カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

信じること

「信じること」って、大したエネルギーだと思うのね。

先週、専務が言ったのね。
「ありがたいね、こうして続けてくれる人」
本堂で行われる行事などには全く参加しないんだけど、
毎年会費だけ払って、ずっと信者を続けてくれる人から
今年も会費の振り込みがあった。
「こうして信じてる人がいるんだよね。」
まあ、そりゃそうですけど、専務の言わんとしていることはわかった。
この人だけでなく、ここに来てくれる人はほとんど
内部でどんなことが起きているかなどは知らず、和尚とご本尊を信じている。
たとえなにか内部の気配を感じようとも、やはり信仰が勝った。
もちろん自分もそうだった。

しかし、「信じる気持ち」は揺れやすい。
小さなことの積み重ねで、信心は強まり、そしてちょっとしたことで壊れていく。
どんな考え方でも、熱狂でも、恋愛でも、
10年たてば蜜月は必ずあとかたもなく終わり、新しい勢いに流されていく。
これは小坊主だけ?
一つだけ揺らがないものがあるとすれば、美への信仰。これだけ。

そう、教義が自分に不都合でさえなければ、信じつづけるだろう。
教義を唱える人が第三者に対してどう接しようと、
素行はどうであろうと、人格がどうであろうと、そんなことは関係ない。
歌手の行状がどうであろうと、歌がよければ、ファンであり続けるのと同じ。

しかし自分に不都合があれば、考え直すだろうね。

ところで、この寺に来て初めて和尚と話をした時のこと。
心の中で、強く
「ハゲ!」
と思ったのだ。
そうしたら和尚は、一瞬ビクッとした。顔色が少し変わった。
そして少ししてから、
「いやぁ、わたしは見事なハゲでしょう、よく言われるんですよ、皆さんに」
と、言ったのだ。
「ヤバい!」
と思ったが、信じる気にもなった。
ささいなことだが、この人なら人の心を読めるし、過去を見ていくこともできるだろう。
そう思ったのだ。

こんなことで・・
そう、こんなことでだよね。