久しぶりの投稿ですが、お彼岸も過ぎ、3月も残すところあと1週ばかりです。
桜は満開を過ぎ、お花見もピークを越えたところでしょうか。
先日のWBCでは優勝したし、この週末は全国的に日本人がハジけるはずでしたが、あいにくのお天気で冷え込み、しばらくは延長して桜を楽しめそうです。
上野公園の喧騒は置いておいて、お彼岸と言えばまずはお墓参りです。
小さい頃からお墓参りが好きだった私は、基本、お彼岸は必ずお参りします。
今年初頭の時点で、血縁者が入っていると知っていて、たまにでも自分が行っているお墓は3基でした。
以前は都内にも祖父母の墓があったのですが、50回忌を過ぎたことと年間のご供養料が10万円ということで、母の長兄が移転させました。
しかし移転先について他の兄弟に知らせなかったので、それきりになってしまいました。
ところが2月頭に祖父の兄の息子、母にとっては従兄に当たる人(仮にBさんとします)が本家に用事があるということで、愛知県から孫を連れて訪ねてきました。
その時、同族のAさん(仮名)という人について、少し詳しく聞きました。
Aさんについては前回母娘でBさん宅を訪ねた際にも聞いていましたが、Bさんの曽祖父(つまりは私の高祖父)の兄弟に当たる人と聞いていた気がします(メモを取ったのですが、取り方が悪くてよくわからなくなってしまいました)。
Aさんはずっと愛知県あたり、もしくは関西にいたものと私は思っていました。
だから同族のお墓に一緒に入っていると思っていたのですが、なんと、某都営霊園に入っていることがわかったのです。
それも、ある情報によると、かなりお墓が荒れているとのことでした。
Aさんはずっと都内にお勤めだったそうなので、確かに都内のお墓に入るというのはありえないことではないと思いました。
ただ、都営霊園の情報をネットで見ると、荒れたお墓には立て札が立って、連絡がなければ合葬されるということだったので、もしかしたらそうなっているかもしれないと思いました。
場所は管理事務所で検索してもらえばわかると思いましたが、もし使用量が滞っていた場合、縁者とわかると請求が来るかもしれないと思ったので使用料も調べてみると、なんと年間管理料は最高で2400円程度、最低であると1500円程度でした。(区画の広さに応じた2段階しか設定なし)
さすがそのあたりは都営だと思いました。
果たして行ってみると、合葬はされておらず、管理事務所で場所を教えてもらえました。
でも、なかなかの荒れっぷりでした(笑)
最初は場所がわからず、通りかかった管理の方に教えてもらうと、茂みの中にAさんの名前のついた墓石が見つかりました。
「荒れているということだったので、合葬されていると思ったのですが」
と尋ねてみると
「管理料さえ払っていれば、残されるんですよ。支払いがなくなると立て札が立って、一年連絡がなければ合葬されます。」
ということでした。
つまり、誰かがお金を払っているということです。
本家の人も愛知を出て神奈川にいるので、その筋かもしれません。
支払いはおそらく口座振替などで自動引き落としなのでしょう。
Aさんのお墓の隣に、奥さんのお墓もありました。
平仮名なのにお名前が読めません(汗)
墓前には朽ちた木やゴミが積み上げられていて、墓前に近くこともできません。
だれかが伐採してその場に打ち捨てたのかもしれません。
とりあえずそれらを取り除いていきました。
お墓と言えばお寺にあるものしかお参りしたことがなかった私には
その荒れっぷりはかなり衝撃でした。
思えば、お寺の方々がいつも掃除をして、きれいにしてくださっていたのです。
さすが、そのあたりも都営ならではと言えました。
箒とチリトリで向かいましたが、そういうレベルではなく
軍手とノコギリが必要でした。
初日は2時間近くゴミの片付けで終わり、とりあえず墓前に花を手向けることはできたので、それで出直すことにしました。
初めて向かったのが2月中旬だったということが幸いだったと思わずにはいられませんでした。
