カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

ラプンツェルカルマについて

先の「王カルマ」の記事で「ラプンツェルカルマ」についても少し触れましたが、

 

フリーダム・ディスティニー、平野あやさんのブログによると

こういったことです。

https://ameblo.jp/freedom-destiny-world/entry-12644906891.html

 

ラプンツェルは長いこと、魔女である継母によって塔に幽閉されていました。

 

世界は怖いところだけれど、自分の元にいれば安全だと言い含めて

独立を阻むよう働きかけられた、というような

 

親子の関係に於けるカルマを指しています。

 

子供を保護しようとするのは、親であれば当然ですが

成人を過ぎても引き止めようとすることは、親として行き過ぎです。

 

そうしたこどもの独立を阻むような親が、ダークマザーと呼ばれます。

 

 

私自身がダークマザーであり、私の母もある程度そうでした。

つまり娘にも、ラプンツェルカルマがかかっているということです。

 

そしてこれは施術後に気づいたことですが、元夫とその母親の方が

私の母よりはるかにその傾向が強かったです。

 

私は一応母に反抗してその下から脱出しているため、ある程度の距離が確保できていましたが、結婚により元夫とその母親の意識の影響を強く受けることになりました。

 

エンパスでそのままそっくりもらっていたところが大きいです。

 

元夫はすっかりその母親から懐柔されて、意識はほぼ完全に母親に結び付けられています。

 

そして姑はある程度その自覚があったのではと思いますが

元夫はそれを意識できていません。

 

彼の母親は完全に彼の味方であり、私は敵のようになってしまっていますが

実際のところはそうではないように思います。

 

でもこれは、地方の長男には多くあるケースだと思います。

 

家にとって跡取り息子は大事ですから、とても大切にされます。

 

父親も同じような意向を持っているとは思いますが、

直接的に働きかけているのは母親です。

 

息子も家からは出ていたりして、一見独立しているのですが

意識的には深く家に結びついています。

 

長男はスポイルされていることに気づいていないのです。

 

地方の家、特に本家は、個人の幸せより家の存続が

重要な命題になっている向きが感じられます。

 

跡取り息子も、そのあたりは理解していて

自分を家に合わせて抑えているため、自分のエゴが強いとは思っていません。

 

その連鎖が、家系で続いています。

 

子供は家に拘留されているのと同じです。

 

自由に生きているわけではないのです。

 

気がつけないというところが厄介です。

 

 

このカルマから解き放たれた時、広い場所に出られた気がしました。

 

自分が囚われの身だったことに、脱出してから気づくこともあると思います。

 

 

マンションの私の部屋には、廊下に面した部屋にありがちな鉄格子がはまっていますが、もしかしたらこれもカルマを発動させるのに一役買っていたのかな、と思いました。

 

気のせいかもしれませんが。

王カルマ

「王カルマ」って、いったい何?

と思われるでしょうが、

 

株式会社Freedom Destiny 平野あやさんが考案された遠隔ヒーリング「LOVING」の内、今年年初に行われた「カルマトラウマ契約解除」とは

https://ameblo.jp/freedom-destiny-world/entry-12644905065.html

 

にある通りですが、その一つ「王カルマトラウマ契約解除」とは、

https://ameblo.jp/freedom-destiny-world/entry-12644908784.html

 

といったものです。

 

私はシンデレラカルマとラプンツェルカルマが結構キツいと感じていたので、そちらを迷わず選択しましたが

 

以後落ち着いて文をよく読むと、王カルマについても該当していました。

 

確かにラプンツェルカルマは相当かかっていて、効果も大きく感じられたのですが、

 

それらの陰に隠れて「王カルマ」を見落としていました。

 

今思うと、それも受けるべきだったと後悔しています。

まあ、今だからそう思うわけですが。

 

王だと、やはり立場が上のように見えていたんですよね。

どう考えても私の扱いは、様々なところで「下僕」的だったので、シンデレラの方が近いと思ったんです。

 

その後、「王カルマ」の動画を見て、かなり該当していたとわかりました。

 

