カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

接種を決める理由

先週末はきれいな満月でしたね。

ストロベリームーンというらしい。

前日の24日のほうが、きれいだった気もする。

 

 

今年の1月下旬くらいから、ずっと両肩が痛く、五十肩だと思っていた。

 

 

最初のうちは左肩の痛みだったが、徐々に右腕も痛くなってきた。

 

ただ、腕はまったく上がらないわけではなく、普通に両手は上に上がる。

 

ぐるんぐるん前後に回しても、特に支障はなく、痛みもなく、可動域は変わらない。

 

 

ただ、水平に回して、反対側の肩甲骨の上下を掻くというのができない。

 

 

関節が痛いのではなく、少し下のあたり、三角筋の底あたりなのだ。

 

三角筋上腕二頭筋の境目あたり、くびれ付近よりやや上。

 

 

だから関節痛ではなく、筋肉痛ということになる。

 

左右両方痛いが、いまは右のほうがひどい。

 

 

先日神奈川県の黒岩知事が接種して、そのあたりが痛いと言っていたのを見て

もしかして・・と思った。

 

 

もしかすると、接種した人にエンパス・・

 

でもそうだとしたら、たぶん左側のほうが痛くなる気もしますし。

 

ほとんどの人が左腕接種ですよね。

 

でも理由がわからないし、仕方ないので整形外科に行ってこようかな・・

ロキソニンテープが処方されて、終わりの気もするが。

 

 

ところで、娘がなぜ接種希望なのかがわかった。

 

 

接種しないと、海外に行けないからだ。

 

ワクチンパスポートとやらで、それがないと渡航不可になる恐れが高い。

 

 

そう聞いて、それは説得が限りなく不可能に近いと思った。

 

 

そして、海外がらみで接種を決める人は、案外多いように見える。

 

私も、接種しなければ希望地域に入れないとなれば、接種するかもしれない。

 

 

渡航自体が難しそうなので、いまは様子見だが。

 

しばらくして様相が落ち着き、接種も不要ということになればいいのだが。

 

 

一方、弟は介護の仕事で、附属病院にはクラスターも発生しているという話だが、接種しないと決めている。

 

 

 

さすがに、そこまでの強さは、私にはないかもしれない。

 

ふたを開けてみると、意外に接種する人は爆発的に多い感じではない。

身近で、5日間も発熱したという人の話も聞く。

 

やはり、単純にどちらが良い悪いという話ではないように思える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コーヒーをゆっくり味わう

先日、ある方のセッションを受け、気づいていなかった自分の能力・魅力に

気づかせていただきました。

 

それに気づかず、別の栄光を

私はずっと追い求めてきました。

 

 

持って生まれたものは、何か道草というか

ムダなもので、そこに浸って遊んでいたら

自分はダメになると思ってました(笑)。

 

 

「愛を受け取ります」とか「豊かさを受け取ります」とか言いながら

全然わかってなくて、受け取らない気まんまんでした(笑)

 

その引き裂かれた状態が二元的であるとも

思っていませんでした。

 

 

二元でなく、一元化を目指すとか言いながら

二元も一元もわかっていませんでした。

 

 

2012年の12月中心に、アセンションということばがよく聞かれるようになり、それとともに一元化の波が来ているとかも聞いてはいて、

 

そのためにブロックを解放とか、やってはいましたけど、

なかなか1人では限界で、二元的であることに気づけない部分もたくさんありました。

 

 

グラウンディングについても、よくわかっていませんでした。

 

ただ地に足がついている、ということじゃない。

 

 

賞賛とか、成功とか、そういったものに意識を奪われていて

他に意識が行ってしまっている状態でした。

 

今ある楽しみを味わっているつもりでしたが、どこか罪悪感があり、

もっと頑張らなければと思っていました。

 

第二チャクラが、楽しみを味わうことに関係しているというのはうなずけます。

ここが抜けているから、よけい上に引っ張られてしまう。

 

 

そして気づきましたが、

部屋の中、断捨離ができていないのはなぜなのか。

 

自分では定期的に片付けているつもりなのですが、

捨てられないものばかり・・

 

本当にガラクタ、というわけではなくて

自分の好きなものだから捨てられない。

 

ある人が、愛が多過ぎて捨てられないと言っていて

確かにそうでもあると思っていました。

 

で、今回気づかされましたが、たしかに好きなものではあるけれど

それをいつか味わおうと思って取ってある感じ。

つまり、いま味わっていないのです。

 

買ってくるんだけれども、読まないまま積んである。

 

