カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

コーヒーをゆっくり味わう

先日、ある方のセッションを受け、気づいていなかった自分の能力・魅力に

気づかせていただきました。

 

それに気づかず、別の栄光を

私はずっと追い求めてきました。

 

 

持って生まれたものは、何か道草というか

ムダなもので、そこに浸って遊んでいたら

自分はダメになると思ってました(笑)。

 

 

「愛を受け取ります」とか「豊かさを受け取ります」とか言いながら

全然わかってなくて、受け取らない気まんまんでした(笑)

 

その引き裂かれた状態が二元的であるとも

思っていませんでした。

 

 

二元でなく、一元化を目指すとか言いながら

二元も一元もわかっていませんでした。

 

 

2012年の12月中心に、アセンションということばがよく聞かれるようになり、それとともに一元化の波が来ているとかも聞いてはいて、

 

そのためにブロックを解放とか、やってはいましたけど、

なかなか1人では限界で、二元的であることに気づけない部分もたくさんありました。

 

 

グラウンディングについても、よくわかっていませんでした。

 

ただ地に足がついている、ということじゃない。

 

 

賞賛とか、成功とか、そういったものに意識を奪われていて

他に意識が行ってしまっている状態でした。

 

今ある楽しみを味わっているつもりでしたが、どこか罪悪感があり、

もっと頑張らなければと思っていました。

 

第二チャクラが、楽しみを味わうことに関係しているというのはうなずけます。

ここが抜けているから、よけい上に引っ張られてしまう。

 

 

そして気づきましたが、

部屋の中、断捨離ができていないのはなぜなのか。

 

自分では定期的に片付けているつもりなのですが、

捨てられないものばかり・・

 

本当にガラクタ、というわけではなくて

自分の好きなものだから捨てられない。

 

ある人が、愛が多過ぎて捨てられないと言っていて

確かにそうでもあると思っていました。

 

で、今回気づかされましたが、たしかに好きなものではあるけれど

それをいつか味わおうと思って取ってある感じ。

つまり、いま味わっていないのです。

 

買ってくるんだけれども、読まないまま積んである。

 

読むヒマがないというか、読んでちゃいけないと思う。

 

 

それより、やるべきことをやらないと。

 

絵を描いて、ブログやSNSにUPして。

 

それこそ寝る間も食べる間も惜しんで。

 

 

そうじゃないと、自分の人生、失敗だと思っていた。

 

 

だから、寝るのも食べるのも肯定できてない。

思う存分味わうことができない。

なんか、いけないことをしているように思っている。

 

疲れ切っているけれど、休めない。

 

休むのが怖くてたまらない。

 

 

でもいつか、成功したらゆっくり休めて、味わえると思っていた。

 

 

「これでいいのだ」とか、「今の自分が正解」とかアファメーションで言っていたけれど、全然そうは思えなかった。

 

このままじゃ失敗だと思っていたし、成功しないと自分の価値も人生の価値もないんだと思っていた。

 

 

そう思い始めたのはいつ頃だろう。

 

父がそう言ったわけじゃなかったけれど、自分で仕事をして身を立てていきなさいとは常に言われてました。

 

遅くとも、小学生の頃には。

 

「働かざるもの食うべからず」で、

勉強しない、働かないんだったら、メシも食ってはならないし、寝てもいけない。

 

それは骨の髄に染み込んでいました。

 

 

 

でも、勉強で私は失敗したんですよね。

 

学校では、落ちこぼれになってしまいました。

 

 

だからこそ、自分の選んだ分野で成功するべきだ。

 

そう意識をすり替えて、でも成功には囚われたままで、

つまり方向は変わったけれど、相変わらずいまここにはないものに向かって努力することは変わっていなかったわけです。

 

 

でも、その時それ以外に道があったかというと、なかったように思うのです。

 

 

そうするより仕方なかった。

 

変わらず成功か失敗かという二元の中で生きるより方法がなかったと思うのです。

 

そんなわけで、またウツになったりと失敗します。

 

相変わらず「ダメな自分」というのは存在し続けています。

 

 

 

セッションをしてくださった方のブログで、目に留まることばがありました。

 

「在り方」。

 

 

「在り方」ってなんだろう。

「在り方」というものがわかりませんでした。

 

本当に考えたことはなかったのかもしれないし、

考えてもわからない。

 

 

自分を受け入れる、ということもわからない。

 

知らないのだから、仕方ないのですが・・

 

 

でも、とりあえず、自分がいま持っているものについてはわかりました。

 

そして、それを楽しんでいいと、背中を押してもらいました。

 

なんだ、自分、持ってたんだ。

 

 

安心して、気持ちが軽くなりました。

 

 

やっと落ち着いて座って飲むコーヒーは、とても美味しいです。