カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

ミューズとの結婚

先日、臨床心理士の友人に会う機会があったのですが

それぞれの伴侶の話になり


アスペルガー的であると話したところ


「感情の絡みがないから結婚したでしょ」

と、見事言い当てられました(笑)。


自分でも少し忘れていたのですが

ああ、そうだったなと。



本当のところ、根っこの部分はひどく感情的なのです。



たいていの理系人間は
そこを隠し、また自分も知らない振りして理論武装をしています。


ただ自分にも他人にも感情がないかのようにふるまっているので


良くも悪くもその領域で干渉が起こりにくいのだと思います。



実際はいろいろなことを感じているはずですし


時間を経れば変わるものもあるようです。


か、やはり覚悟して臨んだことではあるのです。



そして思い出したもう一つのこと。


私は自分を「絵を描く存在」と決めているので


いま起きていることはすべて必然なのだとあらためて感じました。


ものごころつく前から自然に絵を描いていたので、もともと描く人間だったのだとは思いますが


自分の育った家庭で、毎日が嵐のようだったから
ますます絵に没頭せざるを得なかった。

せまい家の中で
絵は最後の砦だった


そんな風に
自分の家庭と絵の関係を決めていました。



私にとって最も大切だったのは
家族ではなく


ただ絵を描くこと

自分のことだけだったのだ。



だからこういう家庭をまた作ってしまうのは必然でした。



そういう嵐のような家庭であれば


私は絵を描くことを忘れない



それは血の誓いであり


芸術の神との結婚でしたが



他の家族にしてみれば
勝手な誓いであるに違いない



夫は便宜を求めただけで
自分で選んだことだからある程度仕方ないかもしれないが


子どもは可哀想だ。



それは私の背負うべき十字架なのでしょう。



それでも私の魂は
それで当然と、一向に動じていないようです。



何が起きても

どんなに困った困ったと私が口で言っていても


なに一つ堪えないで
泰然と何かを見ています。



私は、困っているどころか

むしろ歓んでいるのだと思います。




ミューズと添い遂げること




それがあれば、あとはどうでもいい。

イメージ 1