読むヒマがないというか、読んでちゃいけないと思う。

 

 

それより、やるべきことをやらないと。

 

絵を描いて、ブログやSNSにUPして。

 

それこそ寝る間も食べる間も惜しんで。

 

 

そうじゃないと、自分の人生、失敗だと思っていた。

 

 

だから、寝るのも食べるのも肯定できてない。

思う存分味わうことができない。

なんか、いけないことをしているように思っている。

 

疲れ切っているけれど、休めない。

 

休むのが怖くてたまらない。

 

 

でもいつか、成功したらゆっくり休めて、味わえると思っていた。

 

 

「これでいいのだ」とか、「今の自分が正解」とかアファメーションで言っていたけれど、全然そうは思えなかった。

 

このままじゃ失敗だと思っていたし、成功しないと自分の価値も人生の価値もないんだと思っていた。

 

 

そう思い始めたのはいつ頃だろう。

 

父がそう言ったわけじゃなかったけれど、自分で仕事をして身を立てていきなさいとは常に言われてました。

 

遅くとも、小学生の頃には。

 

「働かざるもの食うべからず」で、

勉強しない、働かないんだったら、メシも食ってはならないし、寝てもいけない。

 

それは骨の髄に染み込んでいました。

 

 

 

でも、勉強で私は失敗したんですよね。

 

学校では、落ちこぼれになってしまいました。

 

 

だからこそ、自分の選んだ分野で成功するべきだ。

 

そう意識をすり替えて、でも成功には囚われたままで、

つまり方向は変わったけれど、相変わらずいまここにはないものに向かって努力することは変わっていなかったわけです。

 

 

でも、その時それ以外に道があったかというと、なかったように思うのです。

 

 

そうするより仕方なかった。

 

変わらず成功か失敗かという二元の中で生きるより方法がなかったと思うのです。

 

そんなわけで、またウツになったりと失敗します。

 

相変わらず「ダメな自分」というのは存在し続けています。

 

 

 

セッションをしてくださった方のブログで、目に留まることばがありました。

 

「在り方」。

 

 

「在り方」ってなんだろう。

「在り方」というものがわかりませんでした。

 

本当に考えたことはなかったのかもしれないし、

考えてもわからない。

 

 

自分を受け入れる、ということもわからない。

 

知らないのだから、仕方ないのですが・・

 

 

でも、とりあえず、自分がいま持っているものについてはわかりました。

 

そして、それを楽しんでいいと、背中を押してもらいました。

 

なんだ、自分、持ってたんだ。

 

 

安心して、気持ちが軽くなりました。

 

 

やっと落ち着いて座って飲むコーヒーは、とても美味しいです。

 

 

 

ワクチンについての決断

TVのニュースでは、ワクチン接種をぜひ受けたいという人が87%と出ていたが

 

Yahooのアンケートでは44,8%で、50%に満たなかったのが意外だった。

 

何人の人が回答していたのか見損ねたのだが、やはりTVの情報はある程度手が入っているな、という印象だった。

 

虚偽とは言わないが、TVの視聴者中心に行った調査だと思う。

 

 

それを言えば、もちろんYahooの方には、TVはほとんど見ない人、ネット中心に見ている人が調査の対象だから、どこがフィールドかで結果が違ってくるということだと思う。

 

しかし、悪くない結果だと思う(やや上から目線・笑)。

 

ただTVの情報に乗せられるがままでなく、自分で考えている人も少なからずいるということだと思う。

 

 

そう悲観することもないかな、とも思う。

 

 

一方で、ワクチン接種を決めている人を説得して変えさせようとするのは、

ほぼ不可能に近いかと思う。

 

マスクをしない人に、説得してマスクをさせようとするのと同様に。

 

 

私が説得されても、変えないと思うからだ。

 

 

いま取っているスタンスは、すでに生き方の時点で決まっている。

 

たまたま表現される機会が今回あったから、出たというに過ぎないのだ。

 

少しばかり説得されたからと言って、簡単に変わるような部分ではない。

 

 

逆に言うと、いま各人が表現しているもの、スタンスは、生き方のあらわれということになる。

 

もうそれぞれの人の生き方が、ダイレクトに表現される時代になったのだ。

 

 

 

だからわかりやすい分、溝も深くなる。

 

分かり合えない人とは、ますますわかり合うのが難しくなる。

 

 

分かり合える人とは、そうたくさんことばを並べなくても分かり合えるということが起こる。

 

 

コロナというより、ワクチンが住み分けを促した感じだ。

 

こうして別れていくのだろうな、と思った。

 

