「表現」というより「感覚」ですね。
日本画とかはかなり抽象的ですし。
日本の感覚は西洋に比べてアナログなんですよね。
西洋は湿度が低くものがはっきり見える分、抽象化しやすい、その分デジタル化、つまり論理化されやすいということなんだと思います。
論理化すると対立が生まれますが
あいまいにしておけば対立は生まれにくいから
和を保つのに役立ちます。
日本が自然に対し親和的スタンスなのに対し、西洋は対立的スタンスだからでもあります。
自然と対立的であるほど表現は抽象化されやすい、という傾向はあるようです。
自然と対立し、自意識は屹立し他者から離れ
意識は救いを求めて芸術と神に向かいます。
逆に親和的であるほど、状態をそのまま受け入れようとしますから
抽象化が和らぐのです。
日本でも建築物とか、西洋より抽象的な形態のものもありますが。
(着物・食器・建物等日本の実用品が幾何学的・抽象的形態なのは、汎用性を求めるが故のような気がします。曲線を多用すると、ある人には合うけれども他の人には合わないので、全体の最大公約数を取ると直線、ということになるのだと思います。万人に合う歯ブラシの全辺が直線とされているのも、そういうことのような気がします。)
表現とはそもそも抽象化ですし。
抽象化によって、一部が取り上げられ
他が切り捨てられるので、表現は永遠に不完全、ということになり
表現者が満足することはありません。
永遠に表現を続けることになります。
以上、勝手な夢想ですので
真偽のほどはわかりません。
また前回、「平均律クラヴィーア」にハマっていると書きましたが
同時に買った、「戦場のピアニスト」サントラにもハマっています。
一昨年TSUTAYAで借りて、そのピアノに魅せられました。
もともとピアノの音も苦手で
ショパンにも特に興味はなかったのですが
繊細な音に心を掴まれてしまいました。
サントラは5千円を超えていたので、躊躇っていたところ
先日見たら2千円以下になっていたのでゲット。
繰り返し聴きまくっています。
あんまり聴くと飽きて全然聴かなくなっちゃうんですけどね(^^;)
映画の主人公であるウワディスワフ・シュピルマン本人のCDも出ているので
こちらもゲットしたいです。
映画を作ったのはロマン・ポランスキー。
「ローズマリーの赤ちゃん」が有名ですが
3年ほど前、横浜でポーランド文化交流のイベントがあり
そこではポランスキー監督の、まだポーランドにいた初期の頃の作品を観ました。
白黒で、ほとんど無声で、退廃的でした。
どちらかというと、ヤン・シュヴァンクマイエルに近いような東欧的な感覚を感じます。
その頃の作品と、「ローズマリーの赤ちゃん」、また「戦場のピアニスト」はそれぞれかなり作風が違うように感じられます。
ただ、このサントラCD
何遍聴いても、ショパンの感覚的なもの、またポーランド人がやはりポーランド人であるショパンを選び、それに込める何かを私は理解できていないと感じます。
シュピルマンが破壊され尽くしたワルシャワ市内で逃亡中、ドイツ人将校に見つかった際に
自分がピアニストであるという証明のためにショパンの曲を弾くのですが
ドイツ人の曲でなく、ポーランド人の曲を選ぶこと
そこに込められたささやかな抵抗、そして誇り
芸術が戦争に勝ったと思える瞬間です。
いえ、芸術が住むのは勝ち負けのような狭い世界ではないのですが
そこにポランスキーの込めた思いが表れている気がします。
馥郁たる芸術の香りを感じる作品です。