絵の右脳と文章の左脳との二本立てで、それらは切り替えで動き、同時に動くことはほぼない。
 
で、絵の描き方は私と同じく、下書きはなく、集中している間は描き続けられるという。
 
中断してトイレや食事などに行くことはできない。
 
中断すると意識が変わってしまうので、絵柄も変わってしまい、描き続けられない。
 
私の場合、集中できる時間自体が短く、20分からせいぜい1時間だが、彼女はその点はもう少し長く描いていられるようだ。
 
 
また「片付け」について聞けば、「収納されているものは使わないもの」で、「使うもの」は全部外に出ている。
 
つまり片付けられない。
 
 
その場には彼女の旦那様もいらしたのだが、ちゃんと片付けられる人だから、それを聞いて少し呆れ気味だった。(笑)
 
しかしその点も彼女と私は似ていて、彼女も
「同じタイプの人に初めて会った!」
と言っていた。
 
私は自分のそうした傾向をかなり気に病んでいたので、似た人に出会えたのは嬉しかったのだが、一方で「もしかして・・」と思うところもあった。
 
 
細かい話を聞けば聞くほど、彼女と私の傾向は似ていたからである。
 
 
私は土地勘があるので、都内でそれほど迷うことはないが、
無意味に電車を反対方向に乗ってしまったり、意識が空白化して乗り過ごしてしまう。
 
また、降りなくていいところであわてて降りてみたり、行き先を見ているのに
しっかり認識していなくて、目的と違う方向の列車に乗ってしまう。
 
間違え方の傾向は多少あって、
京王線は毎日乗っていたから乗り間違えないが、小田急ではしばしば間違えてしまう。
 
また、東西線と都営新宿線に関しては、よく間違える。
 
で、服の前後ろや裏表は4回に一回くらいの割合で間違えていて
出先で気づく。笑
 
それを言ったら、さすがにCさんも呆れていたが・・笑
 
なので、ブラジャーの裏表を間違える話については、絶対共感は得られないと思って、話さなかった(笑)
 
紐のついた服についても、結ばず出かけてしまうことがほとんどなので
ひきずっていて、出先で知らない人に指摘される。
 
しかし先日はバスの中でもだれも指摘してくれなかったので
気づいた時は新宿駅のトイレで、あわてて結んだ(激ヤバ・笑)。
 
(「私、ADHD、かもしれません(その2)に続きます。)