カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

因果な商売

さて、クリスマスも終わり、一挙に雰囲気は年末でござる。

子どもの学校の行事にも一通り参加したが、
プロテスタントでも、宗教行事は満載なんですね。

先月のツリー点灯式からアドベント(クリスマス前の4週間の待降節)の期間は
いろいろとせわしなかった。

でも、一年間に全部で5回ある『聖書勉強会』に参加してみて思ったのは
「やはり、キリスト教徒のこの列に、自分は参加すべきでない」
ってことであった。

イエス・キリストが好きでも、
やはり、自分はメフィストフェレスの申し子である(笑)。
というわけで、潔く去ることにいたします(笑)。

それでも、行事のうち
メサイア』(ヘンデル作の、ハレルヤコーラスが入ってる楽曲ね)
に参加した時は、

教義の字面には反発する自分も、
芸術には素直に神の現れを感じる。

音楽は、やはり一つの力である。

てなわけで、自分は理屈に生きず、感覚に任せて生きることを
このまま続けていこうと思います。


さて、久しぶりに寺の噂を聞いた。

今年に入って、3回査察が入ったそうな。

ま、今まで入らなかったほうが不思議だけどね。


10年ほど前、私が仕事を始める前も、何度か入ったらしいんだな。

私が動くこともなく、やはりお裁きは下されるようである。

こちらに調べに来ることもなかったので、
従業員に非がないことは明らかだったんだろうね。

実際、私は何ももらってないし、
誰が使っているのかは、残っている人たちの身なりから
一目瞭然だろうしね。

念の為とっておいたデータも、不要ってことだね。

和尚のベンツもポルシェも、みんな持ってかれてしまったようだ。

和尚自身は、糖尿が小康状態で、
肉もだいぶ落ち、腹だけ出ているそうだ。
(その体型ヤバくないか?)

事業も縮小したので、代わりにパソコンの台数を増やし
専任の人を雇って、株をやっているらしいが、
その人もどう思っているんだろうね。

男性従業員は、専務を除いて、ほとんど長続きしなかったからね。
特に、技術職の人は腰が据わらなかった。

信者数も減ったようだが、中でも驚いたのは
大得意だったTさんが亡くなったことだ。

Tさんは、お布施の額も桁違いだった。
詳しくは、小坊主だった自分には明かされなかった。

Tさんはうちの母親と同じ年だったので、2年前に亡くなったというから
まだ67だった。

旦那さまはお医者様で、「医者が繁盛すると家族が一人寝込む」と言うらしいが
この方も病気の絶えない方だった。

私の友人にも医者と結婚している人が多いが、
連絡をとるといつも「寝込んでいた」とか、「大怪我をした」
直後の状態だったりする。

もちろん、すべての人がそうだというわけではない。

でもTさん自身も医者の家系で、医者と結婚するのは
もう決まったようなものだった。
だから、「私が寝込んでいても、夫が元気ならいい」と
腹の据わった方だった。

でも、まさか亡くなるとは。

Tさんが来る日は、朝から従業員一同体調がおかしくなる。
悪くすると前の晩にはもう予兆がある。

私は最初、法話会などの帰りに階段から落ちたりしていたので、
祈祷も受けているのになぜあまりよくないことがおこるのだろうと不思議だったが、
そういうことがあった日には、思えば必ずTさんが参加していた。

知らないころからそうだったから、思い込みではないだろうが、
気のせいといえばそう言えなくはない。

他にも医療関係の信者さんはいて、みな大得意だったが、
おおむねそうした傾向があった。
そういう方々からいただいたものは、あまり食べない方がいいと
従業員の間で囁かれていた。

大食漢の和尚が、それらを一手に引き受けていた。
秘書も、「寺に来たものは和尚に来たものですから、他の人はもらうべきではありません」と明言していたので、あえてもらうこともないとみな辞退していた。

また、おおむね返納されてくるお札類は、注意して取り扱うべきものだったが、
Tさんのはちょい破格であった。

お札はシミだらけ、
ご分霊も、「どうしてっっ??」というくらい
じっとり湿って錆びていたりする。

他の人のでは、まずこういうことはない。

そうした大物(笑)を扱った際は、帰り道にコンビニ等で募金するとか
お茶をしたりとかして、少し圧を下げて帰るのが慣わしだった。

それでも、家に帰ると、自分の家族に影響が及ぶことが少なくなかった。

私が職を退くと、子どもは慢性の腹痛や体調不良から開放されて
学校も普通に行けるようになった。

まあ、他にも自分がフルタイムで働いて
帰宅が遅いままずっと子どもは放置状態だったとか
いろいろな原因はあったとは思う。


でもTさんは、遠路はるばる祈祷を受けに来ていた。

和尚の体調が悪くなり、業績も傾き始めた頃から
Tさんはあまり姿を見せなくなったが、それでも節目には必ず来て
長い時間を過ごして帰って行かれた。

専務は、「きっとここだけでは足りなくて、他の所も絶対回っているよ」
と言っていたが、たぶんそうだろう。

しかし、2年前だから、自分がやめてわりとすぐだったのか。

残る大得意は、Kちゃんのところくらいか・・
Kちゃんも代々医者の家系である。

しかし、なかなか因果な商売ではある。
人の気のもつれを引きうけるのは、並大抵な仕事ではない。
相応の覚悟も必要であろう。

いや、表層の意識だけではなく、いろいろな縁その他
深い要因が働いて仕事が決まるのだろうが・・

その覚悟には頭が下がる。

ご冥福を、お祈り申し上げます。