さて、先日紹介しました、『四つのいのち』という映画、
その日本版的な番組をNHKで見ました。
『クニ子おばばと不思議の森』。
九州の山村に住むおばばは
焼畑をしてアワを植え、きのこを採って暮らしている。
おばば→焼畑→きのこ→それを食べるカタツムリ→森→おばば
みたいなサイクル。
番組のナレーションはカタツムリで、その声を菅原文太がやっている。
もちろん自然は厳しいんだけど、
なんとなくヨーロッパの自然よりは、日本の自然のほうが
人にやや親和的というか、当たりが柔らかに映った。
自分が日本人だからかもしれないし、日本人の自然を見る目が親和的だからかもしれないけど。
四季の変化と、そこからもたらされる豊かさは、人を惹きつけ、
歩み寄りをしているように見える。
お互いが歩みよって、日本の文化というものができている。
ヨーロッパの文化は、あくまで自然に敵対する文化である。
その少し後、小津の『秋刀魚の味』を見た。
映画のあとで関根真理と山本晋也監督が少し解説をしていたけれど
確かにこの映画中に、秋刀魚は出て来ないのである。
一応いつ秋刀魚が出るか探していたのだが、
酒を酌み交わすシーンがあるのみである。
一人娘を、嫁にやる男やもめ。
『晩春』でもそういう設定が使われているが
やや、テーマが違う。
『秋刀魚~』では、笠智衆扮する男の寂しさがせつせつと伝わり胸を打つ。
酒を口に運び、帰宅して服を片付けるなにげない所作。
無言のひかえめな演技に、感情が染み出る。
秋刀魚の、少し苦い味。
決してくさい演技ではない。
小津監督は、あくまでも自然であることを、演技しないことを役者に要求したという。
なんとなく、そこに能に近いものを感じる。
能には、厳しい型があり、
役者の表情は面で隠される。
面には一つの表情しかないが、向きによってそれが少し変わる。
その制約された中で、訴えかけられる強い感情がある。
ただ強ければ、ただ量が多ければ、そういうものではない。
引き算の美。
私は、日本人でよかったと思う。
写真上はベイシェラトンのバイキング、
盛り付けがうまくなくて申し訳ないが
ここで一番ウマイのは、中華でも洋食でもなく、やはり和食。
さすがである。
そして下は人形町の洋食屋、「来福亭」。