月はじめ、叔父の容体が難しいと聞いて、福岡に行っていました。
7月に電気ショックで持ち直し、来なくていいと本人から聞いていたのですが
呼吸がしづらいとのことで、急遽向かいました。
何でも心臓の弁が機能していないらしく、手術ということになったのですが、
実際には思ったより元気で、一人で散歩に出るくらいでした。
さらにはヒーリングまでしてくれて(叔父はヒーラーです)
逆じゃないのか・・でした。
結局手術は成功し、胸の骨を切るような大手術で、2週間後に退院しました。
それより、母の方が様子が明らかにおかしくなっていました。
7月のお盆までは普通でしたが
お彼岸には、いつも来ていたメールの返事が来なかったので、おやっと思いました。
もの忘れも、80を過ぎているので多少はありましたが、つい今の今まで話していた内容を忘れて繰り返し聞くことが目立っていました。
今回の出発時、前日まで武蔵小杉からリムジンバスに乗ると話していたのですが、当日急に田園調布経由で路線バスで向かうと言い出しました。
もちろんその行き方もなくはないですが、時間がかかります。
そのため18時半の便でしたが、14時半に自宅を出たらしいです。
なんとなく無事着くような気がしたので、任せたのですが
実際には武蔵小杉がわからなくなってしばし元住吉と新丸子を往復した後、多摩川線で蒲田まで出て、そこから京急蒲田までタクシーに乗り、空港線で着いたのです。
ボケているのかいないのか、よくわからない展開でしたが、やはり異常だったとは思います。
多摩川から蒲田までの線を、私のようにまだ目蒲線と言ったりはせず、多摩川線というあたりはしっかりしていると思うのですが、
そんな感じで福岡にいる間じゅう、挙動不審でした。
帰りは私の最寄りまでのリムジンバスの便がなかったので、一緒に武蔵小杉までのリムジンバスを使いましたが
なんと武蔵新田や田園調布経由で
時間帯も17時過ぎの帰宅ラッシュ時になり
田園調布まで昔の路線バスと同じく1時間以上かかるという有様で
昭和45年のままという悪夢の中にいるようでした。
武蔵小杉駅前で母とは別れ、心配だったので遠巻きにしばらく見ていましたが
私が最寄りに着くよりずっと早く、帰宅したという連絡が来たので、帰りは迷わなかったようです。
その後、叔父の手術成功の知らせが来ると、挙動不審は治まりました。
10人いた兄弟の内、残るのは母と叔父だけで
その叔父のピンチでショック症状を起こしたのかもしれません。
ただ、思うに今年の5月、歯の調子が悪くなり、よく噛めなくなっているのです。
さらには母以外の周囲の人が、全員接種済みで、その人たちの排出するスパイクタンパク質の影響もあると思います。
うがった見方をすれば、叔父の容体変化も
もしかしたらスパイクタンパクの影響かもしれません。
実は叔父はある宗教施設でヒーリングをしており、その宗教はワクチン接種はことごとくNGとしているので、家族全員未接種です。
なのでそのお宅にいる間、大変快適でした。
輸血などもNGだったので、兄弟への輸血も拒んだ時は少し疑問も感じましたが、この時は心から和解できた気がしました。
今まであまり親族に対して、心理的な接点も少なかったように思うのですが、
なんとなく繋がりが得られたような気もしました。
そのようなわけで、叔父、母ともに
要経過観察です。