カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

電波でしょうか・・

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昨日、川崎大師に行ってきました。

ついでにってんで、京急大師線終点までの
京浜工業地帯まっただ中つっこみツアーも敢行。

そうでもしないと、終点なんて行くことはないからね。

廃線鉄の師匠に、「小島新田(京急大師線終点)先の引き込み線は、見る価値がある」
とも教わっていたので。

川崎大師は、ある日なんとなく、「行こう」と思いついたからだった。
なんの脈絡もございません。
特に行きたいわけでもなかった。

が、思い付きには素直に反応すべきだと思ったので、
理由はなくても、実行しました。

亡くなった伯母は、お大師さんが好きでよく行っていた。
名物のくず餅をよくおみやげにもらったり、連れて行ってもらったりした。

最後に行ったのは工場の安全祈願のためで、もう20年にもなる。

だから、まあ、伯母の幸せだけ願って来ようと思った次第。

しかしこの辺りは川崎の場末も場末、
住んでる人には失礼だが、工業地帯のど真ん中??である。

国道一号を越えると雰囲気が変わるとよく言われていて、
ちょっとヤバめのイメージがある。

昔の川崎を知る人には、あまり訪れたくない場所じゃーなかろうか。

川崎駅前はもう昔の姿ではないけれど、
鶴見線の旅で、沿岸の水はきれいになっているのを知ったけど、
空気は、確実に汚い。

家からそちらをみれば毎日、下層の空が黒っぽく濁って見える。

なので、インフルとは関係ナシにマスクを着用(笑)。
これ以上鼻毛が伸びては大変だからである。

私は幼少時より慢性気管支炎だったが、
それは川崎の工業地帯にいたことと無関係とは思えない。
横浜のチベットに越してきてから、ようやく治った。

それでも川崎に帰ると、1週間はセキが止まらなくなっていた。

なので、おそるおそる出かける。

ま-こないだの鶴見線ほどには殺風景ではなかろうと
励ましつつ京急川崎から大師線に乗り換える。

しかしやはり工業地帯、目に入るのはさびた金属ばかり。
川辺りには『味の素』の大きなアミノ酸液のタンクが並ぶ。

こういう企業が、今の日本を作って来たんだよね。

京急本線は新しくなってるけど、
このあたりは依然、昭和の雰囲気。

川崎大師駅も、連れてきてもらった当時とあまり変わらないんじゃないか。

で、駅前に参道入り口のアーケード(写真)。

人の集まる場所だけあって、そこそこな食事は取れそうである。
ほとんどはそば屋。
寺の入り口に近づくにつれて値段が上がる。

門前には、くず餅や、せき止め飴、だるまの店が並ぶ(写真2枚目)。
入り口前に一斗カンが山のように積まれていたせき止め飴の工場は
昔の家の近くにあり
しょうがの匂いをいつも漂わせていた。


とんとんと、さらし飴を切る音が響く。
各々の店のおばさん達が、味見の声をかけてくる。
ここは、時が止まっている。

伽藍は、自分の記憶よりずっと小さかった。
意外にせまい境内を見回しつつ、真ん中の線香台に立ち寄り、
線香に点火する。なかなかつかないので、少し手をやけどした。

「このケムリを持って帰って、○○(弟の名)にかけてやろう。
病気が治るから。」
伯母がそう言って、ビニール袋に、たくさん煙を詰めていたのを思い出す。

本堂に、大勢の僧侶が読経する声と、経木の音が響く。
奥を見ると、なんと護摩を焚いている。
本堂の中に高く火が上がり、火の粉まで舞っている。

読経っつか、祈祷中だったんですね。
炎のおもしろさにつられて、つい中に入ってしまいました。

祈祷中に来たのは初めてだった気がする。

なんとなく一仕事終えた気がして、参道を戻る。
このまま小島新田まで歩いても1Kmちょいなので、
晩のおかずを探しがてら、商店街を東に進むことにする。

途中、トルコ人ドネルケバブの店で、ケバブ丼(500円)のお昼を。
サワーチェリージュース120円と一緒に。

ここのご主人が気さくな方で、いろいろ話しかけてくる。
「お米は隣りのお米屋さんで買うとふっくらもちもちしておいしい
スーパーのお米はブレンドしてるからダメ。あきたこまちでも味が違う。」
そうな。
トルコ人なのに米の違いがわかるのかー!?

