カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

あふれる豊かさ

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風邪をひいてしまった。
 

2012年の正月以来だ。

 
 

悲しみのせいだと思う。

 
 

悲しくなると肺に来る。

 
 

泣きたくてもそうそう泣けないので

涙は内側に入る。

 
 

それが鼻水になって排出され

 

排出されない分は肺に来る。

 
 

思えば肺炎にかかった時は

悲しみが深かった時だ。

 
 

さらに、近年睡眠は2~3時間しか連続で取れていなかったから

私は眠れない質なのだと思っていたが

 

ウサギの世話がない今は7~8時間平気で寝られるので

 

不眠症というわけではなかったんだと思う。

 
 
 

さて、いま、誰もいない部屋を見ていると

 

そこに命があったことは限りない贅沢であった気がする。

 
 

そこには豊かさと喜びがあふれていた。

 
 

命とは

それだけで奇跡で

持て余すような富なのだ。

 
 
 

それに気づいたのはウサギが家に来て

8~9年経ったころだった。

 

その豊かさに振り回されるように私は過ごしていた。

 

喜びも多かったが

しんどいことでもあった。

 
 

やがてその刺激に慣れ

部屋の掃除や病気への心配にいささか疲れていた。

 
 

同じころ退職を余儀なくされて

自分の価値も見失っていた。

 
 

仕事をしない、収入のない自分は(失業保険はあったけど)

 

生きる価値がない。

 
 

雑巾にも劣ると思っていた。

 

死んだほうがいいのだと本気で思っていた。

 
 

私の育った家では小学生の頃から

すでに働かざるもの食うべからずで

 

家業の手伝いや勉強をしなければ食事も睡眠も取る自由はなかった。

 
 

なまければ徹夜で殴られ続け

 

働かなければ生きる価値がないのだと教え込まれた。

 
 

しばしば「生きていてもしょうがない」と

父は私に言っていたので

 
 

基本、自分は生きる価値のない人間なのだと思っていた。

 
 

それをかろうじて生かしてくれる父は

 

寛大な人間なのだと思っていた。

 
 
 

自分の存在は罪そのものだった。

 
 

でも、子供が生まれて一目顔を見たとき

 

「生まれていけない命などあるはずはない」

 
 

と、一瞬にして意識が変わった。

 
 

子供の命が肯定されたことで

必然的に自分の命も肯定されたのだが

 
 

やはり自分は無価値であるという意識は

そう簡単に変えられなかった。

 
 

仕事を再開して

なんとかそこから目をそらしていられたが

 
 

職を失うと再びその感覚が頭をもたげてきた。

 

「生きていてもしょうがない」ということばは

感覚の奥の方にしみついて

ことあるごとに意識に上がってきた。

 
 

そんな時ウサギの体調がおかしくなった。

年に2~3回は食欲不振になったり

血尿が出たりして

そのたびになんとか薬で切り抜けてきたが

 

さすがにこの時ばかりは何か様子が違っていた。

 

緊急で病院に連れて行き

家に戻ってもなかなか回復しなかった。

 

先生も

「少し難しいかもしれませんね」

と、言った。

 
 

その時思った。

この必死で生きようとしているウサギに

生きる価値がないことなどあるだろうか。

 

ウサギはただ生きていること

そのことに自体に価値がある。

 
 

命があることは奇跡で

価値はそれ以外によるものではない。

 
 

体も冷たくなりかけているウサギが

半分死んでいる私の意識まで蘇生してくれた。

 
 

私は再び生きるモチベーションと

ウサギに対する熱意を取り戻した。

 
 

ウサギはその日から私の恩師になった。

 
 
 

そうするうちに東日本大震災が起きた。

 

あれで2万人近くの人々が亡くなったことは

少なからず日本全体に打撃を与えたと思う。

 

特に有名でもない市民一人一人が

日本全体を支えていたことが

あれで感覚的に理解できたような気がする。

 

一人一人が

間違いなく日本人全員の意識に結びついている

 

無意識のうちに他人を支え

生きる力になっている

 

だからどんな人にも価値がある

 

たとえ稼ぎがなくても

年金暮らしのおじいちゃんやおばあちゃんでも

 

だれかの力になっている

 

そのだれかが亡くなることは

日本全体の損失だ。

 
 

だから自分にも生きる価値がある。

そんな気がした。

 

地球上にムダな命は一つもない。

生きていてはいけない命はない。

 
 

その意識がダメ押しされた。

 
 
 

それから9ヶ月後

私はようやく自分を無価値だと言って嫌うことをやめた。

 
 

それまで自分をほめたこともなく

やさしいことばをかけたこともなかった。

 

自分は常に限りなく愚かで醜く

一つも取り柄のない人間だったが

 

そう思うことをやめた。

 
 

そこから3年して

ウサギは去ってしまった。

 
 

その豊かさを受け取り楽しむことがなかなかできなかったが

 

後半の4~5年は

心を通じ合わせることができたように思う。