特に王カルマの影響が出ていたのは、寺勤めを辞めたころ、2007年ころですね。

 

仕事が集中し過ぎて、責任過多の状態になっていたこと、

またPTAで図らずもまとめ役になり、問題出まくりでした(笑)

 

ちょうどその頃にオーラソーマを始め、エジプトの関係するボトルが多く、またゴールドばかり選んでいて、そちらの先生もエジプト関連でゴールドを引くということで、古代エジプトにもしかすると権力がらみで何かあったのかな、と思いました。

 

 

他に昨年末、シスター過去世カルマや、スパイ過去世カルマもあったんです。

 

シスターはなんとなく自覚していたので選べましたが、

 

少し興味がありながら見送ったのは「スパイ過去生カルマ」でした。

 

パッと見、自分には関係ないかなと思ったのですが、例えば技術系の人の場合も、参加しているプロジェクトが「社外秘」というのはよくあることですよね。

 

そうなると、家族にも誰にも言えません。

 

技術者だった当時、私は特に重大なこととも思ってませんでしたけどね。

家に帰ってもそんな話はしたくもならないし。

 

ただ、飲み会や通勤途中、同じプロジェクトにいる人と話をするのに気をつける、程度でした。

 

飲む人にはそのあたりが危ないと言われますが、私は飲めるわけでもないので。

 

ただ、ポロッと出ることは、無くはないですよね。

 

どちらかというと、秘密をしゃべってしまうというよりは、「何か話したところで理解されるわけがない」という孤独感の方が、常に強かった気がします。

 

個人的には、父の知り合いで、私自身もかなりお世話になった方が、戦中に諜報部員として満州にいました。

その後平成に入ってからですが、当時の様子をワープロで綴って、身近な人だけに渡されていました。

軍事裁判と拘留が、かなり大変だったそうです。

 

また大学では情報理論をやっていたので、暗号文を復号化する際に出る誤り率の計算をしていました。

選択ではありましたが、通信技術の実習で、モールスの送受信があったので、暗号文の送受信もしたりしていました。

 

そのくらいなので、スパイ過去生カルマの解除は申し込みませんでした。

 

でも、王カルマは受けるべきだった・・

 

まあ、すべてのLOVINGを受けるのは、私としては不可能に感じていましたし、

今更しかたありません。

 

ご興味ある方は、上のリンクを見てみてください。

 

私はこちらのFreedom DestinyのLOVINGで、かなり軽くなりましたが、

それでもまだたくさんブロックは残っているな、と感じています。

 

筋肉とスピリチュアル

何と、今月は、これが初の投稿ですね。

 

緊急事態突入前の駆け込みで、渋谷に行ってきました。

 

モンベルで、ずっと気になっていた被るタイプのレイン・アンブレラを買いました。

 

三度笠みたいなヤツです。

 

UVカットの機能もあり、海辺で絵を描くには必携かなと思いました。

 

カタログで見て、あれもこれも欲しくなっていましたが、実際に合わせてみないとわからないですね。

 

で、昨日弟宅に、母から言付かった品物を届けに行ったのですが、モンベル会員になってました(笑)

 

最近、一人キャンプをしばしばしているそうです。

 

さらに筋肉作りをしているらしい。

 

その上、タロットやオラクルカードにハマっているそうな。

 

ホワイトセージのインセンスをいきなり出して来たので、何か浄化しなければならないものがあるのかと思ったら、音叉や紫水晶の六角柱まで出てきました(汗)。

 

筋肉作りは、従来の弟の延長線上にあると思いますが、

 

そしてスピリチュアル関係も、「神との対話」やブロック浄化など、私より先にハマっていましたが、

 

こういう方向に来るとは思っていませんでした。

 

さすがの?私も、タロットには手を出さずに来ましたし

 

ラクルカードも2〜3回引いてやめたので、それを言うと、ビックリしたような顔をしていました(笑)

 

実は中学生の頃、トランプ占いやホロスコープ、ペンジュラムにハマり、やり過ぎて

 

なんか信じられなくなっちゃったんです。

 

本当に、神的な存在からの返答なのか?

