カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

センチメンタルなドーナッツ

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新卒で入った会社の同期と、川崎に行ってきました。
変わり果てた?川崎を見たいということで。


我々の元職場は川崎の工場(Y事業所とします)で、今は他企業の工場が建っています。

また、駅前も新しい商業施設がいくつも誕生し、
昭和色濃い風景はどこかに行ってしまいました。

別の同期の友人が、それを評して
「整形して昔の面影が跡形もなくなった旧友に会ったよう」
とな。言い得て妙かなと・・。

いや、実際そういう友人はいませんが・・(笑)。

駅を出て彼女も、「全然どこだかわかんない。」


当時駅近くに「魔の三角地帯」と呼ばれる
バラックの飲み屋街があって、昭和のヤミ市さながら??だったのですが、
その跡地にシンフォニーホールを含んだ商業施設ができました。

その線路沿いの一角に、「40番地」と称して
その飲み屋街がそのまま入った模様。
そこに彼女を案内しました。

「魔の三角地帯」はY事業所従業員御用達で、
私も製造の飲み会で一度だけ行ったことがあります。

彼女は、その製造の人に
「あそこのKっていう飲み屋の女の子にそっくりだ。
夜そこで働いているでしょ」
と、よく言われていたらしい。

んなアホなー!!

いや、でも実際そういう人もいたのです。
彼女と同じ部署の一つ下の子は、そこではないけど
どこか他のパブか何かで働いていて、
お客さんとできちゃったらしい。

で、退職し、結婚しちゃいました。

この厳しい労働環境で働いて、よく別のところでまで働くなーと感心していたのですが、
彼女は事務職だったから、定時で帰れたようで・・。

夏の太陽は、なんだか無常感をあおりますね。

跡形もなくなった工場と、きれいに立ち並んだ他企業の真新しい社屋を
頭の中で重ね合わせました。


工場周辺を歩き、「こうだった」「わからない」と言いながら
目的のレストランに向かいました。

それはいつか載せたペルー料理店なのですが、なんと、閉まっている!

隣りのメガネ店に聞くと、
「いや、いつもは開いている。
けど、たまーに閉まってる」
そうで・・。

ま、ラテンですからね。

看板の電話番号をメモり、何度か電話する。
が、留守電が作動するだけ。

先ほどの商業施設に戻り、お昼時まで少し待つことに。

結局この日は、5時から店を開けたようです。
いつもは昼から開いてたのに、残念でした。

ま、でもラテンですから。


その間、彼女と会わなかった間のことをいろいろ話しました。
ちょうど、彼女もイタリア旅行に行って来たばかりだったので
話がはずみました。

先日会った、高校の同級生といる時感じたような威圧感は
感じませんでした。
私は威圧感に押されて、ほとんど何も言えず
ただ彼女の話を聞くばかりだったので、
自分はなんと弱くなってしまったのだろうと、情けなくなっていました。

昔は、私も彼女と同じような価値観で生きていたのだと思います。

でも、そのために我慢していたことが、たくさんあった。
それが、いま外れつつあるんだろうなぁ。

だから余計に反応した、そんな感じでしょうか。

彼女のいるあたりでは、まだみんなそういった価値観で生きているんでしょうか。
東京に住まなくてよかった気もします。


ペルー料理をあきらめ、もう1つ新しくできたショッピング街
ラゾーナ川崎』のアメリカ料理のバイキングに行きました。
ここはメキシカンもあったので、ちょっと埋め合わせができるかと思って。


この『ラゾーナ』は、Y事業所と同じ会社の
堀河町にあった工場の敷地後にできた施設でございます。

この工場には、一度だけ新人研修で来ただけでしたが、
この会社の創業時近くからの歴史を担う重要な事業所でしたので、
ここがなくなると聞いた時は、
「本丸が取られた」
ってほど大きな衝撃でした。(少なくとも自分には)

重要なだけあって、古さもハンパじゃございませんでした。
始業のサイレンがなり、終業のサイレンが鳴るまで、
しばし昭和30年代前半にタイムスリップ。

工場を出て帰路につくと、
「今は何年代だー」と順応に苦労していた。
川崎の町も相当古かったから
南武線を降りるまではその時代が続いたね。
最寄の駅に着いてやっと、「あァ」と我に返る次第。

Y事業所の食堂も、昭和30年代そのままでしたが、
ここの食堂は、そのまた上を行っていて、
メニューにはなんとなく、身のキケンを感じたね(笑・いろいろな意味で)。

で、敷地内にはいくつか
その工場の名残を感じさせるいくつかのモニュメントがございます。

それを見つけるのが、今回の目的の1つ。

1つは、防火用ポンプ。
SLのようにどでかい金属製のブツでございます。
廃棄処分に金も手間もかかりすぎるから、
モニュメントとして放置した、ってのが
正しいところでしょうか。

2つめは、駐輪場の中心を北から南へと通る、水路のモニュメント。
水路の底に、工場開設の1908年から閉鎖の2004年までの日付が
タイルに一日もあまさず刻まれて敷き詰められたものです(写真1枚目)。

ここに勤めていたおじさんなら、
「ああ、ここからこれだけの期日を
俺は毎日ここで働いてすごしていたんだなあ(涙)」
となってしまいそうな、センチメンタルなモニュメントでした。

そのモニュメントの始まる場所、敷地の北端に
事業所の歴史を刻んだ、ドーナツ状(にはちょっと欠けてるけど)
のモニュメントがあります。

それは工場にあった一本の桜の木を
ぐるりと囲むように作ってあります(写真2・3)。

工場での何枚かのスナップショットも、特殊な技法で刻み付けられていました。
それは連絡用掲示板や、体操の様子、工場の通路、水道や掃除用具、防火施設など、
工場にいる人ならば毎日目にした光景でした。

おじさんたち(おばさんも)、
桜の木の下で、泣いちゃうね(T_T)。


さて、だからというわけではありませんが、その後
神奈川県内ではここだけ?という、『クリスピークリームドーナツ』に。

横浜にはない!
川崎に行かないとない!
ってわけで。(9月には横浜にもできるそうな)

友人達から前評判を聞き
ずっと行ってみたいと思っていたのですが、
新宿までそのために行くのもナンですし・・。

列にならんでると、ドーナツを一個、味見でくれます。
先日会った友人は、「一個もらったら列を抜けて帰ってもいいかもしれない」と言ってましたが、
そりゃムリだろう・・

ただいまキャンペーン中で、12コ同じクリスピークリームド-ナツを買えば(つまり箱買い)
もう一箱買えるチケットをくれるらしいのだが、
そんなに食えんだろう・・(-_-;)

「違う種類でも12個買えば、10個分の値段でOK」ってのもあったので
彼女と合わせて12個買いました。


当日食べるのが、出来立てを食べるのがおいしい!ということで、
確かにやわらかく、ふんわりしておいしいですが
私はもう味見の1個でいいわ~でした。
すんごい甘いし。

ところで子どもと同じ年に、私もドーナツを一度に3個食べてキモチ悪くなり
(この時はミスド
その後4年ほど食べられなかったということがありました。

よく家系の因縁といいますか、同じ家系の人間はだいたい何歳でどうだとか
同じことをするような傾向があるというような話を聞きます。

子どもの様子を見て、歴史は繰り返すのかなぁと思っていましたが、
彼女は翌々日にはもう1個食べていたので、自分とはちょっと違うのかもしれない。