先日、お世話になっていた動物病院に最後の挨拶に伺った。
2か月前に健診の予約を取っていたのだが、その時はまさかこうした形で伺うとは夢にも思わなかった。
しかし今思えば、普段は病院から帰るとウサギは怒って隅のダンボールに籠もりっきりになり、夜遅くなるまで人のいる方に近づいて来ないのに
その日は一旦隅に行ったものの
すぐ出てきて「怒ってないよ」という雰囲気で草を食べていた。
病院に着くと、普段は忙しそうで挨拶もしない看護師さんが
珍しく気づいて挨拶してきた。
また診察券はすぐに返されたので
スタッフも皆知っていたようだった。
他のウサギさんの診察が済むと診察室に通された。
「Fちゃんがいない診察は寂しいですね。」
と、いきなりぐっとくる一言(笑)
なんとかこらえつつ、年始年末の休診日にたびたび緊急連絡を入れてしまった非礼を詫び、長年のwarmestなcareにso thankfulする。(文章おかしいけどDon’t be care)
それにしても先生、会うたびに顔が違う気がする。
毎回「あれっこんな顔だったっけ?」って思っていた気がする(笑)
早々に話はエンセファリトゾーンに。
エンセファリトゾーン(以下EZと表記する)は元々アメリカで食用ウサギに見られた寄生虫で脳に住み
発症すると首が傾いたり足が開いてしまったりする。
日本の飼いウサギにも少なからず見られるようである。
いつ発症するかは個体差があって
発症しない場合もある。
うちのウサギは(以下Fとする)8年前に避妊手術をした際に
検査してもらって陽性だったので、恐れはあるとは言われていた。
発症すると48時間以内に対処しないと死に至ると言われているので
早い対処が必須だが、
うちの場合は首がやや傾いているかなという感じで、首が横に振れる様子は少しあったのだが、程度が軽かったようだ。
そのため判別が付きにくかった。
それで兆候を見送り、対処が遅れたと悔やんでいたのだが
脳というのは正常時は糖と脂肪しか通さず
あらゆる薬物をシャットアウトするようにできているそうだ。
異常が出て初めていろいろな薬物が脳に入っていくようになるらしい。
だから正常時にいくら薬をやっても吸収されず、当然効果はない。
そのタイミングを見極めるのは
素人には不可能に近いらしい。
また薬がうまく吸収されたとしても
その後発症するものは何度も発症するらしい。
というのは
寄生虫なので宿主を殺してしまうと自分も生きられないので
共存を図って均衡状態を保とうとするが
その均衡を破るのはウサギ側であるらしい。
過剰防衛というか、アレルギーのような過剰反応で
ウサギの脳が寄生虫から体を守ろうと周囲の神経を切るのだそうだ。
すると頭が傾いたり足が開いたりする。
神経が切れているので、投薬して元の寄生虫を殺したとしても
その神経が繋がらない限り症状は残る。
若かったり、損傷が少なければバイパスの神経が通る場合もあるが
それができなければ症状は出たままになる。
投薬は、虫を殺す薬と過剰反応を抑えるステロイドの二本柱になるが
それも1か月とか2か月とかある程度長期間しなければならず
それなりにウサギにも負担になる。
それを聞いて、諦めがついた。
そしてもう一つ気になっていた体重の推移を見せてもらった。
カルテは2002年夏、ウサギが1歳になった直後から始まっていた。
ほとんど忘れていたが、1歳くらいから毎年食欲不振はあったのだ。
それが季節の変わり目など寒暖差激しい時、年に2~3回起こる。
5~6歳くらいは血尿が起きるようになってくる。
体重は2~3歳の全盛期で2.4kg。
手術後に減ったのかと思いきや
手術自体には関係なく5~6歳から2kg強。
震災後になぜか2.3kgまで回復している(10歳時)。
生命的危機感から食欲が盛り上がったのだろうか。
その後は今年の8月まで2kg弱、1.96~1.98を保っている。
そして9月に300g、急に減っている。
変化は8~9月に訪れたと見られる。
そこで思い当たることがあった。
一つは私が7月から8月にかけて大きなイベントを2つ抱えていたこと
もう一つは子供が食中毒で救急搬送されたことである。
夏のイベントは、1つはいつものように絵の展示だったが
もう一つは知人の店で頼まれた音楽イベントだった。
絵の展示は昨年1月にもしていて
その際もウサギの体重に変化はなかったから、おそらく関係ないのだ。
しかしその音楽イベントというのが曲者で
ミュージシャンは私の友人だったが、かなり難航した。
以前もそうだったが、自分に合っていないことをすると
ウサギに影響する。
ものすごくストレスを抱えるせいだと思う。
2013年、信頼するアロマテラピーの友人が
世の中の流れが変わってきていて
合わないことをすると死がもたらされるような
結果の早く出る時代になったと言っていたが
そういうことが納得できるようだった。
できるということと
したいことというのは違う
やはりそのあたりが見極められずに招いた事態のような気がして
一連の行為を激しく悔いながら家に戻った。
しかしこのような事態にならなければ
私はその行動を悠々と続けていただろう。