自分のエゴじゃないのか?

 

そういうものにばかり頼らずにいられない、自分の弱さもイヤでした。

 

たぶん、前世は魔女で、一通り充分やったんだと思います。

 

同様にハーブとかアロマテラピーとかもやる気になりません。

 

まさか弟から、カップとかワンドとか聞くことになるとは思ってませんでした。

 

こうしたものは、スピリチュアルでも

光も見れば闇も見るかな、とも思います。

 

どんなものでもそうかもしれないですけど。

 

あまり男性でこうしたことにハマる人を知りませんでしたが、いるにはいますよね。

 

アレハンドロ・ホドロフスキーとか。

 

筋肉を鍛えるとスピリチュアルとバランスが取れて、グラウンディングできるからいいかもしれないですけどね。

 

Safariが立ち上がらなくなった

先日、Macを立ち上げると、

「"SafariBookmarksSyncAgentが予期しない理由で終了しました"」

的なメッセージが出て、Safariが立ち上がらなくなった。

 

こんなことは初めてだったので面食らったが、

 

何かあったらまずグーグル先生、と友人からは言われていたので、iPhoneで検索する。

 

まだパソコンの他にiPhoneがあるから検索できるけど

 

これが一つしかなかったら手も足も出ない。

 

ただ、この不具合はたぶんiPhoneMacテザリングしたから起きた気がした。

 

思い当たる理由が、前日の終わり頃にテザリング途中でiPhoneを急に引っこ抜いたことだった。

 

それまでMaciPhoneは、ケーブルを使ってテザリングされていた。

 

それ以外に、普段と違うことはなかった。

 

で、グーグル先生によると、MaciPhone

Safariの同期が取れていないことの表示のようだ。

 

解決方法は、強制的にMaciPhoneとで同期を取ってやること、とあったが、

 

そもそもMacSafariが立ち上がらないのに

そんなことできんの? と思った。

 

で、グーグルで引き当てたあるブログによると、iPhoneの最後の履歴のURLをメモっておいて、

 

Macのシステム環境設定からicloudの同期について、Safariのチェックをはずす(つまり、Safariについてicloud上でMaciPhoneの同期をストップする)。

 

そしてSafariを終了してから、ターミナルかFinderから

フォルダー/Library/safari

にあるBookmarks.plistのブックマークを適当に改名(削除する)と書いてあったが、そのようなものはFinderに見つからなかった。

 

さらにそこからSafariを起動して、先ほど書き出しておいたURLを読み込み、

 

その後icloudを同期させる、とあった。

 

そのブロガーさんのケースでは、Safariは開けていたようで、私とは違う状況だったようだが、とりあえずicloudMaciPhoneの同期を解除する必要はあると思った。

 

同期をやめれば、それらが一致しないというメッセージは出なくなるはずだから。

 

果たして、メッセージは出なくなった。

 

でもSafariが立ち上がらないのに、URLを読み込むなんてできるのか・・と思ったら、

 

DocにiPhoneSafariのアイコンが表示されている。

 

もしかして・・と思ってクリックしたら、開けた。

 

MacSafariは死んでるけど、iPhoneSafariMac上で開けた。

 

icloudで同期はしていなくても、Wi-fiで同期していたのかもしれない。

 

それでiPhoneSafariMacで開いたら、iPhoneで開いていたブログのページが開いていた。

 

そのURLをコピーして、一度Safariをシャットダウンし、MacSafariを立ち上げたら開けたので、そこに張り付けてみた。

 

そしてMacSafariにも同じ画面が表示された。

 

それから改めてicloudSafariを同期させると、以後は問題なく起動できるようになった。

 

なんかわかったようなわからないようなだけれど、うまく行った。

 

参考にさせていただいたのは以下のブログです。

http://voidptrjp.blogspot.com/2018/08/safari-safaribookmarkssyncagent.html?m=1

 

というわけで、テザリング中にいきなりiPhoneを引っこ抜くのは止めようと、固く心に誓った。笑

大きな問題の解消〜女神ソフィアに関係して

またもやこんどは一昨年から書かずに放置していたことを、思い立って書いてみる。

 