 

それで世界が二分されていくのかな、と思ったが

そんな簡単な図式でもないかと思い始めた。

 

 

ワクチンに懐疑的であっても、医療関係者なら打たないわけにいかないかもしれない。

 

こどもたちを集めて何かを教えるような役割の人も、打つ必要に迫られるかもしれない。

 

外に出かけていく機会の少ない主婦の人でも、家の人のために打とうと思うかもしれない。

 

他の人がどうであろうと、自分は打たないと決める人には、

そう決めるだけの経緯があるのだ。

 

その決断は、一日や二日でできあがったものではない。

 

それまでの生き方が、その決断に集約している。

 

 

どのような決断も、いい悪いではなく、生き方そのものだ。

 

 

また同じワクチンを打っても、出方は人それぞれだと思う。

 

A+B=C に必ずしもすべての人がなるわけではない。

 

 

人体の複雑な要素が、生き残りに向けて働くのだから

結果がどのように出るのかわからない。

 

 

少なくとも答えは一つではない。

 

 

だから、その決断を祝福しよう。

 

どの決断であっても尊い

 

 

もしかしたら、初めて、本当に自分で決めて、未来を選び取るのかもしれないのだから。

 

どのような結果であっても成功なのだと言える。

 

 

選び取った未来も、祝福しよう。

 

 

 

 

 

 

 

音楽も地産地消

最近、Apple Musicでサザンばかり聴いている。

 

去年はクレイジーケンバンドばかりだった。

 

どちらも、神奈川出身(笑)

 

やはり気候の影響など、何か馴染むものがあるのか、と思う。

 

 

実はずっと洋楽ばかりで、あまり日本の曲はちゃんと聴いたことがなかった。

 

 

 

80年代頃、サザンのアルバムを借りてきたこともあったのだが、なんとなく、どうもサザンが好きと口外するのは恥ずかしい感じがずっとあった。

 

それに少しごちゃごちゃした感じがあって、中にはいいと思うのもあったが

なんとなく落ち着いて聴けない感じだった。

 

それが、神奈川県の奥地(笑)に越してきて、ある日江ノ電のホームにいた時に曲が聴こえてきて、「あ、この辺の雰囲気によく合った音楽なんだな」と思えた。

 

なんというか、神奈川の風土から生まれている音楽という感じがして、違和感がなかった。

 

たぶん、北海道の大地では松山千春が違和感ない、というのと同じような感じだと思う。

 

函館の、アイスバーンをものともせず飛ばす従姉のカーステレオから流れる松山千春は、「ここで聴くべき音楽」だった。

 

湘南のユルい海際にはサザン、横浜横須賀にはクレイジーケンバンドが似合う。

 

世代の差もあると思うが、クレイジーケンバンドが都会的で少し即物的なのに対して

 

サザンはかなり情感ずぶずぶだ。

 

その分、おなかいっぱいになれる。

 

今はそうでもないけど、正直ずっと歌詞が聞き取りづらかったし、

聞き取れても主語が曖昧で、意味がよくわからなかったりした。

 

でも語呂はよく鍛えられているし、言葉の並びにセンスを感じる。

印象よりずっと中身が深くて、知的であるとも思う。

私などがおこがましく評するには、ずっと大物で天才だと思う。

 

特に「愛の言霊」の、「千代に〜」の歌詞にすごくセンスを感じる。

 

そして近年になるにつれ、ワビサビを感じる。

桑田さんは、自分の弱さを認めている感じがあって、それもいいなと思う。

 

好きな曲はいくつもあるが、「フリフリ’65」がなんとなくしっくりくる。

 

あと、「愛なき愛児」のようにプログレっぽいのも好きだが、プログレというよりはビートルズなのかも。

 

曲調のバリエーションが豊富なのもいい。

 

 

でもたまに桑田さん、曲の初めのところで「わぉ!」とか叫んでますよね。

 

あれ、近くで聞いている人には、うるさいんだろうな・・とか思ってます。

 

 

私が何度か行った某所のライブに、サザンのコピーバンドが出ていて、

ボーカルが「わぉ!」と叫ぶたび、「うるせーな・・」と思ってました。

 

その人は本当に地声がでかくて、奥さんがやっぱりキーボードを担当しているんですが、「よく付き合ってやってあげてるな・・」と見るたびに思ってました(笑)

 

あんまり声がでかくて、聞いているうちに頭痛がしてくるんで、

3回目以降はそのバンドが出るあたりから中座してました(笑)。

 

でも、すごくサザンが好き、というのは伝わってましたけど。

 

