先日、母とカラオケに行った。
前回は2012年だったから、実に7年振りだ。
その後、一人でも行くことはなかったから、歌うのも久しぶりだった。
この一年、かなり体の滞留感に悩まされたが、なんと歌っているうちに、利水が大変なことに(汚い話ですみません)。
これは思っても見なかった効果だった。
内臓が動いたこともあるかもしれないが、
なんとなく、ノドの第5チャクラの詰まりが取れて気が循環したからという気がする。
絵を描くばかりで、普段は黙っているからだろう。
母は地域のカラオケ会で演歌を歌っているので、その時もほとんど演歌だった。
しかし一緒に歌おうと言われて、中島みゆきや松田聖子などを少し歌った。
その時はピンと来なかったのだが、「野ばら」を歌った時、妙に上手くハモったのだ。
何か、収まるべき場所に収まったような。
母は二期会会員の先生から、声楽を習っている。
だから演歌よりはクラシックの方が上手い。
今回聴いたら、さらにビックリするほど上手くなっていた。
だから私もつられて上手く歌えたのかもしれないが、
なんとなく、今の人生でなくて、
どこかで母と私は一緒に歌っていたことがあるような気がした。
聖歌隊か何かで。
だいぶ前だが、似たようなことがあった。
母と私と娘とで、娘の服のリフォームをしていた時だ。
三人で分担して、針を動かしていた。
その時もやはり、妙なしっくり感があったのだ。
おそらくどこかで、三人ともお針子だったのだろう。
一瞬に、何か長いつながりのようなものが見える時がある。
絵を描く私に、母はよく歌うことを勧めていた。
絵でお金をもらうようになっても、母はそう言うことをやめなかった。
いつか成長したら、私が絵をやめて、音楽をするようになるのだと信じている節があった。
それがずっとイヤだったのだが、最近は浄化も進んだせいか、「何か勝手に言っている」くらいにしか思わなくなっていた。
しかし、母の言っていたのは、そのことだったのではないか。
もともと私たちはどこかで一緒に歌っていた。
それがあったから、母はそう言い続けたのではないか。
そう思えるほど、何かピースがハマった感があった。
気のせいと言えば、それまでだが。