カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

信じること①

100%自分を信じられるなら、宗教はいらない。

どこかに不安があるから、すがろうという気になる。

別に弱さを責めるつもりはない。なにより小坊主がその弱い人間の代表だからだ。
行動の理由の殆どは、恐怖だ。

すべての人に正しいことなんて、ない。
だから宗教も、必ずしも万人にとって正しいものである必要もなく、
自分の存在理由をかりそめにも後押ししてくれるようなものであれば、
それでいいわけだ。
極端な話、一生の生き方をサポートしてくれなくても、
その時さえ援護してくれれば、ことは足りる。
その時だけ必要な知恵を与えてくれる、予備校のようなものと小坊主は考えている。
一生同じ価値基準で生きられるわけもないのだから、
そういう感覚で充分だと思う。

信じるとは善悪で判断して行うことではなくて、
必要かそうでないかで行うことである。
誰が正しくて誰がそうでないかなんて、誰にもわからないのだ。

その弱さをサポートしてくれるはずの宗教が、
その弱さにつけ込み、信者とするべく引き込んでゆく。
「何か憑いていますよ。」
「あなたにはこういう業と因縁があるから、いつまで経っても目が出ない。
祈祷で補いましょう。」
「あなたに才能なんかない。」
自分ではわからないのだから、そういう言葉で容易につけ入られてしまう。
小坊主も和尚にそう言われた。
自分でそうではないかと疑っていることを言い当てられるから、つい信じてしまう。
自分ではどうにもできない、
その部分は他の力にすがるより他に補う方法がないと思いこんでいるから、
うまく釣られてしまう。
100%の確証なんかないのだから、どんな人間にも迷いはある。
アラなどいくらでも見つけられる。
いくらでも付け入るスキはある。

先日細木数子も、あるタレントに言っていた。
「あなたは一生母親の亡霊をひきずって生きる。」
「あなたには何の才能も力もない。」
そんなことはありえない。
彼女はただの占師で、霊能者でもなんでもないし、預言などできない。
できるとすれば、統計学に則った予測のみ。
傾向を説明することはできるかもしれない。ただ、それだけだ。
そりゃどんな人間だって、母親の影響をゼロにすることは限りなく難しい。
でも、本人次第で、同じ霊が一生憑きつづけることはない。

そして、才能のない人などいない。
力のない人も。
何をもって才能とするかは見方によって違う。
この世で権力を握る、大金を欲しいままにするのが力といえば、
人に順序がつけられるだろう。
でも、その座標軸に限られた話だ。
ニュートン力学の支配する3次元の世界では、
ピラミッド状の構成が成り立つかもしれない。
しかし多次元の世界すべてで成り立つことでは、多分ない。
単純な価値観ですべての人を裁けるなら、宇宙が無重力のはずがない。
地球と同じ、1方向に力が働いているだけの世界のはずだ。

座標軸は無限にあり、
幸せになれない人などいない。
どんな人でも、いつ、どんなところからでも、
つまり、今、ここから
幸せになる道が必ずあるはずだ。特別なことをしなくても。
どんな人間でも、幸せへの距離は等しいはずだ。

自分の勝手な思い込みかもしれないが、
今までの経験から考えるに、真理とは単純なものだと思う。
こう言う時はこう、またあるときはこう、というのではなくて、
どんな時でもこれだけで大丈夫!
つまり、「箸」のように、単純でありながらどんな状態にも対処できる、
そんな方法があるはずだ。

自分に足りないところを補えば、完璧になると思っていた。
でも、完璧になる必要なんてあるのか。
業をなくせば完全になると思っていた。
しかし大切なことは、業をとりのぞくことではなく、
愛することなのではないか。