海方面の飲食店で、サザンしかかけない、というところもあったりして、

熱心なファンの方が多く見受けられるように思います。

 

食材だけでなく、音楽に関しても地産地消な感じです。

 

 

 

 

 

 

恐れと論理と数字、確率

さて、先々週の横浜巡りで感じたことを追加。

 

ご案内いただいたAさんは、ヨガの先生です。

 

 

ヨガでは、ポーズが取れることよりも、体に何が起きているかを知ることの方が重要だと聞きました。

 

ですからAさんも、体感や風景を感じる、鍛えられた感覚をお持ちなのだと思うのです。

 

他からの情報を鵜呑みにせず、まず自分の目で見て、自分の感覚で感じてみる。

 

 

日々、そうした訓練を積まれていると思うのです。

 

 

その視点で語られるお話を伺いたい。

 

この、コロナの話で囲まれた状況で。

 

 

それがAさんの街案内に参加させていただいた、本当の理由です。

 

 

目の前に、とても美しく咲き乱れるバラの中、

 

あふれる色と香りの中で、ほとんどすべての人がマスクをして歩いていました。

 

 

その豊かさを感じずして、何を健康と言うのだろう。

 

 

それについては、人によっていろいろな考えがあるでしょう。

 

 

この状況で、見るべきはコロナではなく、それによって起こされる恐れだと思うのです。

 

 

変異株が出ているとは言え、コロナははるかに風邪よりかかりにくい病気です。

 

飛沫感染するとしても、どこか遠くから飛んできたウイルスにかかるという、空気感染ではありません。

 

毎日TVを見ていると、感染者数が膨大で、うなぎ上りのように感じてしまいます。

 

 

実際は風邪の患者数の方がはるかに多いし、重症化して死ぬ確率も

風邪とそう変わるものではないと思います。

 

風邪にかかることを恐れて、マスクを夏でも外さない。

そのようなことは、普通に考えればありえないことです。

 

ところが、マスメディアを見ていると、それが大問題のように感じてしま

います。

 

TVや新聞で取り上げられるのは、センセーショナルな事柄ばかりです。

 

衝撃を与える情報でなければ、人の気を引きつけられないからです。

 

「今日も問題なく、平和でした。」

では、記事になりません。

 

 

そのような情報操作が行われていると、考える必要があります。

 

 

美大では「マスコミニュケーション論」のような授業があります。

 

美大以外でも、あるかもしれません。

 

 

そこで、どのように情報を扱って、どのように人々に影響を与えるかを学びます。

 

すべての情報は、発信元に利益があるようにできています。

 

ニュースを見てもいいけれど、その情報は誰が何の目的で流しているのか

考えることは必要だと思います。

 

マスコミは、すべての利権から自由というわけではありません。

 

 

誰が利益を得るのか。

 

それを考えると、知りたくないことも出てくるかもしれません。

 

 

でも自分が主体で生きたいなら、誰かに操られて生きたくないなら

見るべきことはあると思います。

 

 

 

 

戦後、北朝鮮がパラダイスという情報が流され、多くの韓国籍の人が北朝鮮に渡らされたこと。

 

経済不安を払拭してくれるのは、強いナショナリズムであるということ。

 

今のニュースを見ていると、そんな情報が流されていたことを、つい思い出してしまうのです。

 

 

どういったスタンスを取るにしても、恐れはあります。

 

私にしても、コロナは怖くなくても、人の恐れゆえに取る行動は怖いです。

 

自分の中に恐れがあること、その恐れによって何が選ばれようとしているのか、わかっている必要はあると思います。

 

論理も人の数だけあり、恐れによって曲げられることもあります。

 

恐れがあって数字がからむと、単純に信じてしまいがちですが

その論理が目指すのはなんなのか、見抜く必要があります。

 

ワクチンの有効率が95%と、TVでは言われています。

 

しかし確率が出てくる時、分母と分子がどこから出ているのか、確かめなければなりません。

 

私は工学部の卒研で確率論を扱ったため、ついものごとを確率で考える傾向がありますが、分母と分子の出どころが変わると、確率の内容がまったく違うものになってしまいます。

 

有効率95分の100ですが、その100は、ワクチンを打った人全員、ということではありません。

 

 

 

Aさんとお話しできて、久しぶりに「健康とはなんなのか」確かめることができて、本当によかったです。

 

 

まさに、会いたい時に一番会いたい人に会えた。

 

そんな感じでした。

 

 

 

 

 

当てになるのか?私の感覚(笑)