これが夏だったら虫もいるし、手がつけられなかったに違いありません。
啓蟄前にもう一度来ようと思いました。
2回目は墓石の周囲にはびこる低潅木やつる草などをやっつけることにしました。
ハンディのこぎりを持参したのですが、真冬であっても潅木は生きているので、切るのは容易ではありませんでした。
それで切るのは諦めて、完全に朽ちているのだけを取り除くことにしました。
蔓草はトゲがあり、軍手をしていても刺さるので、除去は諦めました。
隣のお墓との境界線があいまいなのでよく見ると、もう一基、苗字が違っていたので他所のお墓だと思っていたものに、「Aの母」的な記載があり、確かに同じ家紋がついています。
高祖父の兄弟の母は高祖父の母、ということは私の直系の人なので、その人のお墓も掃除することにしました。
さらに奥さんのお墓の前に、○○乳児と書かれている小さなお墓があり、生まれてそう経たないうちに亡くなられたAさんのお子さんのものらしいお墓もありました。
その上、Aさんのお母さんのお墓の前に、お子さんの墓石と同サイズの小さいお墓がありましたが、字が複雑すぎて読めない上、とても縁者と思えなかったのでその周囲は手を付けませんでした。
1回目のときから2週間近くが経っていましたが、前回手向けたお花が枯れていなかったのが驚きでした。
3回目はこのお彼岸中に出向きました。
もうだいぶ暖かくなり、木の芽が吹いて、蔓草はイチゴのような可愛い花をつけていました。
その白い花の周りを小さいハチが飛び回り、せっせと蜜を集めていました。
2月中に作業を一通りできたのは正解だったと思いました。
足元には花をつけたカラスノエンドウがはびこって、まだ散乱する朽木の小枝を覆っていました。
それらを片付けて、ようやく箒が使えるようになりました。
さらにお墓の背面にまわり、片付けられそうなものを処分していきました。
ようやく墓石に刻まれた文字全体が読めるようになったところで気づいたのは
Aさんのお母様は、お父様の側室であったということでした。
つまり、私とは血のつながらない方ということです。
都内にお墓を作られたのは、それも理由かもしれません。
敷地内の中央にAさんのお墓がありますが、それより先に敷地の右端にお母様のお墓を作り、自分の墓をその敷地の中央に作ってもらうつもりで配置したのではないかと思います。
Aさんのお母様は美濃国のご出身で、某氏の長女である旨も刻まれていました。
いろいろな家庭事情もお墓に出るようで、しばし感慨に耽りました。
さすがに1回目のお花は無くなっていて、2回目にお供えした桃の枝は残っていましたが、枯れていました。
さて、お母様のお墓の前方に位置している小さいお墓も、石の材質と刻まれた字体が同じなので、敷地内のお墓と思われました。
帰宅して漢和辞典で調べてみると、「鑾樹」というのは「すずき」とも読めました。(検索すると、ある種の台湾の街路樹を指すようでもあります。)
少し詩的な表現に見えるよう、書き換えたのかもしれません。
お名前以外に刻まれていないので実際はわかりませんが、お母様の身辺のお世話をしていた人なのではないかとも思いました。
お母様のように没年月日やご出身なども書かれていないので、その辺りも不明だったのかもしれません。
一応Aさんに関しては、高祖父の兄弟なので6親等以内の血族となり、親族ということになります。
荒れてはいますが、墓前に積み上げられた枯れ枝などの形跡から、もしかすると今でも定期的にお墓参りをしている人がいるようにも感じられ、私のしたことはその人には邪魔だったかもしれませんが、ゴミを片付けただけなので、許される行為とは思えます。
夏に向かい、植物が枝葉を伸ばすとまた鬱蒼としてくるかもしれませんが、以前よりは花も手向けやすく、お墓にも日が当たるのではと思います。
片付けてみればスッキリするかと思ったのですが、そこに人間模様なども表れ、なんとなくスッキリしないような墓掃除でした。