カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

やる人、やらない人

人のすることに、後から意見するだけの人がいる。

自分がやることはない。

手を動かして実際に取り組むより、話を聞いて知っているだけの方が、よくわかっていると思っている人がいる。


やる人間より、やらない人間の方が賢いと思っている人がいる。


だれかにやらせる分、上だと思っているらしい。


でも自分でやる人は、やらない人の知り得ないことを知っている。


実際にする人のことを、しない人は決して理解できない。


評論家には、絵描きより絵を理解しているように思っている人もいるようだけれど、

絵描きの事実を、評論家が知ることはない。


毎日動物の世話をしている人の気働きを

たまにエサをやる程度の人が理解できることはない。


毎日食事を作る人の台所の使い勝手を


年に一度か二度手伝いする程度の人が
理解できることは決してない。


しかしたまにやるだけの人が


ほとんどしないで知っているだけの人が


「私はやる人より知っている」
「俺のやり方の方が理にかなっている」

そんな風に言うことがあるが


私はそういう人のことばを決して
信じることはない。


正直に言えば、私も実行をためらうことも、先延ばしにすることもある。


でもやらずに後悔するより
やって後悔する方がいい。


というわけで、私はその人に言った。


「おまえ(おまえ呼ばわり・笑)は全然やってない!」

「おまえの論理は、やらない人間の論理だ!」

「今まで一度か二度やっただけで、やった気になるな!」


論理をこねくり回し、詭弁を使い回して自分の正当性を主張するその人に、地方の下級官吏の雰囲気を感じた。


その人の血筋には、そういった役職の人が多い。


自分は動かず、いかに下の者にさせるか。

その癖が、DNAに染み付いているのだろう。


私は士農工商で言えば「工」

自分がまず動かなければ、何も生まれない。


どんな場所にも、やる人とやらない人がいる。

「士」でも、やらない人がいる一方で
やる人もいる。


私からその言葉を浴びせられた人は、そういえば大極殿跡地に住んでいた。


その価値観を、疑うことはないようだ。


それもひとつの道ではあるが


実行はしないけれど
知る努力はするんだよね(笑)。