前回、横浜の中心部についてよく感じることを書きました。

 

書いた後、下のようなサイトを発見して、かなり納得がいきました。

 

なぜ、東京の方が死者数が多いのに、横浜の雰囲気の方が陰影に満ちているのか。

 

https://allabout.co.jp/gm/gc/457984/

  

こちらを見ると、関東大震災が東京の地震というより、「神奈川が揺れた地震

ということがわかります。

 

震度7の地域も広範だったのです。

 

絶対的な死者数では、人口のもともと多い東京が多くなっていますが、

死亡率では東京都市部が3.3%なのに対し、横浜は倍の6.6%です。

 

また都市部の面積対死者数は書かれていませんが、おそらく旧東京市の範囲より旧横浜市の範囲はずっと狭く、その中での被害者数でしょうから、

同じ面積で、より多くの人が横浜では亡くなったのではないかと思われます。 

 

 

http://www.histeq.jp/kaishi_22/P109-115.pdf

こちらはPDFファイルですが、かなり具体的な様子がわかります。

 

火の出始めた時刻や進んだ方向、どのあたりで火災旋風が起きたか、といったことまで書かれています。

 

一体どのように調査したのか、そのような余裕があったのか不思議ですが。

 

横浜は、東京より全潰物件が多く、またそのため出火も早かったようで、

地震発生から1時間後の13時にはかなり火の勢いが大きくなっていたようです。

 

そして山手はすべて焼失してしまったようです。

 

外国人の屋敷が多かったせいか、死者数は少ないらしいですが。

 

 

そして前回、中華街はあまり「うわ〜」

という感じがしないと書きました。

 

しかし、上のリンク、それも二つ目のを見ると、実に最多の2000人以上が亡くなった場所です。

 

ここが好きって、私(笑)

 

でもここは、確かに他のところよりは、陰影が少なく感じられるのです。

 

 

ヨーロッパでも幾多の戦乱を経験していますが、意外にサッパリとした印象になっていて、それは意外なくらいです。

 

あの歴史の深さを考えても、またかなりバイオレンスなことが行われていたことを考えても、意外なほどのスッキリ感です。

 

少なくとも、鎌倉や横浜ほど重いものを感じません。

 

だからスッキリ化させるための、何か理由があると思っています。

 

そして中華街は、戦争でも再びほとんど消失していることを考えると、

やはり、風水的なつくりのせいかな?と勝手に考えています。

 

でも1つ目のリンクをみると、都内の死者数の多い場所のうち、

神田駅とかも、私は好きと公言してはばからなかった・・(笑)

 

あと、好き・・でもないけど、錦糸町もよく行く場所で

 

これを見ると、自分の感覚も当てにならないのかな・・と思いますが、

 

もし何者かに気に入られている、呼ばれているということなら、

その限りでないのかも・・

 

 

いや、呼ばないでください・・笑

 

 

 

横浜の陰影

先週、TABICAの体験に参加しました。

 

久しぶりにリアル体験です。

 

ヨガの先生・Aさんによる、横浜ツアーです。

 

 

私も横浜市民ですが、いつも気がつくと同じような道を通りがちです。

 

 

なので、あえて自分とは違った視点で歩いてみたい。

 

参加の理由はいろいろありましたが、もっとも大きい理由はそれでした。

 

 

いや、それは建前の理由かなぁ(笑)

 

本当は、すごく重要な理由があったんだ。

 

 

それはまあ、置いといて。

 

 

同じ横浜市民といっても、私は奥地で、「横浜のチベット」と言われる辺り。

 

Aさんは横浜の正に中心地にお住まいです。

 

 

横浜市民あるあるで、「海側」とか「山側」とか言いますので

私は山側だと言っていたら、青葉区民に「うちは山側だけれど、そちらは海側でしょ」と言われました。

 

確かに青葉区は、うちよりは山側、そして東京寄りです。

 

市の中でいろいろヒエラルキーがあるから、横浜市民はごちゃごちゃ説明するんだね・・

 

何度も言いますが、拙宅は中区民の魔夜峰央先生表現するところの、

「肥やしの匂いのするエリア」

です。

 

さらに就職するまで住んでいたのは川崎市だから、純粋横浜市民でもなく、

横浜市歌も知りません。

 

川崎のゴミ収集車の「好きですかわさき愛の街」のほうが

横浜のゴミ収集車の「横浜さわやかさん」より親しみ深かったりします(笑)

 

でももう、「横浜さわやかさん」を聞いている年月の方が長くなってしまいましたが。

 