一昨年は、こんな事態になると思っていなくて、これからも同じような日々が続くのだという安直さがあった。

 

一昨年の6月頃だったか、ある人からヒーリングを受けた。

 

ある人を仮にNさんとする。

 

彼女はイタコのような職業の家系で、昔はスピリチュアルとかは怪しいと言って遠ざけていたらしい。

 

でも私と知り合った2014年にはすでにスピリチュアル好きだった。

 

そして2018年の夏、ある扉が開いたのだ。

 

ある手続きによって。

 

実は私も彼女からそれを聞いて、マネしてやってみた。

 

すると、やはり何か開いた感があったのだ。

 

私はそれでも状況的にはほとんど変化がなかった。

 

一方、彼女はサイキックの才能を開花させ、セッションをするようになった。

 

私も彼女のセッションを受けたが、彼女らしい可愛らしさとユーモア、優しさが感じられるような内容だった。

 

私の前世をみて、その時から引きずっているトラウマを癒す、という流れだった。

 

なんとなくその頃、「ソフィア」とか「アナスタシア」という特定の魂とつながりがある人々が出てきて、そういう人々はその魂と似たテーマやトラウマを抱えていた。

 

前世の名前もそのままだったりして。

 

アナスタシアは、帝政ロシアの最後の姫君で、悲しい末路を遂げた。

 

確か2018年の夏頃、ある人のブログで、過去世でアナスタシアだったらしい人がセッションを受けた話を読んだ。

 

で、私の過去世は、ソフィアに関するものだったようだ。

 

ソフィアというのはレムリアの女神だかで、長いこと封印されていたが、やはりある方のブログで、その封印が当時解かれようとしているということだった。

 

 

それぞれ関連した過去世の人は一人ではなく、複数、もしかしたらかなり多くいるようだった。

 

というのは、一説によると過去世というのは、アカシックレコードから好きにダウンロードできるということだった。

 

だから、同じ過去世の人が何人かいる、という事態も出て来るらしかった。

 

例えば「自分はキリストの生まれ変わりである」という人は何人かいるが、

 

関連した魂として、同じ過去世を共有しているのではないか。

 

それももしかしたら全く同じ過去世ではなく、魂の個性によって微妙に違う状況を生きているのではないかと思う。

 

で、そうしたグループ全体で、一人の女神の様々な側面を生きて、問題を分担している気がする。

 

それを負った人が、その問題を解決することで、女神に関する課題が解消されていく。

 

私はソフィアの封印を解く、一つのコマだったということだ。

 

でもそのことで、私は自分自身の問題も一部解決できたように感じる。

 

その後Nさんはある理由でヒーリングを止め、スピリチュアルな場所からも遠ざかった。

 

そのこともおそらく意味がある。

 

個人的には彼女がスピリチュアルの分野から撤退したのは残念だが

 

きっともっといいことのために

このことは起きたのだと信じている。

 

 

2回目の焚き火

今日は珍しく午前中に風がなかったので

焚き火をすることにした。

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燃やすのがヘンプ(麻)のおがらなので

変な成分が出たらまずいが

 

5階建の5階だし

量を少なくして

まずはやってみよう。

 

とりあえず一握りくらいにするが

 

煙がいっぱい出るわりに

ストーブ本体すら温まらず

 

ましてや乗せたケトルなんか温まるはずもなく

火は消えた。

 

暖まらないのに

ケトルの底にヤニっぽいベトベトしたものは付いた。

 

煙はかなり出たから通報されるかもしれないと思ったけど

 

昨日3.11だから

緊急事態に備えてサバイバルの練習をしなければいけないと思った、とか言えば

許してもらえなくても

理解はしてもらえるかと思った。

 

でも結局なにごともなく終わった。

 

前回よりは少し炭の量は増えた。

 

匂いは、マリファナとかの匂いを知らないので

どうとも言えないが、

 

ちょっと頭が痛くなったくらいで

ハイになったりはなかったから大丈夫だと思う。

 

手はかなり臭くなったけれど

プラスチックの匂いに近い。

 

