今年も節分を過ぎ、立春を迎えました。
立春は旧暦の元旦らしいので
一応新年の挨拶と思って
母親に電話してみました。
つい先日まで、母親とは関係がずいぶん改善されたと思っていましたが
あるヒーリングを受けて
やっぱり、そうでもないかもしれないと思い始めました(笑)。
それでも、私が30代の頃に比べれば、格段に良くなってはいると思います。
当時は、母親が私のことを認める部分はほとんどなかったし、
私は私で、母親=バカ同然、みたいな感じで見ていました。
互いに、「こいつバカ」と思って見ていたんですね(笑)
接点もなかったし、話し合いのテーブルにも付けなかったですね。
ちょうど、元夫との関係のように。
口を開けば、感情が先に立って、そればかり出てきて
自分の状態も相手の状態も俯瞰することはできなかったですね。
今がどうかと言えば、自分が長年抱いていた気持ちには自分で気づいていると思います。
基本、子供の立場から、親というものはよく見えていると思います。
逆に、親からは子供というものは見えないものです。
見えているようには思っていますが、それは飽くまでも
親の立場から、です。
私の育った家庭は、典型的なDV家庭で、母が父からいつも虐げられていたので、当然母には鬱憤がたまっています。
すると、それを父親に出すことはできないので、娘の私にすべて吐き出すんですね。
娘の私は、母をかわいそうと思っているので、それを甘んじて受けます。
すべて聞いてやって、なぐさめてみたりします。
すると母親は、それが当然と受け取るわけですね。
「あんたは楽でわかってないでしょう」
「だからあんたが鬱憤を受け取って当たり前なのよ」
という意識がいつも母親の中にあったことを、私は見ていました。
いつの間にか、母親の敵が、私であるような感じに、母は自分の慟哭をぶつけてきました。
あまりの息苦しさに私が不満を表明すると、とんでもない恩知らずのようになじられました。
結局、母は私も敵にまわして、「もののわからない娘」として
わたしを扱ってきたと思います。
こうなってしまうと、もう地獄です。
私は私でDV家庭を見てきたことでストレスと悲しみを抱えているのに、
それを母親は顧みることはありません。
私は自分自身の傷をもてあましつつ、母を幸せにできないこと、
母に反目し続けていることに罪悪感を感じ、自分を無価値のように感じていました。
「自分など、生きていてはいけないんだ」
という意識が、幼稚園時代からはっきりとありました。
しかし2005年に弟から津留晃一さんの本を勧められ、
ブロック解放ワークに勤しむ内、徐々に状況が変わってきました。
2009年にオーラソーマを知り、自分をケアし始め、
自分の本当の気持ちを母親に話し
東日本大震災で、「生きていていけない人なんていない」と感じたことで
「自分など死んだ方がいい」という意識にヒビが入り始めます。
2013〜2015年のレムリアンヒーリングで父親と母親が自分を愛していたことが腑に落ち
2019年のナディア横浜のKISAKOさんのワークショップで、自分が、ただ愛の存在だったと腑に落ちました。
というわけで、娘に関して自分は役立たずだったかもと思うことはあっても、
自分が死んだ方がいいとか、生きる価値のない存在、とは思わなくなりました。
しかしその間、誰も私に
「あなたは生きていていい存在なんだよ」
と言ってくれたことはありませんでした。
自分が「生きていちゃいけない」
と思っていると、世界は永遠に「あなたは生きていちゃいけない」
という現実を突きつけ続けるんですね(笑)
なんとも厳しい世界です(笑)
いや、でも、どこかでだれかが
「生きていていいんだよ」
と言ってくれていたから、私はそう思えるようになったのかもしれません。
それに、私が「生きていちゃいけない」と思っているから、
仮に誰かが「生きていていいよ」と言ってくれても、おそらくそうは思えなかったという部分もあると思います。
あと、自分を肯定できるようになったのは、元夫がすごく否定してくれたから
という部分もあると思います。
徹底的に否定し続けてくれたからこそ、自分でなんとかしないと、本当に誰も自分を肯定してくれることはない、と思えたのだと思います。
すごく厳しい反面教師ですが、でも教師になってくれたことは事実です。
そういう意味で言えば、私が彼と結婚したのは正解だったんだと思います。
いま、ようやくここに来れたから思いますが、こんな厳しい道でなくてよかったかもな・・
いや、でも、厳しくなかったら、ここに来られなかったかもしれない。
で、いま俯瞰してみると、自分の人生の課題の6〜7割は終わったかなという気がします。
まあ、ペース的には、わりと順調なのかもしれません。
あと20年ばかりで、3割方片付けていけばいいわけですから。
で、まだ残ってはいるわけですが、「信頼」の部分ですね・・
今までは、思い込みだとか、意識的な部分が多かったわけですが、
これからは意識もそうですが、それに合わせて行動も必要で、体全体で自分に落とし込めるかが、重要なんだと思います。
今までもそうだったかもしれないですが、これからも一層
地球にいる身として、自分自身に喜びを与えていかなければいけないと思っています。
今日、母と話して思ったのは、母が私と弟を、すごく心配しているということ。
親だから当たり前、かもしれませんが、子供の立場からすると、
「自分を信じて見守って欲しい」
という意識なんじゃないかと思います。
でも結局、まわりの人は自分の鏡ですから、自分が自分を信頼できていないのかな、その表れなのかな、とも思います。
その点、母自身は、私たちのことは心配しても、母本人の先についてはほとんど心配していません。
それが、すごいと思います。
その点については、手本にすべき存在だと思っています。
結局、母は父よりはずっと強くて、不幸でもなんでもなく、たくましい存在なんだなと思います。