そして、まだ横山剣さん作曲のゴミ収集の曲は、リアルタイムで聞いたことはありません(笑)

 

さらに言えば、東京都の学校にしか通ったことがないので

神奈川にあまり友達はいません。

 

都内なら多いかと言うと、そうでもありません。

 

友人の絶対数がそもそも少ないと思います。

 

 

でも、狭い世界をうろちょろしているので、適当に店に入ると知り合いの知り合いがいる、ということは近年増えました。

 

自分のアイデンティティは、「神奈川県民」ですね、やはり。

 

都内の学校にいると、神奈川県民は「僻地民」としてあしらわれますからね(笑)

 

 

あんまり僻地民と言われたので、そのあたりの陰影が私には残ってしまっています(笑)

 

 

それでもって、今回ご案内くださったホストのAさんは、私が通った小学校・中学近くで育った方なのです。

 

そして現在神奈川県民なので、いろいろ合う話も多いのです。

 

 

近年、妙に都立大近辺でお育ちになった方によく会うのです。

 

でもおそらく、Aさんのアイデンティティは東京都民でしょうね。

 

 

まあそんなで前置きが長くなりましたが、横浜の中心地。

 

「横浜、華やかでいいわね」

とか、気を使って言ってくださる方も多いのですが、

 

都内の私の学友などは

「横浜に行くと異人さんに連れてかれちゃうから」

とか

「港のアジトで麻薬の取引がされている」

とか、いまだに言ってますからね。

 

すべて間違いとは言わないですけど・・(笑)

 

学友で、本当に異人さんと結婚して海の向こうに行ってしまったりね・・

 

 

かく言うAさんも、横浜の華やかサイドを案内されながら

初めて遠足で横浜に来た時の印象を

衝撃的に語られていらっしゃいましたからね。

 

 

山下公園などを歩くに、異人さんに連れて行かれそうな雰囲気はあったし、

さらに中華街の人々がとても無愛想で怖かったと。

 

だから、港の見える丘公園まで来て、海際の雰囲気から離れられてホッとしたと。

 

確かに、童謡「赤い靴」の歌詞は衝撃的で、なかなか怖い内容と言えます。

 

私にとっても、この悲しげなメロディラインといい、まともに聞くと怖くなってしまうので、なるべく考えないようにしていた向きがあります。

 

さらにアンデルセンでしたか、童話の「赤いくつ」のストーリーの怖さも手伝って、考えてみれば「赤い靴」から目を背け続けています。

 

そして思い出しましたが、当時の中華街の人々は、今ほど愛想が良くはなかったのです。

 

 

Aさんは私と一つ違いですから、ほぼ同時代を生きています。

 

川崎に住んでいた私にとって、横浜は壮麗な外国式の建物にあふれていて、ものすごく美しく見えました。

 

私が小学生当時は光化学スモッグ警報が頻発していて、私の住んでいたあたりはいつも大気が黄色く見えていた印象があります。

 

武蔵小杉は工場街ど真ん中ではありませんでしたが、それでも通りの向こうには大きい工場が立ち並んでいました。

 

この界隈から引っ越して横浜に来ると、私の慢性気管支炎は治りました。

 

そんなですから、学友がいくら怖がっていても、横浜は私にとってはパラダイスでした。

 

「赤い靴の女の子」を除いては、街中で怖いと思ったことはありませんでしたし、父に連れられて横浜に来ては、建物を見上げて嬉々としていました。

 

でもやはり、中華街は異国で、どこか怖かったことを、Aさんの話を聞いて思い出しました。

 

確かに中国の人は無愛想でした。

 

後に、「巧言麗色少なし仁と」という話を聞いて、中国ではあまりニコニコすることを良しとしないと知り、納得がいくのですが。

 

 

でも怖かったのは中国の人ではなく、あの爆竹の大きい音でした。

 

あとはさまざまな色合いとか設えとかが、なんとなく自分たちのそれとは違っていたことでした。

 

 

私は中華料理が一番好きだったので、そのほかは怖くなかったのです。

 

ただ、たしかに中華街の人は、まだ食べている途中なのに、少し話に興じたりして手がつかないと、皿を下げてしまうのです。(今はそういうことはないですが)

 

そのため私には、中華街に来ると、皿を抱え込んで食べる癖がついていました。

 

指さえ食器の淵にかかっていれば、彼らは持っていかないからです。

 

 

ある日、都内で食べていて、そのことに気づいて笑いました。

 

 

今回Aさんの話を聞き、越して来るまでは大好きだった横浜のことを思い出していました。

 

 

