(「スカイプ越しの集い・その1」より続きです)
死をめぐって同じ場所に居合わせる人には、特別な縁を感じるのが常だ。
K先生も、親しい人の死を境に、進む方向も新しくなるのが常と言われていた。
K先生が取ろうとしているスタンスも理解できるし、シンパシーを感じる。
やはりこのK先生の講座で2012年に知り合ったMさんという人には、かなり共感も覚え、親しくしていたが、昨年縁が切れてしまった。
Mさんはオーラソーマに対し、かなり原理主義的な人で、一昨年もK先生のスタンスには異を唱えていた。
もともとMさんは、K先生とは違う入り口からオーラソーマに入っていた。
考えてみれば、Mさんとは、2014年に再会してから急激に親しくなったが、蜜月はたった1年しか続かなかった。
その間、K先生のスタンスも変わり、過渡期を迎え、私もK先生とは離れるように思っていた。
しかしMさんに対しなんとなく違和感を覚えたほぼ1年後、彼女とは違う道に行くことになり
気づいてみれば、K先生の新しい立ち位置に共感を覚えるようになっていた。
2012年から今年の夏までに、さまざまな場所で関係の組み替えが激しく行われたように思う。
今回の表明で、MさんはもうK先生のところに来ることはないように思える。
私は結果として、いまもK先生とご縁をいただいている。
そして今までスタッフの顔ぶれはいろいろ変わってきたけれど、A先生は変わらずずっとK先生を支えてきた。
K先生の方向性もおそらく変わったが、それについて来られた筆頭が
A先生ということだと思うし、同志と呼んで差し支えないということだろう。
また、ただシンパシーを感じているだけであそこまで補佐はできないと思うし、
どこか特別な縁でつながっていると思える。
これから先、どのような展開を迎えるのかはわからないが、スカイプ越しにこの顔ぶれで集えたことを喜びたいと思う。