アメリカから一時帰国した友人が

表参道ヒルズの前で

「やだ、マリファナの匂い」

と言っていたのを思い出す。

 

そう言えば弟はカナダで無農薬有機栽培の大麻をご馳走になったらしいから、今度聞いてみよう。

 

トライ&エラーで

まずは経験値を積んでいこう。

こんなことは書いてはいけないのかもしれない

 

実はちゃんと文にできなくて、去年からずっとモヤモヤしていることがあるのだが、今日はそれを書いてみよう。

 

お店の絵描き仲間Nさん。

 

私は個人的に、Nさんの描く絵が味があってとても好きだし、

正直同じ絵描き仲間の中では、一番好きと言える作風だ。

 

仲間になる前から、Nさんのことは知っていて、知り合ったのはここの店だが、他のイラストレーターの方を通してだった。

 

その時から、Nさんはなんとなくいい感じだと思っていたし、絵も好きだった。

 

でも、去年の夏のパーティだったか?

なにか彼女は私に対して怒っていた。

 

なんでだろう・・と思い返すに、彼女は3月、私のグループ展を見に来てくれた。

 

お店からは近いところにあったから、お店に出る前に寄ってくれたようだった。

 

でも手間には違いないし、私はNさんが来てくれたことがうれしかった。

 

 

その時彼女は、店での調子について尋ねてきたのだ。

 

それについて、私ははぐらかした。

 

 

話したくなかったのだ。

 

彼女はうまくいっている風だったし、私は迷っていた。

 

そして売り上げも、彼女に比べれば良くはなかった。

 

彼女に対して競争心があった、とまでは言わないが、

仲間というよりは、商売敵に近い感覚があった。

 

それは彼女だけに対してではなく、他の絵描き仲間に対してもあった。

 

そもそも絵描き同士には仲間という感覚はあまりなく、ただばらばらで

それぞれが自分の作品にしか興味を持っていない。

 

それが当たり前だった。

 

美大でも油はそうだったし、画廊でも他の作家と会えば話はするけれど、特に仲良くするという感じもなかった。

 

 

その上、私は店に入って半年経っていなかったし、他の作家さんとも出る日が違うから話したこともなく、自分の立ち位置も見えていなくて、やり方にも迷っていた。

 

触れられたくなかったのだ。

 

 

でも彼女は絵描きというよりはイラストレーターで、むしろデザイナーに近かった。

 

デザイナーやイラストレーターの人たちは、仕事として立場が確立していて、自分のできない部分は他の人に任せるという、いい感じの分業制になっているように思う。

 

ここからここはAさんだけれど、その先はBさんとか、協力体制ができているのだ。

 

だから普段からよくつるんでいるし、仲がいい。

 

Facebookとかでも、他のアーティストのポストに対する反応が、絵描きのそれとは大きく違う。

 

絵描きが正直冷たいのに対し、人ごととは捉えていない。

 

彼女を知ったのも、イラストレーターやデザイナーのパーティを通してだったし、彼女はその人々の輪の中にいた。

 

だから3月に彼女が私の様子を尋ねたのも、単純にどうしているか知りたかったのだと思う。

 

ふだん当番が違うから、会える時くらい聞いてみたい、そういう感覚だろうと思う。

 

しかし聞いてきたことが、ドンピシャというか、まさに知りたいところはそれだろうし、言いたくないこともそれ、といったものだった。

 

自分の戦略方法というか、売っているスタイルを一言で述べよ、みたいな感じだ。

 

ああやっぱりそうきたか、そうだよね、みたいな感じだった。

 

絵描きはすべて自分でやろうとするから、他の人にそのあたりを見せないし、自分で抱え込んだことは自分でもがいて答えを出そうとする。

 

でも、考えてみれば店に出る日も違うし、みんなでお店に協力しているのだから、絵描きだって協力してシェアできるところはしたってよかったのだ。

 

今だから、そう思えるようになったが。

 

そう、それで夏前に店のイベントがあって、そこでNさんに再会した時、

怒られている感じだったのだ。

 