越してきたら、横浜の闇の部分が見え始めました。

 

自宅近くから中心街まで行くバスが出ていたので、しばしば通うようになったのです。

 

そのバス路線の風景が、なかなか衝撃的でした。

 

目抜き通りなのに、風俗街だったのです。

 

 

そして寺で仕事をもらうようになって、さらにその界隈に足を運ぶことが増えてきました。

 

 

黄金町、日の出町、福富町、曙町、松影町、寿町・・

 

いかにも目出度そうな町名が何を意味するのか、一つ一つ知っていきました。

 

 

ちょうどその頃、黒澤の「天国と地獄」と言う映画を知りました。

 

そしてその界隈が、映画の中では「地獄」と呼ばれていることを知りました。

 

 

私が初めて黄金町に足を踏み入れた時は、まだ界隈に「ちょんの間」がありました。

 

ただ、最初に来た時は、界隈にそういったものがあるとは知りませんでした。

 

その3年後くらいに、男友達に連れてきてもらいましたが、昼間だったので毒々しさはさほどではありませんでした。

 

それでもエイズや犯罪に対する注意の看板があちこちにあって、ただならぬ雰囲気でした。

 

当時はまだエイズが出始めで、恐怖感がかなりありました。

 

私も2回エイズの検査をしましたが、かかっていなくて本当にホッとしました。

 

 

思えば、コロナよりはエイズの方が怖かったです。

 

 

そしてそれらダークサイドを見て、横浜のライトサイドがさらに眩しくなるかに見えました。

 

 

が、そうではなかったのです。

 

当時まだ寺に勤めていましたが、和尚はよくライトサイドについてもあまり良い言い方をしていなかったので、不思議に思っていました。

 

「全域不気味」

みたいな感じだったので、華やかさに幻惑されていた我が目にはわからなかったのです。

 

ただそれまでも、東横沿線のある街についても不気味と発言していて、それについては良く理解できたので、ますます不思議でした。

 

 

ところが以前も書きましたが、あるアクシデントがあり、体調不良に落ち入ります。

 

「クンダリーニ上昇もどき(?)」と書いたヤツです。

 

そうしたら、なんだか、和尚の言っていたことが真に迫ってきたのです。

 

 

体調は悪いし、ウツだし、例のずっと付き合っていた人に呼び出されてしぶしぶその界隈に出向いたところ、いたるところ「うわっうわっ」と言う感じだったのです。

 

なにかが見える、ということではないのですが、なにかずーんとした重さみたいなのがあるのです。

 

陰影というか。

 

何と具体的には表現できませんが、

そこかしこを見て、「うわ〜〜〜〜」という感じがするのです。

 

さらに、歩くと5分間隔くらいで、頭が痛くなったり治ったりする。

 

「なんじゃこりゃ〜」

と思いましたが、一番近い感覚と言うと、「体が重い」「頭が痛い」そんな感じです。

 

「目の裏側がゴロゴロする」ような。

街に汚れが付着していて、それに反応するような。

 

反対語は「スッキリ」です。

 

つまり、街ぜんたい、スッキリしていないのです。

 

 

そこ以上もっとスッキリしていない場所もあり、それは鎌倉から江ノ島付近でした。

 

そこはなんというか「もーダメかんべんして」っていう感じでした(笑)

 

寄りつきたくないし、とにかく一刻も早くそこから抜け出たい、と言う感じです。

 

 

関内のあたりは、一刻も早く、ってほどではないですが、

できれば長居したくない、少なくとも夜は越したくない、って感じです。

 

武蔵小杉や日吉に住んでいる時には、あんなに好きだったのに、不思議です。

 

 

でも、いま思えば、当時いたあたりが、関内よりヤバかったのでしょう。

 

一度、そうなる前に関内の某所にひとりで泊まってみたことがあるのですが

なんか、変なイメージが真夜中に浮かんで来ましたよ(笑)

 

明らかに自分の中にないイメージでした。

 

つまり、他からやってきたものです。

 

 

そうなってみて、理由がわかった気がしました。

 

 

 

今回のAさんの案内では、山手のあたりをまずご案内いただきました。

 

高台から、選りすぐりの景色を見せていただいたのですが、

 

そこから見えるあるマンションに、なぜ人が入居しないのか気になる・・

とのことでした。

 

 

堅牢で、いかにもお金をかけた造りのマンションです。

管理費・維持費も相当高額ということです。

 

 

そう言われた時は、さほど気にならなかったのですが、

もっと深い話を聞くに従って、そして周辺を歩くに従って納得が行きました。

 

