カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

当てになるのか?私の感覚(笑)

前回、横浜の中心部についてよく感じることを書きました。

 

書いた後、下のようなサイトを発見して、かなり納得がいきました。

 

なぜ、東京の方が死者数が多いのに、横浜の雰囲気の方が陰影に満ちているのか。

 

https://allabout.co.jp/gm/gc/457984/

  

こちらを見ると、関東大震災が東京の地震というより、「神奈川が揺れた地震

ということがわかります。

 

震度7の地域も広範だったのです。

 

絶対的な死者数では、人口のもともと多い東京が多くなっていますが、

死亡率では東京都市部が3.3%なのに対し、横浜は倍の6.6%です。

 

また都市部の面積対死者数は書かれていませんが、おそらく旧東京市の範囲より旧横浜市の範囲はずっと狭く、その中での被害者数でしょうから、

同じ面積で、より多くの人が横浜では亡くなったのではないかと思われます。 

 

 

http://www.histeq.jp/kaishi_22/P109-115.pdf

こちらはPDFファイルですが、かなり具体的な様子がわかります。

 

火の出始めた時刻や進んだ方向、どのあたりで火災旋風が起きたか、といったことまで書かれています。

 

一体どのように調査したのか、そのような余裕があったのか不思議ですが。

 

横浜は、東京より全潰物件が多く、またそのため出火も早かったようで、

地震発生から1時間後の13時にはかなり火の勢いが大きくなっていたようです。

 

そして山手はすべて焼失してしまったようです。

 

外国人の屋敷が多かったせいか、死者数は少ないらしいですが。

 

 

そして前回、中華街はあまり「うわ〜」

という感じがしないと書きました。

 

しかし、上のリンク、それも二つ目のを見ると、実に最多の2000人以上が亡くなった場所です。

 

ここが好きって、私(笑)

 

でもここは、確かに他のところよりは、陰影が少なく感じられるのです。

 

 

ヨーロッパでも幾多の戦乱を経験していますが、意外にサッパリとした印象になっていて、それは意外なくらいです。

 

あの歴史の深さを考えても、またかなりバイオレンスなことが行われていたことを考えても、意外なほどのスッキリ感です。

 

少なくとも、鎌倉や横浜ほど重いものを感じません。

 

だからスッキリ化させるための、何か理由があると思っています。

 

そして中華街は、戦争でも再びほとんど消失していることを考えると、

やはり、風水的なつくりのせいかな?と勝手に考えています。

 

でも1つ目のリンクをみると、都内の死者数の多い場所のうち、

神田駅とかも、私は好きと公言してはばからなかった・・(笑)

 

あと、好き・・でもないけど、錦糸町もよく行く場所で

 

これを見ると、自分の感覚も当てにならないのかな・・と思いますが、

 

もし何者かに気に入られている、呼ばれているということなら、

その限りでないのかも・・

 

 

いや、呼ばないでください・・笑