カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

映画『チェルノブイリ・ハート』を見て

イメージ 1

「沈黙は金」
長いこと、そう思っている自分がいた。

それは自分の家庭環境から得た教訓だった。
口を開くことが、命取りになりかねないからだ。

しかし社会生活上、そうもいい続けられない状況もあるわけで、
それでも必要最小限にして、極力黙っていた(つもり)。

言わないでいいのなら、それに越したことはないじゃん。
まあ、オトナだから。

そんなとこだった。

自分の作品も、隠しているのがいいと思っていた。

むりやり人に見せても、その人には迷惑だから。

しかし、それはもういい加減やめようと思った。

よほどのことがない限りは発言する、というようにしようと思い始めた。

迷惑でも、もういい(笑)

いや、もう黙っていていい時ではないのだ。


先日、『チェルノブイリ・ハート』という映画を見に行った。
受験生の娘が、何をおいてもこれだけは見たいと言ったからだ。

つまり、子どもが見たいと言わなければ、私は見る気がなかった。

しかし、見てよかったと思った。

そして、少しばかり考えを変えた。


放射能が危険なものであることは、だれもが知っていることだと思う。

高校の物理の授業でも、「細胞をつくる原子の原子核に衝突して原子自体を破壊する」と習った。
だから「細胞や遺伝情報を破壊するため、生物の体の組織や再生機能が失われていく」と。

