カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

自分軸と他人軸(祝・離婚成立)

先々週末、ようやく離婚が成立した。


ものすごい重責から解放されたような気分になり


それでも生きられていることに、まず、感謝した。


後悔はなかった。

まあ、もしかするとこの先、後悔することがあるのかもしれないが、いや、なさそうだが

当面は安堵感でいっぱいだ。


そんなに悩むこともなかった、とも思うし

もっと早くすればよかった、という気も。



いや、子どもの大学卒業と、思い立ってから1年経っていないのだから

税金の計算的にもベストなタイミングである気もする。



実はまだ今までと同じ場所にいて
同じように生活しているので

戸籍が変わった他、特に変化はないのだが



というのは子どものウツの件があるので
基本、週5は変わらず元の場所で過ごして
残りの2日、他所で過ごしつつ、新しい拠点を探し

一年以内には拠点を移すつもりでいる。

子どもの状態を見ながら流れを決めることになるが、

言い訳すれば子どもとネコには未練があるからだ。


バンプリズムのことを考えれば
子どもを連れて出た方がいいのだが


子どもはネコを捨てて出ていくことが不可能だし、父親に愛着もあるようで

それが本人の意思でもある。


私はもらえないものでも
子どもなら父親から受け取れるものがあるし

せっかくだからもらった方がいい。


私は離婚に際して、基本もらうものはなく
週5日食事を共にする分については実費を受け取る、という条件にしたので


とりあえず、食うに困る分はない。



しかし、籍を移動させたことで

急速に道が分かれて違う地点に来た、という気はする。


寺を出た時もそうだったけれど

どんどん以前の状態が過去のものになり
遠ざかっている気がする。


後戻りはできないし
その流れを止めようもない。


この新しい立ち位置から見えてくるものがある。


いままで見えなかったものが見えてくる。


それは、いかに自分軸でいなかったかということだ。


私は最後の最後まで
相方に対して心穏やかでも優しくもいられないことを自責し、罪悪感を覚えていたが

罪悪感は、自分軸でいない状態、
他人軸であることの表れだ。


「なぜ、私はいつも怒っているのだろう」
と、自問している自分に気づく。


程なくして
「でも、それはいつも、毎日間断なく
苛まれているから」
と、返答が来る。


そうだった。

それがたまのことなら、まだ穏やかに接する機会もあったかもしれない。


しかしサイキックアタックは、途切れることはなかったのだ。

油断をして心を開けば、すぐに持っていかれてしまう。

常に、防御していなければならないのだ。


そうして微妙に軸がシフトして視点が変わると、見方が徐々に変わってくる。


相方自身に悪気は全くなく、無邪気であるから一層こちらに非があるように見えてしまう。

しかしどんな人も基本、自分の意見は正しいと思っているから、悪気はない。

正しい意見と正しい意見がぶつかっても、一方には正しく、一方には間違って見える。それだけだ。

どんなに正しい意見であっても、もう一方に受け入れられなければ、それは間違っていることになる。

その譲歩を全く行って来なかったのが相方だったのだ。


その考えは、いつも自分を利するように進められてきた。

どの人も、基本そういう姿勢はあるとは思う。

しかし彼が独特だったのは、自分を利するために、相手を犠牲にすることをためらわない、という部分だった。

というか、それがあまりに自然すぎて、全くおかしいことという意識がなかった。

それに反対する人こそ異常、という目線だった。

つまり自分軸しかなさすぎて、他人を考える余地が極端に欠落していた。

彼の両親についても、その傾向は顕著だった。

つまり四六時中、他人である私の存在は無視されている。

身内については、歴然と待遇が違うが

地方の、家の意識がはっきりした人というのは、どこもそんなものだろうか。


しかし、四六時中無配慮な態度に、私は怒りを覚えずにいられなかった。


この28年間、そうした薄い毒を含まされながら、それでもするべきことはして、真っ当に生き、ポジティブな意識を持ち続けようと、

さらには、感謝しようと思ってきたが


正直、彼の行動は、サイコパス以外のものに見えない。

ブロ友さんが、サイコパスと話をすると精神異常に追い込まれるという話を書いていたが、全くその通りだと思う。


身近な人が2人ともウツに罹患して、無気力になり、一人だけギンギンというのは、どこかおかしいと思う。


それも毎日仕事をしていながら全く疲れず、睡眠も4時間程度しか取らず、周りの人間が死んだように14~5時間も寝ている。


最初は彼は虚弱で、胃腸をよく壊しては休日・夜間診療にかかり

休みの日は遅くまで寝ていて、日中もゴロゴロしていた。

そうでなくなったのは、 いつ頃だったろう。



しかしほぼ自己中心的な人間と、ほとんど他人軸の人間は、組み合わせとしては充分起こり得る。

魚心あれば水心という通り、それは引き合うというか、嗅ぎつけることは可能だと思う。

当初、結婚したいとは思っていなかったが、自分にはある意味必要な人物ではあったのだと思う。

私はこれほどまで自己中心的な相手でなければ、自分を大切にしようとは思わなかったのだ。

相手も私と同じような人間だったら、私は遠慮してずっと他人軸のまま生きていたことだろう。


そしてこれほどひどい人間なのだから、自己主張して然るべきという、エクスキューズをしているのだ。

何という、奥床しさ(笑)


このような人間でなければ、私のカラは壊れなかったということなのだ。



縁が切れると、霊的に動くものがあるのも、いまは感じている。


28年間、間断ない攻撃に、よく耐え続けたと思う。

やはり離婚して、よかったと思う(笑)。