カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

どんなにうまくできなくても

前回の冥想教室に行く日、朝から腰の左側が痛かった。
 
たいてい明け方近くに痛み出し、グラウンディングすると治ることが多いのだが、この日は治らず、そのまま冥想に突入した。
 
腰痛は寝ている間に起こるから、寝具のせいだと考え
あれこれ十年にわたって変えたが、結局変化なし。
 
誰かにエンパスしているせいとも思う。
 
 
授業の前半は座学で、資料を音読しながら解説を受けるのだが
ヨガマットの上に座りながら過ごしていると、地味に痛む。
 
おまけに時々体が痒くなるのだが、なぜか痒くなる位置がすべて左半身と
この日初めて気づいた。
 
腰痛と関係しているのだろうか?
 
また、左半身は男性性に関係していて
足だったら仕事など土台に関係する不都合、などと聞くが
 
具体的に何が表されているのか、よくわからない・・
 
 
考えてもわからないので、ただ
 
「痛いんだなぁ・・」
 
と、見ているしかない。
 
 
 
そしてここのところ冥想をしても
どうも息が浅く整いにくいので、今回の冥想教室は少し心配だった。
 
でも、その時々でブロークンな息を続けていくしかないかな・・と思い、
 
胸式呼吸だったり、腹式だったり
 
浅い呼吸をしては、たまに深くなりを、ただ続けた。
 
 
 
私は小学生の頃から姿勢が悪く、呼吸も浅く、気づくとほとんど吸ったり吐いたりしていなかった。
 
なので、気づいては肩を上げ下げして大きい呼吸をしたり、常に不安定だった。
 
さらに、口呼吸。
 
チックがあって、時々へんな呼吸をしていると周囲の大人たちにはよく指摘された。
 
 
川崎で育ったせいもあるのか?慢性気管支炎のような状態だったし、鼻もつまっていて、痰も出ていた。
 
 
そういったことに、小さい頃から自覚はあった。
 
あまりに苦しかったから、というのもあるが
4年間受け持ってくれていた担任の先生が、始業に当たって
いつも黙想をさせていたから気づいたのでもある。
 
 
目をつぶってじっとしていたら、イヤでも呼吸に意識が行く。
 
小5で仏教にハマり、座禅に憧れた。
 
中学では剣道部に入り、精神統一のため黙想をしたり
 
合宿では禅寺に行き、初めて座禅を体験するが
やはり気になるのは呼吸だった。
 
 
その約20年後にウツの治療のため、クリニックで毎日腹式呼吸をするよう勧められ
 
その10年後、ある内臓疾患のため腹圧をかけない必要に求められて
あらためて胸式(胸郭を広げるような)呼吸に努める。
 
私はあばらがゆがんでいるようなので、朝にゴムバンドで一度はきつく締めないと
深く息を吸い込むことすらできない。
 
いろいろ試した挙句、呼吸のやり方は結局めちゃくちゃ(笑)
 
でも10分間なにかに集中すれば、あるタイミングで突然深くなる。
 
 
この日、なかなか呼吸は安定しなかったが
その浅かったり深かったりする呼吸をその場その場で続けるうち
 
20分くらいたった頃だろうか?
腰痛が消えているのに気づいた。
 
 
痒みもなくなっていた。
 
 
それで、呼吸がめちゃくちゃでもいいんだと思った。
 
 
あまりにめちゃくちゃで、作為的になれないくらいだったが
 
それがかえって幸いしたかもしれない。
 
 
ふっと、自由になる時が来る。
 
そのとき、縛りが取れ、呼吸も深くなる。
 
 
10分もすれば、そうなる。
 
こんなに呼吸がめちゃくちゃな私にできたのだから、
恐らく誰にでもできる。
 
うまくやる、ことが重要なのではなく、
そのうまくできない状態を見ていることが必要なのだと思う。
 
まあ、方法は一つではないけれど。
 
つまり、幸せへの距離は、どんな人でも
同じということだと思う。
 
たとえ今の状況が絶望的に見えても。
 
どんな境遇でも、そこから逃げるのではなく、ただ見るだけ。
そういう状態なんだと見続けるだけ。
 
そうすれば突き抜ける。
 
 
 
その日の参加者による体験のシェアにも輝きがあった。
 
 
先生に姿勢をわずかに直されたとたん、体内を走る気の筋が一本に通り
オーケストラの音が聞こえてきたという人がいた。
 
その筋が少しズレると不協和音になり
整うと音も整うのだという。
 

エネルギー状態が音楽で表現されるというのがおもしろい。

また、口角を上げることで、

目の前の植物とのつながりを感じたとシェアしてくれた人もいた。
 
だれもが、小さな灯火が点くような気づきを得て、新たな方向を照らしていた。
 

現れ方はミニマルかもしれないが
おだやかで確かな幸せがそこにはある。
 
静かな状態なのだけれども
内側ではなにかが躍動しているのかもしれない。
 
ただ人が座っているだけの小さな空間で
個人的な幸せと
皆がつながれる幸せを感じることができる。


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