カノンはじめの「隠れたところもあまねく照らす」

祈祷師の下で事務員をしていた時に見た世の中の裏側や、バンパイアと暮らしていた時のこと、その他スピリチュアルなことやヒーリングなどについて主観的に綴ったブログです。

ケアすべきは自分(ボヤキでスイマセン)

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もう、6月になってしまいました。

早くもツユ入りとな(T_T)。


県内で採れたお茶が基準値を越えて
県内各所でも放射能の量が測られるようになりました。

あるサイトで見たんだけど
地震前に、井戸や温泉が枯れたりってことはあったらしいね。

それがハッキリ前触れとは言えないってことだけど
まったく予兆とは言えない、ってこともないだろうね。

地震後、箱根や湯河原では
温泉の湯量が20%ほど増え、温度も1~2度上昇して現在もそのままらしいよ。

なんか、怖いよね。

関東大震災の時も、そういうことはあったらしい。

深海魚がたくさん上がってくるとかね。


また先日、阪神淡路の時に兵庫にいて震度7を経験し、
今回茨城の某所で震度6強を経験した友人に電話したら

阪神淡路と今回とでは
揺れ方が全然違っていたと言っていた。

阪神淡路では最初に地鳴りがすごくて目が覚めたそうだ。
そしておもむろに縦方向の激しい揺れが来たらしい。

しかし今回は波の上のように大きくゆるやかに揺れ始め、だんだんと大きくなり
長い時間揺れて
船酔いのように気持ち悪くなったという。

前回の経験で、家具の転倒防止などをきっちりしていたため
ものが落ちたり壊れたりすることもなく、比較的安心していられたらしいが・・

両方経験・・すごすぎる(汗)。
その人が、長老のように頼もしく見えました。


でも、地震のとき思ったことだけど、
緊急事態が起きたからといって、自分勝手な人が急に他人を思いやるように変化する
ってことはないみたいだね。


地震のとき都内では帰宅難民でごった返したけど
あの時つかの間接触があった大多数の人は、すごく優しくてびっくりした。

いつもの通勤ではかまわず特攻をかけるような攻撃的なオヤジたちばかりで
そんな優しさを感じたことはほとんどなかったけど
あのときは、余裕がない状況の中、みんな労わりあっているのが感じられた。


そんな中、人ごみをかきわけて自分本意でいる人もやはりいて
その中では欧米人が目立った(自分の見た範囲ではだけど)。

欧米人はすれ違い様に体が触れ合ったりしたら必ず「sorry」とか「pardon」といった
挨拶を欠かさない、マナーを身につけた人たちと思っていたが
自己主張をするときは強烈にする、ということだろうか。


緊急時に他者に配慮するようになる人もいれば、
我先に、という人も必ずいる。

知人で(日本人)、通常から他者への配慮があまりない人がいるが、
緊急時でも、その人は変わらなかった。

地震が来たからと言って、だれでも変わるわけではないようだ。

そうした人々は元来、他人を意識することもあまりなく、
コミュニケーションも重要視していないように見える。

彼らは、自分に向ける意識で忙しく
ある意味、幸せな人々ではないかという気もする。

いままで私は、そういう人を理解したり許したり、
さらには助けたりすることに注力してきた。

が、本当にすべきなのは、そういうことではないのではと今は思う。

彼らは、他人の手など必要としていない。


そういう人たちに怒りを感じてしまう自分を許すこと。

それが、自分には必要なのだと思う。


ケアすべきは、自分である。

(写真は、庶民的なお菓子2点。
1枚目は横浜・弘明寺商店街のまんぢゅう。
2枚目は横須賀駅近くのパン屋で切り売りされているパウンドケーキ。
はじっこに当たると大きめサイズにしてもらえます・笑
ノリも庶民的でほほ笑ましいです)