カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

戦死者、戦争とオリーブグリーンの過程

終戦記念日なので、昨日掃除していてたまたま見つけた書類に書かれていたことを写し出してみます。
 
娘の高校時代、世界史で使われていた資料です。
 
テーマは「アメリカの戦死者」。

「戦死者」とは、兵士として死んだ人のことで、民間人とは区別されています。
 
 
独立戦争(1775-83)  1万2000人
1812年戦争           1877人
米墨戦争(1846-48)   1万2876人
米西戦争(1898)       5462人
第一次世界大戦(1914-18) 11万2432人
(英:91万 仏:136万 独:177万)
第二次世界大戦(1939-45) 32万1999人
朝鮮戦争(1950-51)  5万4246人(公式発表であるが確かではない)
ヴェトナム戦争(1954-73)5万8000人(ヴェトナム人 300万-400万人)
イラン・イラク戦争(1980-88)3000人(両国民 100万人)
湾岸戦争(1990-91) 375人(イラク:兵士9万人 民間人150万人)
アフガニスタン戦争(1978-89) 848人(アフガン:兵士9万人 民間人150万人)
A戦争(※注)(2001-) 829人(A:兵士5000人? 多国籍軍1396人 2009/9現在)
イラク戦争(2003-06) 4356人 (イラク兵士 2万人)
 
以上のアメリカ戦死者合計は約60万人
南北戦争(1861-65)の戦死者は約62万人で、それより多い
 
(※注 プリントの通りA戦争と書きましたが、「アフガニスタン紛争」のことと思われます。プリントを作られたのは娘の高校の先生ですが、私は世界史がよくわからないので、一応自分の確認のため、注釈を入れました。)
 
またプリントの下半分には「第二次世界大戦の死者」として下の表が載せられていました。
 
第二次世界大戦の死者」
          戦死・行方不明       民間人
ソ連       750万人(1450万人)   700万人
イギリス      45万人             6万人
フランス      20万人            17万人
イタリア      30万人             9万人
ドイツ      250万人           230万人
オランダ       1.4万人                                           24万人
オーストリア    38万人            15万人
ポーランド     85万人           578万人
ルーマニア     52万人            47万人
中国       132万人          1000万人
日本       230万人            80万人
 
民間人  
  ユダヤ人  600万-700万人
  日本人 原爆:広島15万人 長崎8万人 東京大空襲:10万人 
 
以上 
 
 (パソコンで書いているので、スマホで見ると項目がズレてしまっていますが、概ね縦を揃えることができたので、なんとか「民間人」の数値と「戦死者」の数値は、それぞれ真下を見てもらえれば合っています。見づらくてすみません。)
やはり戦争は、起こしてはならないものですね。
 
それと一緒に、当時の学校連絡が出てきました。
 
表紙の一文に、強く惹かれる箇所がありましたので引用します。
娘の学校はミッション系だったので、一部キリスト教色の強い部分を含んでいますが、宗教を超えて重要な部分と感じられます。
 
(以下抜粋)
 人間疎外(そがい)それは人が物になり、道具として利用されることー
 人が人(人格)として成り完成するには、あくまでも「人」として扱われなければなりません。人が「物」に貶められ「道具」として利用されれば、人格は穢されます。殺す・傷つける・盗む・嘘をついて騙す等の背景にはすべて、人(相手)を物扱いし欲望の道具に貶める心、人を「人らしく」受けとれない病んだ心が見え隠れします。暴力的言動や人権侵害の根底には常に人を人として認めるべき一線を超えてしまう罪があります。人間が巧妙に道具を用いる知恵を身につけたと同時に、物や自然界の生物に止まらず、人間自身(命や心)までも、お互いの欲望や感情の道具として用いることが生じています。だからこそ、人が人であるために絶対に破ってはならない掟、越えてはならない一線(タブー)があります。人をご自身の命の息吹そのものによって創造された神は、人が人らしくあるために、破ってはならない掟として「十戒」を人類に与えました。
(以上抜粋おわり)
 
 
上の文において、たとえば自然界の生物についても尊厳を持たずモノ扱いしていいのか、とか、キリスト教の教会側が中世以来、人々を操り統制してきたことについてはどうなのだ、とか、多少ツッコミどころがあるのは置いといて、戦争というのは、まさにこういった状態、人を人と思わず、ただモノであり道具であると見なした状態と言うことができると思います。
 
 
また、この文を読んだ時、これはまさに自分がバンパイアや何人かの人々(多くは男性)によってされてきたことであると思い、しばし感情に駆られると共に感慨をおぼえました。
 
 
バンパイアは、ただ、騙して吸い上げるだけの人間としか、私を扱っていませんでした。
親しげで優しいことばで懐柔するときでも、それはすべて自分の欲望を通すためでした。
私の人間としての側面はほぼ無視され、それはネグレクトと言ってよい状態でした。
 
それがすべて戦争という状態に繋がる態度であると思えば、看過してよいものではありません。
 
つい何事も許してしまう自分ですが、それは許してはならない一線です。
 
 
というわけで、呪い返しは続けて行うことにします。
 
それで不都合があったとしても、本人の問題です。
 
 
たとえそれによって余波を浴びようとも、ひるまず前進しようと思います。
 
 
 
いま時を同じくして、同様の問題に直面する人々がいると思います。
 
 
利を図る人々による女性性の弾圧が長いこと行われて来ましたが、やがて構図は覆されることでしょう。
 
オーラソーマで言うと、イエローの意思が、男性的な策略で抑圧しようとする力に打ち勝って上昇し、オリーブグリーンで表現される女性的リーダーシップに変わり、ハートのエメラルドグリーンが開く、という過程を進んでいるということでしょうか。
 
 
今はその間のオリーブグリーンの過程にいる気がします。
まさに新旧二つの価値観がせめぎあっている、混乱した状態を体験しています。
 
 
私がオリーブグリーンのボトルばかり選ぶのも偶然ではないでしょうし、
やがてオリーブの苦味は、収穫という甘味に変わるに違いありません。