カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

仙骨から抜けた父

昨日、戸籍抄本を取りに行った。


戸籍は届出を出して2週間くらいで書き換えが済むので、写しが必要ならそのころに行くよう、区役所から聞いていたのだが、

ちょうどそのタイミングで夢を見た。


昔の家にいる夢だ。


当時の間取りそのままで

「ああ、ここに寝るのか」
と、擦り切れて日に焼けた畳を見て苦笑する。


間取りはそのままだけれど
ものがほとんどない。

色彩もなく、白茶けて現実感もない。


ほとんど浄化が済んで、引っかかりがないからだろう。


父はいつもの通り寝具を台所に運んでくるが、それも本人も白一色。

そして表情もことばもないのは
故人だからか。


ほんの3年くらい前まで
父は夢の中で饒舌で
生きている感があった。

夢の中では何とも感じていないが
夢から覚めると違和感がある。

それまでは快活だっただけに
あそこまで生命的な手ごたえがないと
さすがに「死んだ人感」がある。

それを寂しいとも思う。


で、寝る前に牛乳を飲もうと
昔の小さい冷蔵庫から取り出して
見覚えのあるコップに注ぐ。

冷蔵庫内もがらんとして
牛乳くらいしか入っていない。

喋らないけれど、父も牛乳を飲もうとしている意思はこちらに伝わってくる。


しかし手にとったものをよく見るとコーヒー牛乳で
これでは父はだめだろうと思う。


そこに母が来て牛乳の効用を説き始め、私とは意見が合わない。

さすが生きている人間の抵抗感であり生命感である。

意見が相容れないまま夢が終わる。


戸籍的にも今の状況をちょうど表しているような感じの夢だ。


ただ実際の父は牛乳を飲んでいたことはほとんどないと思う。


酒かコーヒー、水、茶以外を飲んでいたところは
ほとんど見たことがない。


牛乳が意味するものは何なのか。


そして父が夢の中で喋らなくなったのは

私が昨年の2月にあるチャネラーさんからヒーリングを受けた以後だと思う。


私の仙骨と背骨に入り込んでしまった父親の意思を、その時に抜いてもらったのだ。


それまではおそらく父が霊的に私の体を一部乗っ取って生きている感じだったのだろう。


その効力がなくなり、父は本当に故人となったのだ。

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(多摩川沼部駅前の「喫茶 ビット」にて、ブレンド。)