またこの日、Tさんの生い立ちを少しばかり聞いた。
以前断片的には聞いたことがあったのだが、Tさんは話があまりうまくないのか、いつも今ひとつなにを言っているのかわからなかった。
それによると、実父は3回結婚していて、Tさんとお姉さんは2番目の奥さんの子供だという。
その人がほどなくして子供を置いて出て行って、Tさんたちは3番目の奥さんに育てられたらしい。
育ての母はとうに亡くなったらしいが、一応普通に面倒は見てもらっていたようである。
しかしそう聞くと、うちの父親の境遇に少し似ていると思わなくもない。
父の母、つまり私の実の祖母は、父が14歳ころに暇を出されてしまったという。
その後は後妻である、私が大きくなるまで本当の祖母と信じていた人が家に入って来たそうだが、もう父も年齢は行っているのですでに祖父の仕事を手伝っていて、面倒を見てもらったというほどもなかったようだ。
父はその新しい祖母のことを大切にしていた。
逆に暇を一方的に祖父から出されたはずの実の母親のことをずっと憎み続けていたと思う。
その影が、私の母に対するDVにつながったのだと思う。
何が祖母との間にあったのか、父は私が問い質しても死ぬまで話をしようとしなかったので、何もわからないが、
父の女性に対する不信感は普通の様子ではなかった。
私への異常な厳しさも、同じところから来ていると思われる。
祖父が実の祖母を旅行に行かせ、その間に新橋から身請けした後妻である祖母を家に迎え入れ、実の祖母はそのまま暇を出されたと、伯母や母からは聞いている。
これだけ聞くと実の祖母は被害者であるように聞こえる。
また、伯母たちは後妻である祖母を強く憎んでいたし、他の親戚も良く言う人はあまりいなくて、家が傾いたのも彼女のせいだとまで言う人が少なくない。
たとえ父が過度に反応していたとしても、そこには並ならぬ事情はあったと考えられる。
ただ、思えば、父は晩年には少し考えを変えていたように、今では受け取れる。
そのキッカケが、おそらく浮気だったと思えるのだ。
それも、私と話をした人ではなく、たぶん実兄の奥さんで、私には伯母にあたる人だが、その時はすでに未亡人だった。
父は祖父と実兄の死後、その残務処理のために長いこと九州にいた。
おそらくその間に、伯母と交渉があったのだ。
それ以前と以後では、雰囲気が大きく変わっていた。
許容量に差があるのだ。
それまで、私は父親に受け入れられている感覚が全くなかったが、その期間を境に、大目にみてもらえる機会が出てきたように思う。
そして、最終的には絵で食べていこうとする私を許してくれた。
それも、今思えばだが、浮気のおかげだと思う。
一般的には許されることではなくても、父には必要なステップだったと思われるし、私的にも最終的には歓迎すべきで必要なステップだった気がする。
だから、必ずしも悪いことであったと、私には位置づけられない。
あの浮気がなければ、父は死ぬまで救われなかったに違いない。
一人の女性に身も心も受け入れられたことで、何かが大きく変わったのだ。
結局すべてが最善で、ムダなステップはないのだ。
そう考えると、Tさんにも癒される必要があったのかもしれない。
また少なくとも、父親という男性像から受け入れられなかった私にも必要なステップだったと思う。
形はどうあれ家系的にも、ひいては地球的にも、自分の代以後にベストな結果を残せるような選択を無意識のうちにしていたと思うし、とりあえず満たされたという意識を発信できたことが、世界全体に、または集合意識的に貢献していたと思う。
そう考えると、個人的に満たされることは、世界全体にプラスに働くのである。
個人の満足と社会の満足は不可分で、一体なのだと思う。
また父親と似たパターンをたどった人と、そういった父親に育てられた自分が出会うというのは、破れ鍋に綴じ蓋感があり、道理だと思わなくもない。
縁がある、引き合う、関係が続くというのには、相応の理由があると思う。
いい悪いというより、過去世での事情なども含めて、会っているのが自然という理由が隠れたところにあるのだと思う。
だからと言って、そのままでいいとも言えないが。(笑)
どんな事情があっても、どんな欠乏感があっても、それを自分で埋められると感じられれば人に求めることもないのだと思う。
ただ、自分で自分に寄り添えばいいのだ。