実はちゃんと文にできなくて、去年からずっとモヤモヤしていることがあるのだが、今日はそれを書いてみよう。
お店の絵描き仲間Nさん。
私は個人的に、Nさんの描く絵が味があってとても好きだし、
正直同じ絵描き仲間の中では、一番好きと言える作風だ。
仲間になる前から、Nさんのことは知っていて、知り合ったのはここの店だが、他のイラストレーターの方を通してだった。
その時から、Nさんはなんとなくいい感じだと思っていたし、絵も好きだった。
でも、去年の夏のパーティだったか?
なにか彼女は私に対して怒っていた。
なんでだろう・・と思い返すに、彼女は3月、私のグループ展を見に来てくれた。
お店からは近いところにあったから、お店に出る前に寄ってくれたようだった。
でも手間には違いないし、私はNさんが来てくれたことがうれしかった。
その時彼女は、店での調子について尋ねてきたのだ。
それについて、私ははぐらかした。
話したくなかったのだ。
彼女はうまくいっている風だったし、私は迷っていた。
そして売り上げも、彼女に比べれば良くはなかった。
彼女に対して競争心があった、とまでは言わないが、
仲間というよりは、商売敵に近い感覚があった。
それは彼女だけに対してではなく、他の絵描き仲間に対してもあった。
そもそも絵描き同士には仲間という感覚はあまりなく、ただばらばらで
それぞれが自分の作品にしか興味を持っていない。
それが当たり前だった。
美大でも油はそうだったし、画廊でも他の作家と会えば話はするけれど、特に仲良くするという感じもなかった。
その上、私は店に入って半年経っていなかったし、他の作家さんとも出る日が違うから話したこともなく、自分の立ち位置も見えていなくて、やり方にも迷っていた。
触れられたくなかったのだ。
でも彼女は絵描きというよりはイラストレーターで、むしろデザイナーに近かった。
デザイナーやイラストレーターの人たちは、仕事として立場が確立していて、自分のできない部分は他の人に任せるという、いい感じの分業制になっているように思う。
ここからここはAさんだけれど、その先はBさんとか、協力体制ができているのだ。
だから普段からよくつるんでいるし、仲がいい。
Facebookとかでも、他のアーティストのポストに対する反応が、絵描きのそれとは大きく違う。
絵描きが正直冷たいのに対し、人ごととは捉えていない。
彼女を知ったのも、イラストレーターやデザイナーのパーティを通してだったし、彼女はその人々の輪の中にいた。
だから3月に彼女が私の様子を尋ねたのも、単純にどうしているか知りたかったのだと思う。
ふだん当番が違うから、会える時くらい聞いてみたい、そういう感覚だろうと思う。
しかし聞いてきたことが、ドンピシャというか、まさに知りたいところはそれだろうし、言いたくないこともそれ、といったものだった。
自分の戦略方法というか、売っているスタイルを一言で述べよ、みたいな感じだ。
ああやっぱりそうきたか、そうだよね、みたいな感じだった。
絵描きはすべて自分でやろうとするから、他の人にそのあたりを見せないし、自分で抱え込んだことは自分でもがいて答えを出そうとする。
でも、考えてみれば店に出る日も違うし、みんなでお店に協力しているのだから、絵描きだって協力してシェアできるところはしたってよかったのだ。
今だから、そう思えるようになったが。
そう、それで夏前に店のイベントがあって、そこでNさんに再会した時、
怒られている感じだったのだ。
でもそこでまたはぐらかして、表面的なことばかり言っていると
彼女とは一生仲良くなれないと思った。
それで、素直に、とまでは言えなかったが、自分が店で描きながら迷っていることを思いつくままにとりあえず語ったのだ。
迷いながら売っていることはまずいとは、ずっと思っていた。
絵を買うなら、おそらくどんな人も、作風が決まっていてそれを自信を持って描いている人から買いたいと思うと思う。
死んだ作家の絵が高額で取引されるのは、すでに迷いがないからだ。
どんなにヘタであっても、それをいいと思って描いている人から買いたいのではないかと思う。
だから自分は、迷っていないフリをして描いているのだ。
でも風景、空や海を描く時は、ほとんど迷っていない。
それが売れるかと言えば、ほとんど売れない。
クロッキーにもほとんど迷いはないが、売ろうとは思わない。
しかしオーダーを受けて描く、似顔絵などの人物画は迷う。
そっくりに描くことだけが求められている、故人の肖像画は
それ以外に描きようがないので迷うことはない。
自分を描いてもらうことを楽しみに待っている人がいる絵のオーダーは
果たしてこれでよいのか、といつも迷う。
どんな絵でも、これで完璧だと思うことはないが
お店でオーダーされた場合は、絵を渡した後でも
いつまでも迷っていることが多い。
これでいいのかと苦しみ続ける。
頼んでくれた人が喜んでいても、少しはよかったとは思うが
自分自身は納得していない。
というのは、どこか自分の本当に描きたいものと
違うことを描いているからだと思う。
それで金をもらってよいのか、と、いつも思う。
後から見て、「これはこれでよかった」と無理に自分を納得させているところも多々ある。
他の絵描き仲間、Yさんはそのあたりプロ根性ができているのか
「買った人がよかったと思えるためにも、よくなかったと思っちゃダメ」
と言っているが。
それでNさんに言ったのだが、彼女がなんと言ったのだか忘れてしまった。
さらに、「店で描いた絵がなんだかあざとくて自分でイヤだ」と言ったところ、
彼女は
「あざとさは画材が合っていないから出る」
と、また怒ったように言ったのだ。
それがあまりに衝撃だったので、先に言われたことを忘れたのだと思う。
その返答は私には予期していなかったもので、どうして彼女がそう感じるのか理解できなかったし、私自身はまったくそうは思わないからだ。
「いや、画材は体質で決まるから、画材自体が自分に合っていないということはない」
とは一応返した。
その時、なんとなく彼女の中で何かが動いたように感じた。
画材を選ぶに当たっては、それなりに時間をかけて自分に合ったものを探してはいたからである。
結局、画材というのは使い手の体質そのものであると、たしかオディロン・ルドン先生がおっしゃったが、紆余曲折してきて私自身もそのとおりだと心、いや体を通して思う。
それに、他の画材はもう使いたくはない。
いま考えても、あざとさはやはり「いいものを作ろう」とか「気に入られよう」
などのスケベ心が作っていると思う。
自分の伝えたいことを伝えきったとは思えなかったが、その後彼女は怒っている風もなく、打ち解けてくれた。
よくわからないけれど、あれでよかったようだ。
ただなんとなく、彼女自身は自分をイラストレーターというよりは絵描きと思っているような気がする。
そしてお店に出る時の服装も、なんとなく絵描き然としている。
それがなんとなく可愛らしい格好なのだ。
そこも私が彼女を好きな理由の一つなのだが。
お客さんがいかにも画家と思うような出で立ちを選んで自分をプロデュースできるというのは、一つの才能に違いない。
少なくとも私にはそうできない。
それで、ただ着の身着のまま、みたいな格好をしている。
昔のようにコムデギャルソンやヨウジヤマモトなどを着て、すかしていることもできない。
その意味でもスタイルができていない、なんとも野暮なのである。