カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

1+1≠2

久しぶりに、寺のHPを覗いてみた。
なんとか、無事に続いているみたいだね。

でも、前も書いたかもしれないけど、
写っている和尚の顔が、苦しそう。

前は、あんなじゃなかった。
少なくとも、楽天性があった。


1+1は、2じゃない。
最近、そう思わされるような場面によく出くわす。

それはまあ、人は機械じゃないってことなんだけど、
つまり、ただエネルギーを与えてスイッチを入れれば、期待した分働くというものではない。

そんなことは当たり前なんだけど、
毎日機械やパソコンに頼って生きていると、つい、そんなふうに思ってしまう。
自分は理系で理屈っぽいから、特にだ。

和尚も、そんな風に人を扱ってきた一人だと思う。
そして今、結果がでている。

合理化を進めれば、効率化が図れるわけではない。
相手が人間なら、1+1が0の時だってあるし、
無限大のことだってある。
それは1+1だけじゃなくて、さらに別のものが加わっているんだろうけど。

和尚は、いつも人をみくびってたのだ。
人を、信じていなかった。

神仏に頼るのは、人が当てにならないからだと、和尚はいつも言っていた。
当てにならないと決めてかかれば、そういう結果を連れて来る。
それは当たり前のことだ。

今いる目の前の人に、「あなたを信じない」と思って応対すれば
その通りの結果が返ってくるだろう。

でも、人をおいて、どんな結果を期待するのか。
いま、ここにいるのは、人、すべての活動の源は、いまここにいる人なのである。
その力を信じずして、結果はない。

人を助けるはずの宗教は、そうして人を貶め、自滅していく。

和尚だけでなく、秘書もまったく人を信じていなかった。
特に和尚のことを。彼女が信じていたのは、金の力だった。
そして専務も、和尚と秘書を信じず、人を信じなかった。
あの寺にいたのは、復讐のため。

小坊主もそうだった。
でも、そんなのはもうイヤだった。

そして、気がついたら、信じる・信じないではなく、もう結びついている、
そんな人が身の回りにいてくれた。

もう、自分の外にいる神仏を信じる必要などないのだと思った。