カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

ものの溜まる家

一応この8月でYahoo!ブログも引越しなので
もったいつけて書かなかった秘密的なことを書いてみることにする。
 
 
いま、訳あって都内某所にいる。
 
窓からはスカイツリーが間近に見え
 
こんな都会に住むことができることにビックリしている。
 
 
もちろん私が住んでいるわけではなくて
そこに住んでいる友人宅に居候しているわけだが
 
 
そしてもちろん
このあたりには大勢の人たちが住んでいるのだが
 
 
ビルだらけの狭間に住める人がいるというのが(金銭的にということではなく、いろいろな意味で)
 
なんだか不思議で信じられない気がする。
 
 
 
私もかつては市街地に住んでいたけれど
 
たとえかなり不便な場所でも
 
視野に一つ二つの雑木林や
そこそこ近場に海があるような
「ヌケ感」がないと耐えられなくなってきたのだ。
 
 
でもここではせっかくだから
滅多にできない体験を楽しむことにする。
 
 
 
友人は高校の同期生。
 
 
ご両親は他界され、自宅のビルに一人で住んでいる。
 
 
そのご両親が使われていた部屋が、友人の居室と別の階にあるので、短期滞在させていただけることになった。
 
 
お手洗いは別としても、浴室やキッチンは一つなので、相応にご迷惑をおかけすることになる。
 
 
で、貸していただいたお部屋は4階。
 
 
初日、到着した時は夜の9時頃だったと思うが、最上階の5階までかなりの暑さだった。
 
 
友人は気を使って冷房を入れておいてくれ、私もこの暑さでは危険かと思い、スイッチを切らないで就寝したが
 
 
大通り沿いでわりと車通りが多く、また冷房の風が少し当たる気がして寝づらく、明け方4時頃にスイッチを切った。
 
 
そこからは寝やすくなり、5時ころ思い切って窓を開けてみると、意外に涼しかった。
 
 
自宅の方は、5階であればほとんど冷房不要で寝られるが
東京のまん真ん中でも、寝るのは無理としても
 
明け方は涼しいことに驚いた。
 
 
隣は小学校で、窓から下を見ると緑もそこそこあり、敷地の一部にはビオトープもあるので、ヤマバトの声もして蝶やトンボも行き交う。
 
 
反対の大通り側は街路樹があるだけだが、そのプラタナスが異様に元気よく枝葉を伸ばしていてビックリした。
 
 
私の育った川崎の街も街路樹はプラタナスだったが、部分的に枯れて縮こまった葉がしょぼしょぼとついている感じだった。
 
 
当時は空気も汚れていたし、今は川崎のプラタナスもそこそこ元気だ。
 
 
温暖化のせいで勢いがいいのかもしれないけれど。
 
 
で、友人は仕事がすごく忙しいので
お母様の亡くなられた2年前以来、ほとんど片付けができていないと話していたが、
 
そして直前にものすごく片付けたと言っていたが
 
  
確かに特定の種類のものについては
どうしてというくらいあるのだが
 
 
概ね余計なものはなく、故人のものが捨てられないとしても
 
もともと故人がよけいなものを持たなかったのではないかと(収納の中を見たわけではないので、あくまで外観からの印象)思えた。
 
 
それでも、お母様のものなど、壁にかかる服など
生前のままの感じで残されている。
 
 
亡くなられたのは、突然のことだったらしい。
 
お父様のものは、だいぶ前に亡くなられたからか
本くらいしか見当たらなかった。
 
 
その時はお母様がまだおいでだったから、整理されたのだと思う。
 
 
でも、お母様のものなど、そうしてそのままに残されているのだなあと思う。
生活雑貨など、いくつも重複したようなものも
おそらく選別されることもないままそのままなのだ。
 
 
そうして家には、たくさんのものが残ったままになるのだと思う。
 
特にスペースや収納のある一軒家は。
 
 
 
母は父の死後引っ越しを余儀なくされたこともあり、
仏壇を除いていまの家にはほとんど父を偲ばせるようなものはない。
 
仏壇も父の死後に買ったものだから、生前の父とはまったく関係がない。
 
 
生前いろいろあったから、母は父のものをすべて処分してしまったのだろうと思っていたが
 
先日聞いたら、納戸の中にはそっくり残してあるという。
 
納戸までは見ていないので、実際はどうなのかわからないが・・
 
 
母は自分のものは相当処分しているように見える。
 
 
私に押し付けた分も含めて(笑)かなり思い切って捨てているような気がする。
 
母に関しては、捨てられねーゼということはない。
 
 
弟も相当思い切ってCDとかほとんど処分しまくっており
娘もモノがない感じなので
 
家族の中で捨てられねーゼは私だけ(笑)
 
 
昔は引っ越しの際にも、仕事道具の他はダンボール4箱しかなかったのに
結婚したら捨てられねーゼになっていた。
 
もしかすると、元夫にエンパスしているからかもしれないが。
 
 
だから捨てられないのもわかるのだが
 
捨てられないことはどこか狂気じみている。
 
 
いらないものがたくさんたまっているところに行くと
私の体内も滞留する。
 
というわけで、元夫の実家に行くとすごく滞留したし
きっと今も元姑のものはたくさん残っているのだろう。
 
 
友人の家でも、やはり滞留した。
 
 
でも開け放った窓から大通り越しに向かいのビルが見えて
同じくらいの高さの屋上で、庭木いじりをしている人を見た。
 
 
昔ながらの低層住宅なら、軒先きで下町ガーデニングをしていた人々なのだろう。
 
 
それがバブルの影響でビルを持たされて、上層階で生活し、屋上で庭いじりをしている。
 
母の実家があった場所も、人手に渡ってしまったが
いまはビルになっている。
 
 
こういう家が、たくさんあるんだろう。