ゴタゴタしていたため、ご挨拶が遅くなってしまいましたが
神宮前Q Gallery「茅原敦子展」にお出でいただきました方々には厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。
ビルオーナーはじめ、ビル内外の方にも好評だったように思います。
で、搬出の日に片付け後、少しお話をしたのだが
茅原さんは某国立大教育学部附属の小・中学校と、旧制中学だった地元の進学高を出ていらっしゃるらしい。
そう聞いて、音楽にも美術にも才能を発揮するほぼ完全右脳タイプに見える茅原さんが、どうしてイベント立ち上げの際にそつなく滞りなく煩雑な手続きをやり遂げるのか、わかった気がした。
彼女によると、私のような右脳・左脳切り替えタイプではなく、集中力のなせる技だそうで、一旦気が向けばやりこなせるのだと言う。
でも手続きとしては左脳を駆使する場面も多いので、切り替えがうまくできているのではと思われる。
で、そういう小・中学校だと、実験材料にされるから、変わった授業が多いよね、と言う話になった。
教科書はまったく使わないで、先生の決めたカリキュラムで授業が進む。
だから高校に上がった時、教科書を使っているのを見てびっくりし、授業について行けなかったということであった。
私は附属の高校だったので、そのあたりは変わらなかったが、授業のレベル自体が上がっていたのでついて行けなかった。笑
で、音楽の授業で、小学校ではビートルズやカーペンターズを聴きながら踊ってばかりいたという話になり、さらにドラムの試験があって、合格しないと音楽室にあるドラムを休み時間に叩いてはいけないという話をしたところ、
茅原さんはウクレレやピアノ、ギターを弾きこなすミュージシャンだが、
もともとはドラムだったらしい。
それも、小学校の時に先生が、そうした国立の先生方が集まる機会に他校の先生の発表だかを聞いて、
「よその附属では生徒全員が、右手左手と足で違うリズムを取って、ドラムを叩く練習をしているんだぞ。そんなのお前らできるか?」
と、言ったらしいのである。
「そ、それうちだわ!」
と、思わず叫んでしまいました。
念のため、私は叩けなくてドラム触らせてもらえなかったことも申し添えました。
で、茅原さんは、「そんなのお前らできるか?」と先生に言われたことがものすごくくやしくて、
「じゃあ私がやってやる!」
と、独学で猛練習し、叩けるようになったとのことである。
その先生の言い方もひどいけど、彼女のパワーにはひたすら脱帽敬服であった。
で、なぜ今はドラムを叩いてないかというと、「バンドの一番奥で目立たなくてつまらないから」ということで、さらにさらに敬服したのであった。
どれをとっても、私にはない思考形態である。
私の辞書には、人前に出て行くという文字はない。
さすがミュージシャン、そのあたりが違う。
で、うちの小学校はそんな感じでひたすらロックだったのに、中学に上がると
「バロック一辺倒」
という極端な先生によって音楽教育が取って代わられたのである。笑
バロックオンリーだから、ロックは当然のこと、もちろんロマン派とかも禁止。爆。
で、三年間、レベル分けされた小グループで
ひたすらリコーダーのアンサンブルが行われたのであった。
上級生にはそれこそ、神のごとくうまい人々がいた。
それにしても、自分たちの受けた授業が、そんな風に他校の人の運命を変えていたなんて。
私は社会に出てからも、意外に各所の国立大附属小・中学出身者に出会う機会が多いのだが、
卒業して40ン年振りに、数奇なつながりを知ることになったのである。笑