「私、日本人なのに、米の味がわかりませんでした。」
「いや、それは気にしてないからでしょ。
気にすればきっとわかりマス。」
とな。

まあ、日本人でも、パンの違いはわかりますからね。
それにトルコ人は、米を食べるし。

概して地方の人の方が、うまいものを食べてると思う。
昔、新潟の漫研のリーダーとご飯を食べたとき、
「まずいだろ?」
と言われて、ゼンゼンわからなかった。

米どころ新潟だから、彼は毎日もっとうまい米を食べていたんだろう。

関西の人も九州の人も、「東京はメシがまずい」と言う。
関西人が東京で関西よりおいしいものを挙げるとすれば、「トンカツだけ」と言う。

なんとなく会話が楽しくて、ご主人のおかげで、ここがいい街になった。
思ったほど怖い街ではなく、自分の育った場所のような剣呑さもなかった。
商店街でコロッケを買ったが、そこの人も親切だった。

懐かしい川崎の、ゴミ収集車の音楽が聞こえる。
『好きです川崎、愛の街♪』
川崎はギャンブルで潤う市だから、公共事業は横浜よりずっと整っている。
ゴミも毎日取りに来る。

空気だけはメチャ悪いけど。
よくみんな普通に歩いてるな~と思うくらい、目がシバシバする。
商店街も、お惣菜の匂いとかする筈が、溶剤の匂いが漂う。

私が小さかった頃ほどではないけど、なんとなく辺りが黄色い。
晴れて青空が出ているのに、写真は曇りみたいである。
歩きタバコの人が来ても、ケムリが気にならない。

片側3車線の産業道路を渡るが、通るのは大型トラックばかり。
朝ここを自家用車で走るのは、本当に怖い。

終点・小島新田の向こうは、東海道貨物線の線路が何本も並び(写真)、
その向こうは京浜工業団地。

満足して、駅を後にする。

京急川崎からJR川崎駅まで少し歩きましたが、
むかしのギラギラした銀柳街のアーケードは、チェーン店ばかりになって
アクが抜けてしまっていたね。

昔は、ヤンキーばかりだったけど。

どこも、均一化している。
ちょっと寂しい。

横浜駅にもどると、視野が良好になり、呼吸もしやすくなりました。

それでも自分の鼻くそセンサー(下品で申し訳ない)によると
まあ、マスクのせいもあるかもだけど、汚れは各段に少なくなっていた。
セキも出なかった。

東京に出ると、すごい鼻くそできますし。
パリもロンドンも、たくさんできましたよ。

メイクを落としても、そんなに汚れはついていなかったしね。

昔は10分も歩けば、顔をふいたハンカチは真っ黒だった。


さて、家に帰って顔を見たら、しゃんとしている。
先月末からずっと調子がおかしく、顔色も表情もヘンだった。

もしかして、祈祷の場所に行ったから、良くなったのかも。

一つ作品を作り終えると、腑抜けになってしまうのだけど、
以前そういう時、タダで和尚が祈祷してくれたことがあった。
「ちょっと緊急事態みたいだったから」
と、その時は言っていた。

まあ、推測に過ぎないですけどね。

寺を出て、一度は仏法を捨てたのだから、
もうどんな仏閣にも願掛けはするまいぞ、と思っていたのだけれど、
思いがけず助けられた気がする。

自分のような普通の人間でも、見ていてもらえると
教わった気がする。
お金がからまなくても。

年長者と関わってもいいことはないと
ずっと思っていたが、
伯母のようにかわいがってくれた人もいたのだと
思い出すこともできた。

おみくじは「凶」だったんですけどね(笑)。
凶意でも、普通いくつかは優しい事が書かれているものだけど、
今度ばかりは一つも、いいことは書かれていなかった。

でも、もしかしたら「凶」という状態に落ち込んでいたから
呼んでもらえたのかも。

都合良くばかり考えてますけど
それでいいことにしよう。