放射線の量や強さに関係なく、こうした現象が起きる。
だからレントゲンを妊婦には受けさせない。

そう聞いて、「理系にはしたが、放射線原子力関係はありえねぇ」と考えて
電子・電気系にしたのである。

しかし当時よく一緒にいたクラスメートは放射線関係に行きたいと言ったので驚いた。

そして、その人に「どうして?」とは聞けなかった。


ヒロシマナガサキの原爆でも
充分過ぎるくらい、危険と思える事例は挙がっていた。

でも、いくら聞いても、自分にはどこか人ごとだった。


それでも危険は承知していたので、地震直後に原発が爆発したと聞いた時、
「あ、もうダメだ」
と、さっさと諦めてしまい、策はないだろうと何も処置しなかった。

そう思う傍ら、「まだメルトダウンしたと決まったわけじゃないから」と
どこか悠長に構えてもいた。

東大教授が、「この爆発で特に危険はありません」と公に発表しながら
研究室では窓を開けさせず、院生に外出もほとんどさせなかったという話を
聞いていても、である。

5年ほど前から冷戦時代の共産圏とチェルノブイリの事故に興味を持っていた娘は
原発事故のニュースを聞いて、即「メルトダウンしている」と
早々に騒ぎ始めた。

最近になって知ったが
弟は13日くらいからしばらく窓も開けず、洗濯物も外に干さずにいたらしい。

ノンキな私は、娘を16日、外に出してしまっていた。


さてダラダラと先延ばしにして来たが、先述の『チェルノブイリ・ハート』という映画。

2003年に、アメリカ人の女性監督が作った映画である。

その時点で、もちろんチェルノブイリ原発周辺は、50分もとどまれないほど
放射線量は高いまま。

制作スタッフは現地係員の助けを受けながら現場入りするも
早々に立ち退きを要請される。

そして、ベラルーシ国土の99%は汚染されたまま。
生まれてくる85%の子どもに何らかの障害がある。
障害がない子どもはたったの15%しか生まれない。

爆心は隣国ウクライナ
そこから一番離れているのは約600km。

だから、福島第一から600kmまでが危ないと
欧米諸国は当初言っていたのだ。

600キロ圏内にも汚染レベルにはばらつきがあって、
強制移住地域」「移住が望ましい地域」「放射能管理強化地域」などが点在している。

600キロ越えのロシア国内にも移住が望ましい地域
放射性セシウム137汚染レベル ~55万5000ベクレル/屐
が存在する。

福島から放出された放射性物質チェルノブイリより少ないから
ここでの状態を福島に当てはめられないという人もいるだろうが、

福島から放出された量の方が多いという人も多くいる(京都大・小出裕章教授、中部大・武田邦彦教授ら)。

さらに別モノサシで言えば、
放射された放射性セシウムの量は、ヒロシマに落とされた原子爆弾によるセシウム放射量の168倍。

ビキニ環礁での原爆実験で、第5福竜丸が爆心地から離れていた距離は
たったの約160キロメートル。
これで事故後1年以内に死ぬ人々が続出している。

チェルノブイリから2000キロ以上離れたイギリスでは
羊肉が1キロあたり3300ベクレルの値まで汚染された。

フランスでもチェルノブイリの事故後甲状腺ガンが増えたが、
先週、政府に補償を求める裁判で、患者たちは敗訴した。


こうした記事を見て、福島近県の農産物のことを、どう考えたらよいだろうか??

私は、この映画を見るまで、被災地の野菜を積極的に買って復興に一役買おうと思っていた。

しかし、ダメなものはダメだと、考えを変えた。

汚染されたものを無理して食べてはいけないのだ。
日本全国の人が、そのために命を失ってはならないのだ。

それらの地域は、他のしかるべき方法で、しっかりと支援しなければならない。

しかし政府は、それをやり切れないだろう。
情報の開示もできず、しがらみの中でただ保身に走る
国民の意思とは無関係な人々。

政府をあてにせず、自分たちでできることをしなければならない。
一人一人の行動で、世界は絶対に変わる。

ロシアでブロガーが徐々に社会を動かしているように、
私たちにも、きっとできる。


ダラダラと読みにくい文で申し訳ないが、
私たちは謙虚にチェルノブイリヒロシマナガサキ、スリーマイルその他の事故から学ばなければならない。

核は、人が扱ってはならないものなのだ。
開けてはならない、パンドラの箱なのだ。

安全な核というものは存在しない。
なぜなら、人の組織を壊すものであることが自明だからだ。

そして、安全な核施設というものは存在しない。
人の作るシステムで、間違いがないものは存在しないからだ。

ものを作る仕事に従事した人間なら皆わかっていることだと思う。
精査しない限り、バグのないシステムは存在しない。

安全なシステムとは、仮に間違いが起こっても安全を保てるシステム、ということである。
核施設は、異常事態が起きないと想定した中でのみ安全なシステムであり、
間違いが許されないシステムなのである。

間違いが即命取りにつながるようなシステムを
我々は安全なシステムと呼ばないのである。

はやぶさ』がすばらしいのは
まちがいが許されていたシステムだからだ。


それでもなお原発を安全と言うなら、
放射性廃棄物をどう説明するのか。

その後何十万年も残る負の遺産を残して
どこを安全と言うのか。

安全なシステムとは、その時代時代でほぼ閉じたループになっているものだ。

多少影響があっても、数年で元に戻せるようなもの
そうあって初めて安全と言える。

先々どうなるかわからないようなものを子孫に残して、何が豊かさだろうか。


なおも安全と言い逃れようとするなら、その人々に原発施設周囲30キロ以内に住んでもらうべきである。
安全なら住めないはずがない。

それを拒否するのは、どういうわけなのか。

東電幹部、そして野田総理安全神話を謳う大学教授は
そこに住むべきである。

京都大の小出教授は、原発を地方に押しつけてきた東京都が
責任を持って都内に引き受けるべきと言われている。

そうかもしれない。

電力がゼロでも困るが、少ない電気にも私は耐えようと思う。
今年は家庭内で概算80パーセントの節電に努めたが、さして不自由ではなかった。


映画に出ていた、心臓に穴を持ち、心身に大きな障害を持ち、ガンを発症した多くの子供たち。
映画の翌年に亡くなる人もいた。

もう遅いかもしれないが、こうした事例を見て初めて後悔することのないよう
事実を認めなければならない。