私は、東京の本所被服廠で起きたような火災旋風が、横浜でも起きていたことを知りませんでした。

 

 

そして今まで、なぜ山手に行く気にならなかったのかがよくわかりました。

 

山手は、先の「地獄」に該当した場所に対し、「天国」と形容された場所です。

 

でも、山手はどこか影があるのです。

 

 

それを外人墓地のせいだと、または小港の食肉加工施設のせいかと思っていました。

 

横浜は震災や空襲の前にもたびたび火災に見舞われたと聞いてはいました。

 

でも、どんなことが起きていたか、はっきりとは知らなかったのです。

 

 

Aさんの話を聞いて、やっとつながった気がしました。

 

そして帰宅して、さらに関連したことを検索したところ、もっと悲惨な事実がわかりました。

 

 

あの、私が感じた「うわ〜〜」という感覚が、納得できたのです。

 

天国側も、地獄側も、そう差はありません。

 

 

確かに地獄側は、よけいやるせなさが漂っています。

 

桜木町駅前から野毛を抜けて福富町にさしかかる、大岡川のあたり、

水面に色濃く諦念が漂っています。

 

閉塞感というか、苦しさというか。

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ツアーの終盤に差し掛かったところで、Aさんから

「横浜は、どの辺が好きですか?」

と聞かれたのですが、ことばに詰まりました。

 

「中華街ですかねえ、中華料理が好きだから」

そして、父が中華街でリフォームの仕事をもらっていたことを話しました。

 

せっかくこの日にご案内いただいた場所が、ほとんど該当しなくて申し訳なく思いましたが、確かに中華街だけは、どこか組成が違うのです。

 

 

風水に基づいて作られているせいでしょうか、その一帯だけは

「うわ〜」をかろうじて感じずに済むのです。

 

そして関帝廟は、数少ないパワースポットになっています。

 

奥に入ると、体にエネルギーが満ちるのが感じられます。

 

 

でも、そこを出て山下公園などに行くと、しゅ〜んとしぼんでしまうのも感じてしまいます。

 

 

東京だって震災や空襲で焼けているのに、そこまで重たい感じはないので

どうして横浜だけが?と不思議に思います。

 

祖母たちは空襲で亡くなった人々を、近辺の公園に埋めたそうですが

いまそこへ行って、多少感じるものがあっても、横浜ほどではありません。

 

東京は、横浜よりずっと多くの人が流入して、エネルギー的に相殺されているからでしょうか。

 

単位面積あたりの死者数が、東京より多かったと聞いたこともあります。

 

 

「うわ〜」を感じ始めた当初よりは感覚が鈍くなっているようにも思ったのですが、この日もあるビルに入ると、入口付近はそうでもないのに、奥に入るに従って頭痛がひどくなることがありました。

 

なんとなくいま思ったことですが、クンダリーニ上昇的なことがあって、上へエネルギーが流れる道ができ、足元から入った土地の情報が、頭の方まで上がるために知覚できるようになった、ということではないかと思います。

 

そして元々エンパス体質で、「感情一体型」と「体感一体型」のため、感情と体感はある程度わかるけれど、他のことはわからないから、そうした感覚になるのだと思います。

 

 

それはわかっても、横浜が東京よりなぜいまだに「うわ〜」なのかはわかりませんね・・

 

 

帰宅後検索して知ったことですが、関東大震災の惨状の中、2件だけ救いのある記事がありました。

 

横浜正金銀行、いまの県立博物館の中と、横浜公園ハマスタのある公園です。

 

その中に集まって来た人々は、かろうじて難を逃れたのです。

 

両地とも、ギリギリの状況ではあったそうですが、正金銀行は火の勢いの強かった通りに面した部分が、強固にシャットアウトされていたこと、

 

また横浜公園は、周囲に植えられていた樹木が、火の勢いを防いでくれたからでした。

 

他の西洋建築は、堅牢な造りでも火の影響を軽減できず、かえって堅牢なだけに避難した人々が蒸し焼き状態になってしまったと聞いています。

 

横浜公園は、もし樹木がなかったら、火災旋風が起きて

本所の被服廠のようになっていたと思います。 

 

正金銀行は、中に入れた人は助かりましたが

周囲には逃げ込めなかった人々の無残な状態が放置され続けていたと聞きます。

 

でも、「うわ〜」となる以前、私は特に県立博物館周辺が大好きだったんだよね・・

 

どうしてなんだろうね。

 

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(写真は関内のインペリアルビル。文中の内容とはあまり関係ありません。)