でもそこでまたはぐらかして、表面的なことばかり言っていると

彼女とは一生仲良くなれないと思った。

 

それで、素直に、とまでは言えなかったが、自分が店で描きながら迷っていることを思いつくままにとりあえず語ったのだ。

 

迷いながら売っていることはまずいとは、ずっと思っていた。

 

絵を買うなら、おそらくどんな人も、作風が決まっていてそれを自信を持って描いている人から買いたいと思うと思う。

 

死んだ作家の絵が高額で取引されるのは、すでに迷いがないからだ。

 

どんなにヘタであっても、それをいいと思って描いている人から買いたいのではないかと思う。

 

だから自分は、迷っていないフリをして描いているのだ。

 

 

でも風景、空や海を描く時は、ほとんど迷っていない。

 

それが売れるかと言えば、ほとんど売れない。

 

クロッキーにもほとんど迷いはないが、売ろうとは思わない。

 

しかしオーダーを受けて描く、似顔絵などの人物画は迷う。

 

そっくりに描くことだけが求められている、故人の肖像画

それ以外に描きようがないので迷うことはない。

 

自分を描いてもらうことを楽しみに待っている人がいる絵のオーダーは

果たしてこれでよいのか、といつも迷う。

 

 

どんな絵でも、これで完璧だと思うことはないが

お店でオーダーされた場合は、絵を渡した後でも

いつまでも迷っていることが多い。

 

これでいいのかと苦しみ続ける。

 

頼んでくれた人が喜んでいても、少しはよかったとは思うが

自分自身は納得していない。

 

というのは、どこか自分の本当に描きたいものと

違うことを描いているからだと思う。

 

それで金をもらってよいのか、と、いつも思う。

 

 

後から見て、「これはこれでよかった」と無理に自分を納得させているところも多々ある。

 

他の絵描き仲間、Yさんはそのあたりプロ根性ができているのか

「買った人がよかったと思えるためにも、よくなかったと思っちゃダメ」

と言っているが。

 

それでNさんに言ったのだが、彼女がなんと言ったのだか忘れてしまった。

 

さらに、「店で描いた絵がなんだかあざとくて自分でイヤだ」と言ったところ、

彼女は

「あざとさは画材が合っていないから出る」

と、また怒ったように言ったのだ。

 

それがあまりに衝撃だったので、先に言われたことを忘れたのだと思う。

 

その返答は私には予期していなかったもので、どうして彼女がそう感じるのか理解できなかったし、私自身はまったくそうは思わないからだ。

 

「いや、画材は体質で決まるから、画材自体が自分に合っていないということはない」

とは一応返した。

 

その時、なんとなく彼女の中で何かが動いたように感じた。

 

画材を選ぶに当たっては、それなりに時間をかけて自分に合ったものを探してはいたからである。

 

結局、画材というのは使い手の体質そのものであると、たしかオディロン・ルドン先生がおっしゃったが、紆余曲折してきて私自身もそのとおりだと心、いや体を通して思う。

 

それに、他の画材はもう使いたくはない。

 

いま考えても、あざとさはやはり「いいものを作ろう」とか「気に入られよう」

などのスケベ心が作っていると思う。

 

 

自分の伝えたいことを伝えきったとは思えなかったが、その後彼女は怒っている風もなく、打ち解けてくれた。

 

よくわからないけれど、あれでよかったようだ。

 

 

ただなんとなく、彼女自身は自分をイラストレーターというよりは絵描きと思っているような気がする。

 

そしてお店に出る時の服装も、なんとなく絵描き然としている。

それがなんとなく可愛らしい格好なのだ。

 

そこも私が彼女を好きな理由の一つなのだが。

 

お客さんがいかにも画家と思うような出で立ちを選んで自分をプロデュースできるというのは、一つの才能に違いない。

 

少なくとも私にはそうできない。

 

それで、ただ着の身着のまま、みたいな格好をしている。

 

昔のようにコムデギャルソンやヨウジヤマモトなどを着て、すかしていることもできない。

 

その意味でもスタイルができていない、なんとも野暮なのである。