カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

強靭な生命

私がネンザした翌日から、ネコが便秘になった。


月曜・火曜・水曜と出なくて、ネコ自身も出そうとするが、いきむので尿が出てしまう。

普段は決まったところでしかしないが、
こうなると至るところで排尿してしまい、
その後始末に追われる。

少し食べても吐いてしまい、食事もしなくなるので、ますます出なくなる。

まずいと思った木曜にはかかりつけの獣医さんはお休みで、仕方なく金曜日の朝いちばんで連れて行く。


ちょうど前年の、少し前だが
私が新聞の販売店で仕事を始める少し前から
同じような状況になった。

つまり、おそらく私の心身の影響を受けてしまっている。


去年は血尿が出ていたからもっとひどく、
最初血尿でかかったのだが、実は便秘が原因だとわかった。


今回は水曜までは尿は正常に出ていたが、
木曜の夜には血尿になっていた。



で、この界隈では人気の獣医さんなので、2時間待ちだった。

今回、先生はネコの肛門に指を入れ、どのあたりに便があるか確かめた。


すると、微妙に遠い位置に硬い便が詰まっていて、排泄されにくくなっているという。


止むを得ず排便措置を取るということで、
しかし腸が移動しないよう、外側から抑えつつ肛門から便を掻きださなければならないので、全身麻酔が必要になるという。


そのためにこの日に処置は無理なので、予約してあらためて明日処置を取った方がいいという。

それを聞いて瞬時に、
「そんな体に負担のかかることをして大丈夫なのか」
と思ったが、


せっかくこの巨体を抱えて連れて来たのに
このまま処置ナシで帰るのは、また一日排便が先延ばしになるだけで、捕獲してキャリーに入れるのも大変なのに、

だから明日は絶対排便処置をしてもらうしかない

とも思った。


つまりこの時、私の頭には
「自力排便の可能性」
は、まったくなかったのだ。


で、昨年はラクサトーンという
排便促進剤じゃないんだろうけど、便を柔らかくする経口のペーストで翌日なんとか便通があったので、それだけ与えてもらった。


それだけだったのだが、ナゼかネコは帰宅すると微妙に元気になっていて食事を取り始め、そこいらで放尿することはなくなっていた。


わりと名医というのはそういうもので、ご本人は大変かもしれないけれど
診察されただけで患者は良くなってしまったりすることがある。


さらに家の浄化が必要と思い、できる限りクリーニングして

特に玄関を念入りに、クツのウラまで液バイオをつけて拭いたりした。


するとネコは普段食べる量をすっかり平らげてしまい、さらに欲しがり、すっかり普段の姿を取り戻した。


朝も欲しがったのだが、処置の都合上
午前4時には水も控えるようにいわれていたので


かわいそうだったが何もあげなかった。


つまりこの時、私の目には元気になりかかっているネコの姿は入らず


ただもう排便処置をするべきであるとしか思っていない。


それくらいもう排便一筋(笑)になっていたということだ。


というのは、その直前ひと月間、つまり元姑の四十九日法要以降私もひどい便秘で、腹部は妊娠8ヶ月程度に膨れ上がっていた。


それ以前も、元夫が先に排便してしまうと
ほぼ便意が私にはなくなって、詰まるを繰り返していたので


そして日曜には元夫が実家から戻り
実家がまた人を便秘にさせるようなエネルギーに満ちているので、

ますますその影響を受けることが考えられたので

もう自力は無理で、処置以外の道はないと
思い込んでしまっていた。



で、予約時間に連れて行き、だいぶ調子が良くなったことを伝えたところ

「それだったらとりあえず今回は帰って様子を見たら」
と先生に言われたのだが、


もう措置以外頭になかった私は

「処置をお願いします」
と言って、預けて一時帰宅した。


先生は、
「やりますか」
と、覚悟を決められたようだった。


4時間半ほどして迎えに行った時は
キャリーケースにすでに入っていたが
滅多にしないような声で一度大きく鳴いていた。


そして先生から、
「便が硬いので、砕きながら取るためにかなり大変な処置でした。この排便処置は、一度やると腸がボロボロになるので、極力避けた方がいいんです。だからまず便がここまで硬くならないようになんとか手を打つことが必要です。」

