カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

信じたいこと

和尚と秘書の部屋に、秘書の子供の写真が掛けられている。
その顔は、和尚にそっくりだ。

「でも、ダンナもああいう顔をしてるの。」
専務が言う。
「親父さんの葬式にね、お姑さんが子供抱いてたけど、そっくりよ。
頭の形とかね、顎とか額とか、もうそのまんまだから。わかるでしょ。
誤魔化せるわけないんだから。」
「ふーん、でも和尚、よくだまされてますね。」
「和尚はだませても、おふくろさんは騙せないでしょ。だから会わせないんだよ。
それを秘書に言ったら、顔色変えてたよ。」
「でも和尚は、好きで騙されてるんですよね。だからいいじゃないですか。」
「でも、寺の必要経費が、みんな養育費に行っちゃうわけだから、ほっとけないでしょ。」
「まあ、そうですね。でも、手立てはないですよ。
だってすべてにおいて和尚は秘書を信じているんですから。」
「そうだよねえ、わかんないのかな、あんなウソ?
仕事だって全然してないのに、フリに騙されちゃって。
娘さんを占師にでっち上げて自分が占って金取るって、サギだよ。
ああいうアイデアをなんで信じるかなぁ~。」

和尚は、秘書を信じたいから、信じるのだ。
事実がどうあろうと、一万人が異を唱えようと、和尚にとっての真実ではない。

人は論理で信じるのではない。感情で信じるのだ。
最も熱心な信者には、優秀で、社会的に地位もあるインテリが多い。
彼らは論理に破綻がなければ信じやすい。
そして「脅し」が、彼らにとって最も有力なお灸となる。
想像力と記憶力が、その威力を後押ししてくれる。

しかし彼らだって、最終的な決断は、感情で行うのだ。

「Death Note」ご覧になった方も多いだろう。
実は小坊主も、一昨年から雑誌を読み、単行本を集め、映画も見た。

そこの日本捜査本部のマヌケさを指摘する人も多い。
しかし、信じるとはそういうことなのである。
「こうあってはならない」「こうであるはずだ」で、人は事実を変えていくものなのだ。

月(ライト)くんは、次長の息子さんなのだ、キラであるはずがない。
いや、そう疑うことさえ罪だ、それはあってはならないことなのだ・・。

だからLの示した論理で決まりでも、彼らには受け入れ難いことだったのだ。

信じるとは、そういうことだ。
そして、事実とは別に、人の数だけ信念がある。

そういうものだ。