カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

化け物大集合(笑)

先日、元姑の四十九日法要があった。


かなり気後れしたが、頑張って向かった。


朝早いのでさすがにオール鈍行は諦めて
新幹線を小田原から使った。


ここでも「本家の人」が
ナニゲにちょっと偉い人っぽかった。

ちょっと格差というか、距離感を匂わせている。


私だけの気のせいかも知れないけれど
私と違う人種であるのは間違いない。


昔ながらのものを、ただひたすら所有し守り、残す

そのために生きている人々

そういう人も必要、それもなるべく多く、
なのだろうが

というのも、「私」という人間にまで命がつながれて来たのは、間違いなくそうした人々の努力があったからだろうから。

でも少なくとも、私はそういった努力はしない。


移動のバス中などでもれ聞こえる話題が、
下世話過ぎ(笑)


いや、すべての人は生きている以上、そうした下世話な部分は持っていると思う。

身内だからカッコつけることもない。


たまにしか会わないのに、いきなり深い話に突入ってのも引かれそうだし。


でも、3次元だけに縛られているのもつまらない。


金の計算と、勝ち負けと

人生は、そんなことだけからできているわけではない。


なぜ生きているのか考えること無しに
枝葉の人生を楽しむ気になれるのか。

葬式用のネックレスの質がどうだとか

気にならないと言えばウソになるけれど
人前で話す話題でもない。

彼らは生きる根源のところから離れて、仮初めの姿で乱痴気騒ぎを繰り広げているように見える。


合わせるにも限界がある。


娘は途中で体調を崩してしまい
会場から出てしまった。

私はなんとか食事は取れたから
毒に対する免疫はあるのだろう。

すでに毒されているとも言える(笑)


早々に引き上げて最寄り駅に着くと
娘は急に元気になって弁当を物色し始めた。


ついでに買ったシュークリームを合わせても足りず


グリーン車の販売員におにぎりの有無まで尋ねるが

残念ながらなかったので到着駅で買い込んでさっさと一人で自宅に向かい、夕飯前にすべて消費してしまった。


帰ってから丸2日、私もぼろ切れのように疲れていた。


今後こういう集まりには出ない。


当然とは思ったが、元姑は四十九日の夢に出て来なかった。


どうも元夫の夢にも出て来なかったらしい。



普通身近な人の夢には出て来るから、忘れているだけかもしれない。


死に目に孝行娘や夫(舅)は排除して
わざわざ息子だけ残したくらいなのだから。


普通危なくなると近親者がドクターから呼ばれて、皆まわりに集まって看取ると思っていたけれど


そのきざしがないくらい急だったのか。


前日に危篤であることを義姉が連絡してきた時も
病院からだったのに


死に目に元夫しか合っていないというのは
よほどのことだと思う。


こういう時は魂の感覚で人は動くので
不思議な話には限りがないが

だからこそ強い執着のようなものを感じてしまう。



先月末、音楽を教えている友人に会い、話を聞く機会があったが


男の子と女の子、どちらが可愛いか尋ねると
それは、断然男の子なのだと言う。


理由は、女の子は少し大人びていて、可愛げがないからだと。

教える身からすれば、そういうことか。


そして、「本能的なもの」だと。



そう聞いて、ビックリするような納得するような。



というのは、男の子と女の子がいれば、
私には絶対、女の子の方が可愛いからだ。


まず目を引くのは女の子だし、
華やかさも違う。


仕草も可愛らしいし、目が離せない感じだ。


そう話したが、どうもそれはその人によると、女性にしてはかなり特殊な感覚らしい。


男親にとっては、普通の感覚かもしれない。



それで気づいたのは
私は幼少時代に強いトラウマがあるから
女の子が気になるのではないか、ということだ。

男の子はどうでもいいが
女の子が泣いていたら
尋常な気持ちでいられない。


女の子に傷ついて欲しくない。


男の子を見ても、可愛いと思ったことはほとんどないし

もし自分の子供が男の子だったら
絆をうまく作れず、虐待してしまったかもしれない。


子供が2人以上いたら
優劣をつけてしまうと聞いたことがある。


人間だから
感情があるのは仕方ない。


女親であれば男の子の方が合うというのもわかる気はするが


私の母は少なくとも分け隔てはしなかったし

父も弟の方を愛していたとは言え
私を死に目の席から外すようなことはなかった。


しかし元姑は、それをしたのだ。


そこに強い執着が働いていたように、私には見えてしまう。


死の瞬間に、元夫の体に入り込んだかは定かでないが


そして元夫もそれを望んだのかもしれないが


親子の関係は基本、対等ではないのだから
親側のエゴが優勢になる。


親がエゴを断ち切れないと
結局子供にツケがまわることになると思うのだが


それを敢えて選んだということだろう。


私とは縁が切れているので
それでいいのかもしれないが。


やはり切っていて良かったと
思わざるを得ない。