と、告げられた。


その、
「腸がボロボロになる」
ってのを、なぜ先に言ってくれなかったのかと、ここで思った。



それほど私が切羽詰まっていて、他の選択を許さない感じだったのかもしれないし、

そんなことは想像がついて当たり前なのかもしれないが


やはり先に言って欲しかった感が残った。


排便ケアに関して、ロイヤルカナンの可溶性繊維入りのミールについては以前から獣医さんに言われて与え続けていたが

他に人用の牛乳やバター、オリーブオイルを適宜与えることを指南され、

ラクサトーンも買って


一応全身麻酔でもとりあえず異常はなかったことに安堵して帰宅した。



しかし、家に着いてキャリーから出してみて、私は猛烈に後悔した。


排便処置は、決してやってはいけない処置だった。


無論、その処置が避けがたい場合も
なくはないだろうと思う。


しかし、極力どころか、
もう万が一の時を除いては決して
やってはいけないと感じた。


だから、「腸がボロボロ」ということを
なぜ先に言ってくれなかったのかと思った。


そして、自分がそれを受けつけられないくらい措置が必要と思い込んでいたこと、


それ以外選択肢がありえないと思い込んでいたことにあらためて気づいた。


私は、どこか機械のように
不要なものは取り除けばいいのだと考えていた。


痛みやダメージを受ける有機体の存在でなく
どこか乾いた物質的な存在としてアプローチをしていた。


それは人に対しても同じだったかもしれない。


私はおそらく前世で医者的なことをしていて
たぶんそのように考えて処置をしていた。


確か、ウサギが初めて糞が出にくくなった2年目くらいも
「開腹して取り出すとかはできますか?」
みたいな質問を獣医さんにして


それは極めて難しい、的な回答があったのを思い出す。


麻酔で死に至ることがあるほどのウサギだから、今では無謀な考えだったと思うが


当時私は本気で考えていたし、
今回は開腹ではないのだから、当然の処置と思ってしまっていた。


病院から戻ってきたネコの下半身はすっかり汚れてしまっていて

処置の凄絶さを物語っていた。

いわゆる・・まあ言わなくても
賢明な御諸氏はお分かりと思うが


「いっぱいおかまを掘られてしまったような感じ」
である。

文脈からすれば、たぶん上の文には(笑)を付けるようなところなのかもしれないが


そこにつけられないのは
自分になんらかのトラウマが存在しているからだと感じている。


そしてその時もネコを見ながら
自分のトラウマを見ていた。


それで、自分の心をまず癒した。


トラウマはともかくとして
やはり本来からすれば肛門は
出すところであって何かを入れてよい部分ではないわけだから(横浜・戸部の松島病院~肛門科~の先生も同じように言われていたが・笑)

やはりそこに何かを入れて処置をするというのは
法的に医者だから許されているとしても
「神」という考え方からすれば許されることではないような気がする。
(それは、ゲイの人を否定しているわけではない。彼らは合意の上だから許されると思うが、ネコは望んでいるわけではない。)


この後悔が強まったことの理由の一つに、
ネコを引き取りに行った際、これだけは必ず聞こうと思って用意した質問「昨日より便は肛門側に移動していましたか?」についての答えが、YESだったことがある。



つまり便は正常に出る方向に行っていたのだ。

だから元気になっていたし、逆に元気だったから排泄しかかっていたのだろう。


私はこの正常な機能を、まったく信じていなかった。


そのまま行けばうまくいくだろうとは、まったく考えていなかったのだ。


ここにも自分の考え方の癖が
よく表れている。



そのままでうまくいくと思えないから
いつもこね回して、問題を複雑にさせている気がする。



でも実は体は一番正しいのだ。


その後一日ネコは何も食べなかったので
よくなろうとしていたのにかえって症状的には悪化させてしまい

これで出てもまた食べない分、便は停滞するだろうと思って

自分はひたすら悔いていた。


しかし後悔する私をよそにネコは驚異的な回復をした。

翌朝汚れまくっていた下半身を初めてシャワーで洗い(これがトラウマになったのか、以後ネコは風呂場に入らなくなってしまった)


ほぼ一日後エサを食べ始め

排泄も問題なくなり

それまであまりしなかったお尻の身づくろいもするようになって

すっかり綺麗な元の姿になっていた。


人間もそうかもしれないけれど


ダテに長く命を繋いで来ているわけじゃないのだ。


動物の強靭さに敬服した。


自然治癒能力が備わっているというのは
ある意味奇跡だ。

当たり前のように思っているけれど
放っておいても治ってしまうというのは

少しエイリアンっぽい。


それなのに私は
特に自分についてはその能力を信じることができない。


それとは少し違うかもしれないけれど
人間、特に自分には、それなりにうまくいく能力があるとも思えない。


スピリチュアルなことをいろいろしているくせに
それは信じられないのだ。


それは過去に、過去世も含めて
そう思うに至った様々な理由があったからだとは思う。


今まで折に触れ、会って日も浅いような人が

「あなたがうまくいかないのはユーモアがないせいだ」
とか、
「余裕がないからだ」
とか

「気にし過ぎだからだ」
とかアドバイスをして

そこさえ直せばうまくいく、的なことを言って行ったが、まあおそらくはそういうところもあるのだろう。

しかしそれがうまくいかないのは
やはりしかるべき理由があり

変えづらいなりの理由がある。

一方ではそのために
うまく行っていた部分も多くあるのだろうとは思う。


で、あらためて重要なのは
その部分を変えようとしないこと、であると思う。

結局私の体調については
その後うけたアーユルヴェーダのサービスと
富士山でのリトリート効果か、絶賛デトックスが起きて順調に体重が落ちている。


でも、何かが起きてそれを解決しているうちは
因果律の中で繰り返しているだけなのだ。


大切になのは、元を消すこと


で、この失敗談をさらすことで
反面教師にでもなれれば、と考えている。


誰かの失敗は、だれかの成功に。


失敗も成功もどっちでもないという感覚にもなりつつあるが。


とりあえず、生命は強靭である。