カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

老人へのオマージュ

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都会の老人は我欲が強くずる賢く狭量で醜く、老人がらみでいい記憶はない。
だいぶ前になるが、いつか食事をしていたとき隣りの席から、
「戦争でいい人間はみんな死んじゃって、利己的な人だけが残ったのよ」
と聞こえてきたことがあって、そうかもしれないと思った。

個人的にかわいがられたりしたこともない。
年寄りだけでなく年上には概ねかわいがられなかったから、それは
自分のかわいげのなさが大きく関係しているかもしれない(笑)。

であるから、年寄りを尊敬したこともないし、
師たりえる年長者もあまりいなかった。
その辺は、もしかしたら初代運というか、
師となるような先人からの恩恵に恵まれない運命のようなものが自分にあったのかもしれない。
私の身近な人々においても皆同様で、たとえば大きい企業に就職しても
初年度から先人のいない部署で一から任されるような具合だ。

ま、運命は自分で作っていると思ってはいるので、それは置いといて。


先日、ひょんなことから映画監督・吉田喜重氏にお会いする機会を得た。

氏は白髪、失礼ながら老人の相貌ではあったが、ヨーガンレールか?ヨウジヤマモトのようなスーツをさりげなく着こなし長いショールも決まった、カッコいいおじいさんだった。

ひたいや顔の周囲に、ものを創る人独特の清々しさのようなものがあった。


マタイが「恐れ」ということに関しインタビューをし、
氏がそれに答える。

内容は2008年、パリで行われたインタビューに近かったが、
サイト(このサイトが見つからなくなっている。スミマセン)にUPされた内容から読み取れなかったニュアンスが、そこでは伺えた。

氏が12歳のとき、生まれ故郷福井で空襲に遭い、
一晩中一人で戦火の中を逃げ惑う経験をする。

そのとき自身を生かしてくれたのは、理性や情報でなく、ただ本能だったという。

ただ肉体の反応するままに従い逃げ続けた結果、難を逃れることができた。

肉体の反応・本能は、自分でありながら自分でないものだった。

その自分でないもの、他者とも呼べるものが氏を生かしたということである。


氏は2歳の時に母親と死に別れ、以後乳母、そして継母という他人によって育てられることになる。

母が死んで、乳母を本当の母親と信じて育つが、7歳くらいの時に
それが真の母親でないことを祖母や父から知らされる。

その際、人の、他者に対する排除や差別というものを見、
人という存在が嫌なものであることを知る。

しかし一方、その嫌な人、他人が
自分を育んでくれることも知る。

幼くして、彼はそうした、人という存在の二面性を知る。


その話は淡々としていたが
「恐怖」や「嫌悪」という感情が必ずしも悪いだけのものでなく、
一方で「人を生かそうとする働きがあるもの」という捉え方をし始めた自分に
深く響くものだった。

その偶然に、なにか言い様のない同時性を感じ、
強く揺さぶられた気がした。

撮影の時間は短いものだったが、
他者であるその人に、強いつながりを感じた。

氏は、「血のつながりのない者同士の間にこそ、深く強い関係が生まれることがある」
とも述べ、私はその話を実際に体感した気がした。


それが短い時間、一瞬の間であっても
深く結びつくことは有り得る。
それは時間の長さに関係しない。

自分は長いこと、人と良好な関係を長く保てないことを気に病んでもいたが、
人とのつながりは、一瞬であっても見つけられるものだと知った。

物理的に密接である必要は、必ずしもないのである。


その感覚は、深く私を救った。

そして、老人というものを見る目が変わった。


私は、真の叡智を湛えた老人に、会ったことがなかったのだ。

老いても、こんなにカッコよく生きられるものなのだ。

年を重ねることは、新たな人間として進化する、というか深化することである。
それは別のものに変わるということではなく、
自分の新たな面を発見するということである。

人生から、ありあまるプレゼントを受けた気がした。

(写真は、夏なので『焼肉トラジ』のランチメニュー。
いいお肉でウマかったっすよ~♪)